20 第四誡の命令
神父 
あなたの御両親は御達者ですか?
青年 
母はいません。四年前に亡くなりました。
神父 
それでは、両親の御恩を十分わかる年になるまで、お母さんは生きていらっしゃったのですね。
青年 
ええ、神父さん、いい母でした。母が私にしてくれた苦労や犠牲を、十分感謝し損なったことが残念です。母が亡くなるまでに、少しでも御恩返しができていたなら、とよく思います。
神父 
それでは、あなたは「汝父母を敬うべし」という第四誡の中に現わされている天主の掟が当然であることは、おわかりですね?
青年 
もちろん、当然だと思います。
神父 
天主は第四誡を以て、子供に、両親を愛し、敬い、罪にあらざる限り万事において両親の意に従い、必要の場合は両親を扶養せよ、と命じていられます。御存じのように、両親は、子供に関しては天主の代理をします。子供は食物や住い、衣服、教育、病気の時のお世話を両親に仰がなければなりません。徳育も同じです。こういう恩恵によりましてもちろん両親は子供の愛と感謝を受ける値打があります。そして、両親はその代りに、万一困った場合には、子供が働けるようになった後なら、物質上の扶助を子供から受けられます。
青年 
こういう掟の命令は確かに正しいですね。
神父 
第四誡に対する罪はただ不服従だけである、と考えている青年が非常に大勢います。また、親が子供に慰めと扶助を求めなければならない場合、それを、厄介でしようがない重荷のように考える青年が大勢います。彼等は、自分が成年に達すると、親の権威と両親の権利は終るのだという誤った考えを持っています。ですが、これは本当ではありません。終るのはただ両親に対する厳重な服従だけです。愛はそのままでなければなりません。尊敬は続かなければなりません。必要な扶助はやはりしなければなりません。
青年 
お話のように、両親が天主の代理をするものでしたら、服従は、天主が両親にお伝えになった権威そのものによって命じられている、と思いますが?
  全くその通りです。すべて正しいことについては、子供は両親に従わなければなりません。両親が天主の代理をしないこともあります。たとえば、子供に、天主や教会の禁じていることをせよ、というような無茶な両親です。この場合は、服従しては間違いです。「我等は人に従うよりは神に従わざるべからず」(使徒行録五ノ二九)だからです。
青年 
万一両親が死ぬようなことがありますと、誰かほかの、両親の代理をする人が、全能の天主の権威の代理をするのですね?
神父 
そうです。教師や保護者などが子供についてその代りをします。天主は、権威のあるこれらの人に対し、子供ばかりかすべての人が相当の尊敬を払うことを求めていられます。雇人は主人を尊敬しなければなりません。労働者は雇主との契約を尊重しなければなりません。「さらば、セザルのものはセザルに帰せ」です(マテオ二二ノ二一)。次に、天主を代表する霊的な権威があります。すべてのカトリック信者は喜んでこれを敬いこれに従わなければなりません。それは、キリストの代理者にして全教会の支配者たる教皇、教区の司教、小教区の司祭です。「汝等に聴く人は我に聴き、汝等を軽んずる人は我を軽んずるなり」(ルカ一〇ノ一六)というように、これらの権威者に従わなければなりません。
青年 
両親は子供について天主の代理をするのですから、もし両親がその地位の義務を果しませんでしたら、罪になりますか?
神父 
もちろんです。子供は天主のことを知る権利を生れながら天主から与えられています。ですから、両親は、天主のことと、人になり給うた天主の愛とについて、子供に教える義務があります。子供に祈りを教え、子供を、キリス卜教教育を授ける学校にやらねばなりません。両親は、子供の肉体上の世話を見るほかに、子供にいい手本を示さなければなりません。自分も教会にお詣りして秘蹟にあずかり、お祈りをし言葉を慎むなど、いろいろな模範を行わなければなりません。
青年 
子供が親不孝なのは、親に責任がある場合が多いのではないでしょうか。
神父 
残念ながら、そうです。多くの親は、学校ばかりに教育の責任を頼んで、自分では学校に協力をしません。今日は、子供が親に従うよりも、どちらかといえば、親が子供に従っています。
第四誡は、子は両親を愛せよ、決して故意に親を悲しませてはならない、両親を打ったり呪ったりするな、両親の要求する正しい事にはいかなることでも喜んで服従せよ、年取ったらこれを慰め、両親を恥とするな、と命じています。全能の天主は、親に尽す子供には、この世でも報い、義務を果さぬ子供は罰する、と約束しておられます。それから、私達は霊的なものはもちろん、公の正しい権威に対してもすべて、それ相当の敬意をいつも表わさなければなりません。「権にして神より出でざるはなし」ですから(ロマ一三ノ一)。
青年 
国民はどの程度まで公の権威に従わなければならないのですか?
神父 
大体、国民はすべて公の統治者に従わなければなりません。その人々は、選挙されてその地位に就いた場合でも、その統治する権力は、すべての権力の源である天主から出ているからです。国民は納税や、社会の健全な道徳状態を増進する為にできるだけのことをして、地方庁や中央政府を喜んで支持しなければなりません。ですから、国民は私心をすてて投票をし、必要とあらば国家の権利を防衛しなければなりません。こういう義務が国民の側にあるのですから、公務員の側も、その権力を行使しすべての人の福祉を増進するに当って、万人に対して公平な態度を取る義務があります。
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