28 婚姻に関する掟
神父 
さて、私達は公教会の掟の一つとして婚姻に関する掟を考えてみましょう。この定めは、キリスト信者の婚姻はイエズス・キリストのお定めになりました七つの秘蹟の一つであるということを勉強すれば、もっとわかり易くなるのですが。この秘蹟のことはもう少し後で勉強します。唯今のところは、婚姻について教会の掟だけを考えることにします。
青年 
その掟について覚えなければならない事はたくさんあるのですか?
神父 
いいえ、カトリック信者として知らなければならないことは、次のようにまとめることができます。(一)カトリック信者は主任司祭と証人二人の前においてしか正しい婚姻を結ぶことはできない。(二)いとこ同士、その他近い親族との婚姻は原則として禁じられる。(三)非カトリック者(異教者)との婚姻は普通には禁じられる。
青年 
教会が二人の証人を要求する理由は私にも判りますが、司祭の前でというのはどういうわけですか?
神父 
教会は婚姻を神聖なもの、即ち天主の御召と見ています。婚姻は、信者が自分の霊魂を救うための天主の御召出であると教会は見ています。ですから、婚姻は保護しなければなりません。こういうわけで、カトリック信者は(そしてカトリック信者だけが)教会の公式の証人である司祭の前で結婚すべき義務があります。
青年 
大概の米国の州の法律がいとこ同士の結婚を禁じていることは知っていましたが、教会がこの禁止をなお一等親すすめていることは知りませんでした。
神父 
そうです、教会はいとこの一方と、いとこの他方の子との間の結婚を制限しています。そして、統計が教会の態度の賢明なることを手近に証明しています。もちろん、この掟は例外を認めないというほど絶対的なものではありません。いとこ同士が結婚し或いは、いとこの一方と、いとこの他方の子とが結婚するために、特別の許しは得られます。でもこういう結婚により生れた子供は、肉体的か精神的な欠陥を持つ場合が多いです。
青年 
妻の死後はその姉妹と婚姻してもかまいませんか?
神父 
いいえ、姻戚ですから、結婚上の障害があります。
青年 
姻戚といいますと、それはどんなことですか?
神父 
姻戚といいますと、それは婚姻によって妻の血族と夫の間、および夫の血族と妻の間に生じる親族関係です。姻戚の親等は血族の親等と同じようにして数えます。ですから、妻の姉妹は夫の義姉妹(二等親)になります。
青年 
なぜ教会は妻を亡くした人が義姉妹と結婚するのを制限しているのですか?
神父 
人が一つの家の者と結婚をしますと、このことによりまして、この人はその家庭の人達と絶えす親密な交りをするようになります。毎日これと接触し、又は同じ屋根の下で生活しなければならないかもしれません。もし妻の姉妹との結婚が妻の死後でも全然問題になりませんと [1] 、妻の姉妹に対しまして愛情を発展させたり、禁じられている関係に耽ったりする危険がずっと少くなります。結婚が禁じられていますと、結婚への誘惑も少くなります。こうして、キリスト信者の婚姻と道義との最大の利益が保護されるのです。
青年 
二人の兄弟が二人の姉妹と結婚してもかまいませんか?
