27 教会の維持
神父 
今夜は私は、お話を抜きにして飛ばしたいと思う問題をお話しなければなりません。それは公教会の第六の掟の問題です。カトリック信者はこの掟によりまして、教皇、司教、教区の財産上の負担を、相当に分担する義務を負わされています。
青年 
どうしてまたそれをお話になるのが嫌なんですか?
神父 
信仰に関連して金銭のことを話すことは嫌なものですから。
青年 
そういうふうにお考えになるわけがわかりません。公正な人は誰でも、教会堂や学校を建ててこれを維持しなければならないことや、司祭が食べたり着たりしなければならないことを当然認めて然るべきですから。
神父 
その通りです。事実、天主御自らが宗教の維持に関する掟を授けられました。天主はヘブライ人に、教会維持のため税を出すように命じられました。又、その初穂を求められました。
青年 
天主はどれほどの量を求められたのですか?
神父 
収入の十分の一です。
青年 
それは人の一ヵ月の給料を超えますね。
神父 
給料とは限りません。それに相当した物品で良いのです。たとえば、農夫からはオり−ブ油、果物、殻物の初穂を天主はお求めになりました。「油のよきもの、酒のよきもの、穀物のよきものなど凡て彼らがエホバに献ぐるその初の物を、我は御身に与えり」(民数記一八ノ一二)とあります。
青年 
その宗教を維持するために、そういう重い税が必要だったのですか? すべての人々は同じ宗教に属していましたし、従って、維持しなければならない礼拝所は(小さな町にいろいろな教派がある今日と違いまして)町に一つしかなかったはずですのに。
神父 
その産物の十分の一を出すことが必要だ、というのではなくて、宗教の恩沢に最高の価値を置かなければならないという大切な原理を、天主は強調なさったものと思われます。
青年 
それなら理由が良くわかります。
神父 
天主は人々に、その食料品の或るものを天主の光栄のために燃やしたり、油をこぼしたり捨てたりするようなことも命じられました。
青年 
それはどういうためですか?
神父 
殆ど同じ理由からです。彼等の刈取るよき実りが天主によるものであることを、深く悟らせようとお望みになったのです。
青年 
大抵の教会は負債に差し迫られていますが、それにも拘らす、今日の人達は、教会を維持するために収入の十分の一を出していないと思われますが?
神父 
中には実に気前よく出す人もいますが、中位いの給料取りは宗教のために、三パーセントも出しません。
青年 
もし私達が、万事にまさって天主が御心を寄せていられるこの問題を軽視しますと、恐らく天主は、御恵みを惜しみなく私達にお与えなさるということはないでしょうね。
神父 
当然です。私達は天主にいろいろなお願いを持っていますが、天主が私達に始終持っていられる御要求は、天主の御子がこの世にお出でになって死に給いました救霊という大目的を進める上に、私達もたずさわるということです。
青年 
小教区(聖堂区)が支払わなければならないきまった出費の細目は、普通どんなものですか。
神父 
先ず第一に、地所を買ったり家を建てたりする大きな出費があります。家は普通四戸で、聖堂と司祭館、学校、修道女の住いです。次はこれらの建物の家具です。最初の経費の三分の一以上も払うほどの資金を以て始める聖堂区はめったにありません。ですから、毎年利子を支払わなければなりません。保険もかけなければなりません。それから、光熱が、いつも大きな勘定です。その上、伝道師や学校の教師の手当、学校の経費、聖務に必要なものなどが加わります。
青年 
すべての信者が身分に応じた寄附をしなければ聖堂区を立派に運営して負債を少くすることは不可能である、ということはすぐ判りますね。伝道師や教師の俸給の少いことは知っていますが、失礼ですが、それはどの位いですか?
神父 
カトリック司祭の手当は、一例としてアメリカの平均は月七五ドルに足りません。大きな聖堂区におきましても、一〇〇ドルを超えることはめったにありません。学校附修道女は月に三〇ドルから四〇ドルまでです。
青年 
たったそれだけですって? それでどうしてやって行けますか? 商店の店員や印刷職人、鉄道工夫の方が司祭よりももっと沢山貰っていることになりますよ。
神父 
そうです。そして、司祭になるのに十二年もかかり、その間に学生は司祭が一生かかかって貯める金よりももっと多くの金を費します。
青年 
それで人は余程のことがない限り司祭になりたがらないのですね?
神父 
ええ、そうです。もしも、金を貯めたいのでしたら、中学校以上の八年間の勉強から得た教育を、もっと収入のある途に向けることができます。
青年 
神父さんはどういうふうにして生活していられますか。
神父 
そうですね、まず第一に、御覧の通り、私達は結婚している牧師ほどに金が要りません。第二に、信者が特別の目的で御ミサを献げる時や、結婚する時に、献金をしてくれます。もちろん司祭は家賃を払いませんし、光熱費は信者が払ってくれます。
青年 
しかし、小さい聖堂区では、献金は大きな額に上りません。
神父 
そうです。そして、大きな聖堂区でも司祭はそういう御ミサを月に五、六回しかあげることができません。そしてミサの御礼は米国では普通一ドルです。日曜日と祝日、それからその外に約三十日は、司祭は信者のために御ミサをあげなければなりません。
青年 
私は前に、御ミサは司祭にとり非常に大きな収入源だったという話を、友達から聞いたことがあります。
神父 
そのために司祭の収入が実際に増加しても、ミサは収入を増す目的のものではありません。御ミサの御礼がないとすれば、司祭の俸給はもっと多くなければならないのですから。
青年 
神父さん、あなた方司祭は甚しく世間から誤解されていますね。
神父 
ええ、実際そうです。それから、私達は妻子のため医者代を払ったり、帽子や靴を買ってやったりする必要はありませんが、その反面、自分で着たり、書斉の本を買ったり、賄費を出したり、貧しい人達を助けるいい模範を示したり、慈善事業を奨励したりしなければなりません。
青年 
そういうわけで聖職者は独身生活でなければならないのですね。
神父 
そうです。
青年 
それから、教区の聖堂の世話をする修道女はあんな少い金でどうして暮して行くことができるのですか?
神父 
ええ、この修道女達は家賃や燃料がいりません。それから、清貧の誓願を立てていて、自ら進んで貧しく暮し、食物と衣類に必要なもののほかは、一切受けません。何人かの修道女が生活を一緒にしまして、質素な食事がその主な出費の項目になっています。
青年 
修道女は司祭の家事をとっている、という話を絶えず聞きますが。
神父 
おかしな話ですね。修道女は滅多に司祭の処に行きませんし、司祭も修道女のところに行きません。それから、全部の修道女がいっしょになりますのは、休養の時間中だけです。
青年 
普通教会はどういう方法で維持しているのですか?
神父 
大抵のところは毎日曜日の匿名の寄附金によっていますが、月々の特別醵金のあるところもあります。
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