26 大斎と小斎
神父 
あなたは、カトリックは金曜日に肉を食べず、又、或る日は、殊に四旬節の期間中は、断食をしたり食事を控えたりすることを御存じですね。
青年 
ええ、ですが、神父さん、まだ私はその本当の理由は知りません。
神父 
これは公教会の掟の命令でして、聖書の中にある理由に基いています。又、常識の命ずるところでもあります。罪を犯した人は誰でも悔悛をしなければなりません。「改心せずば汝等もみな同じく亡ぶべし」(ルカ一三ノ三)とあります。ところで、悔悛をするにはいろいろな方法があるのですが、断食と食事を控えることが一番天主の御心に適う方法です。聖パウロがいたしましたように「肉体を懲してこれを服従せしむること」は、肉体の悪しき傾きを治す一番確実な方法です。全能の天主がお授けになりました一番最初の掟は禁慾でした。ユダヤ人は或る種類の肉を全然摂ることを禁じられていました。私達のかがみにましますキリストは、四十日の間、きびしい断食をなさいました。偉大なるモイゼと聖なる予言者エリアもそうしました。洗者聖ヨハネも悔悛(くいあらため)を宣べ伝え、民衆に同じ手本を示しました。キリストは弟子達が断食するだろうと仰せになり、断食の方法について立派な助言をお与えになりました(マテオ六ノ二六、九ノ一五)。教会は、信者が断食する時、キリストの御指図に従うよう注意しています。ですから、私達は過去の罪の償いをするために、断食と節食をします。これはまた、肉体の欲を制する意志を強めまして、心を自由に天主の御許にまで上げることができるようにするためにします。
青年 
教会の掟の裏にある理由は、実に強力なものですね。
神父 
特に毎金曜日が小斎日であります理由は、この日キリストがこの世のために死に給うたからです。前に述べた守るべき祝日中のどれかが金曜日とかち合う時は、金曜日にカトリック信者は肉を食べてもかまいません。教会は苦しみの精神よりもむしろ、喜びの心を以て祝日を守ることを望んでいます。これよりももっと感心される行いがあるのですが、お判りですか? カトリック信者はこの行いにより、毎金曜日、救世主がこの世にもたらされた贖罪に対する感謝を表すのですが。
青年 
いいえ、どうも判りません。すべての教派のキリスト信者がイエズスに、あまりそうしないのは不思議ですね。
神父 
或る祝日には、その前の日に、私はそのお祝いの準備として、大斎、小斎をします。この斎日は「祝日の前夜」(ヴィジル)といわれています。それから、四季の始めに、四季の斎日といわれている日があります。
青年 
四季の斎日といいますと、それはどんなことですか?
神父 
この日は普通、司祭を叙品するならわしになっていまして、信者は、一生をこの貴い務めに捧げようとする人々の上に、天主の御祝福のあらんことをお祈りします。これは「働く者を其収穫に遣わさん事を、収穫の主に願え」(マテオ九ノ三八)という救世主の御言葉による行いです。旧約時代のユダヤ人は、年に四回特別の断食をするならわしになっていました(ザカリヤ八ノ一九)。
青年 
カトリックの行いはみんな、教理と同じように、聖書の上に根拠があるのですね。
神父 
そうなんですが、私達のことを知らない人は、私達のことを非聖書的な教会だといっています。
青年 
大斎と小斎にはどんな違いがあるのですか?
神父 
「大斎」に関する掟は、大斎日に一回だけ十分な食事をすることを許しています。残りの二回の食事は、小量の食べ物をとってもかまいません。その分量と内容は、その地方で認められている習慣によってきまります。「小斎」に関する掟は、鳥獣の肉を使うことだけが禁じられています。
青年 
それでは、普通の金曜日は大斎日ではなくて小斎日ですか。
神父 
そうです。
青年 
大斎日はどの食事を十分にしてよいのですか。
神父 
昼食です。しかし、晩に十分な食事をする理由があれば、昼と晩とを取りかえてもかまいません。
青年 
それから、それ以外の食事はどれほどの分量が許されますか。
神父 
昼に十分食事をするとして、朝は極く少量に、晩は普通の半分の分量を越えない程度の食事をしても差支えないのです。
青年 
その食事はどういう種類の食べ物でつくるのですか。
神父 
肉の外はどんなものでもかまいません。
青年 
それでは、大斎日は同時に小斎日でありましても、小斎日は大斎日ではないのですか。
神父 
大体、そうです。
青年 
この前の講義の時、分別のつく年頃になったカトリック信者は、日曜日の御ミサにあずからなければならないというお話でしたが、七才以上の人はみんなこの大斎と小斎を守らなければなりませんか?
神父 
小斎の掟は守らなければなりませんが、大斎の掟はそうでもありません。
青年 
大斎の義務は誰が守るのですか?
神父 
二十一才から六十才までの人だけです。病身とか激務の為に特別の免除がある場合は別です。
青年 
教会は信者がこの掟の為に体を害うことを望んでいないのですね。
神父 
そうです。大斎が害になるとか、あまり困難な場合は、これと違った形の償いを以てこれに代えます。
青年 
食事の間がひもじいということだけでは、免除されないのですね。
神父 
そうです。信者が多少の不自由を経験することを教会は希望しています。そうしませんと、償いになりません。病人とか、体の弱い者、乳児に乳を授けている母親達は免ぜられます。それから、精神的又は肉体的激務につく人も、そうです。
青年 
大斎の代りに信者はどういうことをしなければならないのですか?
神父 
一家が揃って夜のお祈りを誦え、御馳走や享楽を止め、何等かの克己を行うように勧められています。たとえば、男はたばこをやめ、飲酒を控え、毎日ロザリオを誦えることができます。女は茶やコーヒーや、果物や菓子類を控えることができます。又、多くの人は、平日の御ミサにあずかったり、毎日「十字架の道行」をしたりすることができます。
青年 
カトリックでない人達は、カトリック信者がほかの社会の人よりもずっと天主と自分の霊魂のために益していることを知っているのですから、この人達を感嘆の目を以て仰がないということは、不思議なことです。
神父 
さて、教会のこの掟の説明はこれで終ったと思います。第二と第三の掟は、悔悛と聖体の秘蹟に関連して取扱われますので、ここでは説明せずにおきます。ですから、次の課目は、教会の第六の掟をお話しましょう。
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