神父 
かまいません。
青年 
ところで、神父さん、信者と、信者でない者との結婚について、少し説明して下さい。カトリック教会とその教え、それから、教会を通じて人々を天国に導き給う天主の御計画の本質は、十分に私にわかるようになりましたので、カトリック信者が信仰を同じくする配偶者を持つべきだ、ということは、私にははっきりしていますが。
神父 
その点があなたによくお判りでうれしいことです。夫婦がすべてのことで一つにならなければならないのでしたら、最高のものである信仰においても、二人は必ず一つにならなければなりません。二人は家庭を作り、この世の教育を子供に授けたりするために、一緒に働きます。天国の家庭のために、即ち永遠のことを確信を以て子供に教えるために、必ず二人はいっしょに働かなければなりません。両親の占める教育上の務めは、非常に重要です。神と霊魂、子供の義務などについて両親の教えが異っていますと、その片親が権威を以てどうして教えることができますか? 親の一方が子供に宗教のことは自分に従えといいまして、その片方の親が無関心でいますと、これも同じようにいけません。天主御自らも、間違った教えを心よく御思いにならないように、この世に御出でになって伝えられました宗教が冷淡に扱われるのを心よく御覧になるはずはありません。信者と、信者でない人の結婚の場合、あなたは親としての立場に困ります。
青年 
本当です。
神父 
また、カトリック信者の中には、他の点では見たところ善いのですが、自分の信仰している宗教に自分が深く関係していることを、カトリックでない友達に知られることを恐れている人がいます。カトリックでない人が友達のカトリック信者の宗教を全然知ろうとしないことは、感心したことではありません。友人に真に好意をもつなら、友人のことについては何でも知りたがるはずです。しかし、またカトリック信者が自分らの一番誇りとしなければならないもの、天主が何事よりも大事にしていられるもの(即ち宗教)を隠すということは、それよりももっと悪いことです。
青年 
そうです。神父さん。自慢しようとするのではありませんが、私は自分の信じている宗教を、友達に隠したりしません。私はカトリックの印刷物を大勢のプロテスタントの友達に渡したことがあります。毎週カトリック新聞を数部づつ送りました。自分が非常にいい魅力的なものを持っているのに、友達がまだ知らないため、持っていないのだと確信するのでしたら、友達にこれを知らせてあげていいのじゃありませんか? 聖パウロはそうしました。彼は、始めキリストの教会と戦ったのですが、遂にキリストから、その非を示され、それ以後彼は逆に教会のために非常に戦うようになりました。
神父 
あなたは正しい考えをお待ちですね。
青年 
もちろんカトリック信者が、カトリックでない人と交際している場合、その友が同じく信ずることができようができまいがお構いなしに、カトリック教会にお入りなさいと友人に勧めるべきではないですね。
神父 
そうです。一通り教えを受けてから、「私はカトリック教会はキリストの建て給うた教会なることを信じ、又主の御名において教会の教える一切のことを信ずる」と、まごころを以て自発的に云う人でなければ教会に入れません。しかし、カトリックでない人でも正しく行動したいと思う以上、自分の配偶者にしたいと思う人の信じている宗教を喜んで学び、そして、その信条が信じられるのでしたら、その宗教に入るべきです。
青年 
信者と信者でない人の結婚式は、カトリック信者同士の結婚の時と同じですか?
神父 
違います。信者同士の場合は、聖堂で誓約式をした上で、婚礼のための特別のミサ聖祭が行われますが、信者と信者でない人の結婚の場合は、特別のミサは献げられないので、誓約式の後に、聖体降福式を行うのが普通です。
青年 
全能の天主は信者が信者でない人と結婚することにつき反対の御旨を仰せになっていられますか?
神父 
ええ、天主は旧約時代の選民がユダヤ教を信じない者と結婚することを、全然許されませんでした。「汝かれらの女子(信仰を持たない者)を汝の息子にめあわすことなかれ」(出挨及記二四ノ一六)とあります。婚姻が秘蹟でなかった旧約時代においてさえ、信者でない人との結婚が禁じられていたのでしたら、婚姻が秘蹟に高められた現在、信者以外の人との結婚に反対する理由は、なお更ずっと強いじゃありませんか。
青年 
カトリック信者である親の義務は、自分の信じている真の信仰において子供を教育することですから、万一このカトリック信者の親が死んで、小さな子供の教育をカトリックでない人の手に委ねるようなことがありましたら、大変な心配があるのではなかろうか、と私はたった今考えていたのですが。
神父 
それも信者以外の人との結婚が望ましくないという理由の一つですね。
青年 
その点でカトリックでない人は、カトリックの人と結婚する場合、是非何らかの約束をしなければならない、と私は思いますが。
神父 
そうです。カトリックの人とそうでない人との結婚の特免が与えられる前に、カトリックでない人は、ここに行われるものはカトリックの婚姻に外ならない、カトリック信者である一方は信仰を行う完全な自由を持ち、子供には洗礼を授け、カトリックの教育を受けさせる、という条件を附した「誓約」に署名しなければなりません。
青年 
それで要求は十分なんですか?
