23 第七誡と第十誡、正義と正直について
神父 
この前の講義では、第六誡と第九誡は互いに密接な関係があるので、二つを一緒にしましたが、今日も同じ理由から第七誡と第十誡を一緒に扱います。
青年 
どういう関係があるのですか。
神父 
そうですね。第十誡は、第七誡によって絶対にしてはならぬと禁じられていることをしようとする欲求を禁じています。単にチャンスがないから盗まないという人がいますね。第七誡と第十誡はどういいますか。
青年 
「汝盗むなかれ」と、「汝他人の持物をみだりに望むなかれ」です。
神父 
「望む」ということはどういうことか、あなたは御存じですか。
青年 
「ほしがる」ことです。
神父 
第七誡は盗みと盗みに等しいことを禁じています。窃盗、強盗、詐欺をすること、正しい負債の支払を拒むこと、取引上の契約を履行しないこと、他人の所有物を留めておくこと、人から法外な利子を取りたてること、役人の収賄などです。
青年 
天主はこの掟をお授けになりましたが、私有財産の所有を認めていられますか?
神父 
もちろんです。天主は私達に、他人のものは尊敬するように命じていられます。
青年 
社会主義者はこの掟を否認しているわけですか。
神父 
中には否認する者もいます。少数のものが殆どすべてのものを所有して、大多数の者が何も持たないということは、天主の御旨に反しますが、人が自分と自分の身内の者を養うだけの財産を所有することは、天主も認めておられます。人間が生存のための闘争で精一杯だと、永遠の目的がなおざりにされてしまいます。人間は大昔、創造された時から、自分の財産を持っていました。カインとアベルはそれぞれの持物を献げました。太祖等は厳かな祝福の下にその財産を長子に伝えています。
青年 
第七誡の違背は非常にありふれたことだと思います。殊に人はよく、だましたり、品物をごまかしたり、負債の支払を怠ったりします。
神父 
それは本当です。子供のコソ泥が増えたように思われます。これは学校の道義教育が欠けていることに原因しています。少年犯罪は大部分窃盗とカッパライです。ペテンという大掛りな窃盗行為も又増えて来ています。刑務所には大泥棒もいますが、その割合はほんの僅かなものです。
青年 
盗みの罪は、その罪人が賠償することを拒んでも、赦されるのですか?
神父 
いいえ、許されるためには真心がなければなりません。盗人はその品物か又はそれに相当した金額を、正当の所有者か、でなければその相続人に返えさなければなりません。
青年 
その人達を見つけることができない場合はどうですか。
神父 
その場合は、貧しい人に与えるか、慈善に献げなければなりません。不正によって利益を受けることは許されません。
青年 
盗人は自分で持主のところに行つて、自分の盗みを白状しなければなりませんか。
神父 
いいえ、金やそのほかどんなものであっても、郵便、使者、その他の方法で返してかまいません。品物がその正当の持主のところに返されれば、その人の責任は果されます。同じことが、他人の財産に加えられた場合についてもいわれます。その損害を修繕するか、できれば、その損害の金高を払わなければなりません。
青年 
お客をごまかした商売人は、将来、同じお客にはかりを多くして、その過ちを償ってもいいのでしょう?
神父 
ええ、その通りです。それから、帳場でごまかした商店員は、全部をかえすまで、少しづつ盗んだものを返してもかまいません。
青年 
盗人が貧乏になってしまって、盗んだ品物を返せない場合はどうですか。
神父 
もちろん、どうしてもできないことをしろというのではありません。しかし、できるようになれば、返す決心をしなければなりません。そして、もちろん、いつかこの責任を果すことができるように、節約をしなければなりません。
青年 
拾ったものは人に返さなければなりませんか。
神父 
所有者のところがわかれば、必ず返さなければなりません。
青年 
盗品を知らないで買った場合は、どうなりますか。
神父 
その場合でも、正当な持主がわかっていれば、それを留めておくことは許されません。事実買ったその人は損害を蒙りますが、しかし、盗まれた人ほどのことはありません。その品物は真実の所有者が権利を捨てない限り、その人に属しています。
青年 
「正直は最善の策」なんですね。
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