神父 
カトリック信者は自分の宗教だけが真の宗教であると信じていますから、それでいいのですが、普通、カトリックでない人達は平均どの宗教もいいという説を信じています。ですから、カトリックでない人はそういう主義を捨てません。そこで、この外に二三のことを是非了解させる必要があります。
青年 
それはどんなことですか?
神父 
カトリックでない人は、自分は、法律が離婚を認めている場合でもこの婚姻の解消されないことを信ずる、避妊に対するカトリックの立場を認める、ということを言明しなければなりません。それから、当事者の一方が司祭の知らない人である場合は、その本人と、本人を知っている一人か二人の人が、本人は結婚するについて妨げがないということを誓約しなければなりません。もちろん、司祭はこれまでに本人が洗礼を受けたことがあるかどうかということも知らなければなりません。
青年 
それは私は知りませんでしたが、司祭が結婚が正当に行い得るものであることを確めなければならない、ということはわかります。
神父 
教会には「婚姻の祝福」という特別の祝福がありまして、これはいわゆる「婚姻の御ミサ」の時に与えられます。新郎新婦の上に天主の御恵みのあらんことを祈り求めるこの特別の御ミサは、償いの季節で喜びの季節でない四旬節と、待降節の第一主日から御降誕の祝日までの期間以外にしか挙げられません。ですから、私達が四旬節の間にカトリック信者が結婚するということを見ましたら、それは「婚姻の公式」ではないのです。
青年 
失礼ですが、婚姻の手数料を司祭はどれぐらい取っておいでですか?
神父 
「手数料」はとりません。司祭にお礼をするならわしはありますが、司祭が手数料を要求することは全然許されていません。
青年 
南米では結婚の手数料が高いので、結婚式を挙げることをいやがる信者がたくさんいる、という非難を聞いたことがありますが?
神父 
しかし、直接調査することができないほど遠い国の事情につきまして、本当でない話も耳に入るものです。秘蹟に値段をつける司祭は、報告されますと、罰せられます。しかし、カトリック信者は、立派な結婚式をあげるには司祭も余程準備しなければならない、ということを十分知っています。例えば司祭は、婚姻する当事者のために、一晩か二晩を割いて教えなければなりません。それから、司祭はその人達の結婚するミサをたて、ミサがすむまで断食をしておらなければなりません。司祭は、またミサのオルガンひきや聖歌隊にお金を払わなければなりません。
青年 
それでは、司祭は謝礼を取らなくては、事実上、損することになりますね?
神父 
そうです。しかし、その時でも司祭は御ミサと秘蹟に値段をつけることは許されません。ですが、習慣により便宜上、教区内で、お礼のいわば相場が定められていることもあります。ですから、「結婚手数料はいかほどか」と万一問われることがありましたら、司祭は普通どの位いお礼があるかということを話してかまいませんが、これを強いることはできません。
青年 
神父さん、私がこういうことをお尋ねしますのは、せんさく好きな友達に正確な答えがしたいからです。
神父 
よくわかります。いろいろお尋ねになってもらうと、私はうれしい位いです。私達の方には何も隠さなければならないことはありませんし、又、私達のしていることは、常に賢明な理性の支持を受けているのですから。
管理人注
[1] 「全然問題になりませんと」
これは誤訳とまでは言えないけれど、しかし「問題」という言葉を「憂慮すべき事柄」と受け取りがちなので、ここは「もし妻の姉妹との結婚が妻の死後でも問題外であれば( “out of 眼中” であれば)」とでもした方が良かったのだと思います。ここでの「問題」という言葉は「関心の対象」という意味なので。
原文: If marriage with his wife's sisters is out of the question, even after his wife's death, ...(原書 p.127)
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