「汝もし生命に入らんと欲せば掟を守れ」(マテオ一九ノ六)
第一 我は汝の主なり、我を唯一の天主として礼拝すべし。
第二 汝、天主の名をみだりに呼ぶなかれ。 第三 汝、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。 第四 汝、父母を敬うべし。 第五 汝、殺すなかれ。 第六 汝、姦淫するなかれ。 第七 汝、盗むなかれ。 第八 汝、偽証するなかれ。 第九 汝、人の妻を恋うるなかれ。 第十 汝、人の持物をみだりに望むなかれ。 (出埃及記二〇ノ一〜一七、申命記五ノ六〜二一)
公教会の六つの掟
第一 主日と守るべき祝日とを聖としミサ聖祭にあずかるべし。
第二 少なくとも年に一度は必ず告白すべし。 第三 少なくとも年に一度は御復活祭の頃に聖体を受くべし。 第四 定められたる期日に大斎を守るべし。 第五 金曜日およびその他定められたる期日には小斎を守るべし。 第六 各々の分に応じて教会維持費を負担すべし。 |
神父
|
天主の「掟」(誡め)についてお話を始める前に、この掟が防ごうとする対象、即ち罪についてお話すべきだと思います。あなたは既に、原罪とはどういうことかを学ばれましたが、全能の天主が大小の罪をどういうふうに見ていられるか、ということを知ることは、もっと大事です。この罪は私達が天主の掟を破ることによって犯します。知りながら、自由意思を以て、思、望、言葉、行い、怠りによって犯す罪は、「自罪」といわれています。これは、天主の掟によって命ぜられている善い行為をなし、或いは禁じられている悪い行為を避ける際に私達自身に手落ちがあるからです。
|
青年
|
自罪の正しい定義はどういいますか?
|
神父
|
「自罪とは天主の掟を、知りつつ自由意志を以て違背することなり」これが恐らく一番いい定義でしょう。
|
青年
|
それでは、天主の掟を、知らずして違背した場合は罪になりませんね。
|
神父
|
なりません。人間の定めた法律を執行することを職業としている人は、「知らなかった」という弁解を認めませんが、全能の天主はお認めになります。人の法律は外面的な行為だけを処理しますが、天主は心を御覧になります。そして、天主の掟を知らず、且つ天主に背く意志がない場合は、天主はお怒りになりません。
|
青年
|
罪の中に軽重があると思いますが・・・。
|
神父
|
それは十分明らかなことです。天主の掟に対する重大な罪は、「死に当る」罪(大罪)、それより小さい罪は、「赦され得る」罪(小罪)といいます。
|
青年
|
すみませんが、その言葉の意味を説明して下さいませんか?
|
神父
|
「死に当る」という言葉は「命にかかわる」という意味です。大罪は霊魂の超自然的な生命を失わせ、私達と天主との交わりを断ち切ります。「赦され得る」罪という意味は、この罪は比較的容易に赦されるからです。小罪により、私達は天主の友たることを止めはしないからです。小罪は、大罪と同じように悔悛の秘蹟によって赦されるばかりではなく、痛悔と愛の行いによっても、また御聖体の拝領によっても赦されます。
|
青年
|
どういう場合に大罪になるのですか?
|
神父
|
したことや、なおざりにしたことが重大な事柄である場合、完全に意識し、完全な意志の承諾を以て罪人が行った場合に大罪になります。
|
青年
|
その意味は、非常に悪いことを行うのであるが、その悪さを十分自覚せずにするとか、これに完全な意志の承諾を与えないでする場合には、大罪にはならない、という意味ですか?
|
神父
|
その通りです。したり、なおざりにした行為が「大罪」になりますには、その前に三つの条件が全部みたされなければなりません。このことは天主の掟を一つ一つお話するに従い、もっとはっきりして来ます。
|
青年
|
小罪はどんなものですか?
|
神父
|
罪は次の二つの場合に小罪になります。(一)行った悪が重大な悪でない場合と、(二)行った悪が重大な悪ではあるが、罪人がまじめに、これを些細な悪に過ぎないと信じたとか完全な承諾を与えなかった場合、です。こういう罪は、天主の奉仕に対する私達の熱心を冷し、大罪に対する抵抗力を打ちこわしてしまいます。
|
青年
|
人々の中には、天主は非常に偉大な御方でありますから、天主の遥か下にある私達のすることには頓着し給わない、ということを理由にして、天主の掟を破ることを軽く見ている人もいるでしょぅね?
|
神父
|
ええ、います。しかし、そんなことは正しい理由になりません。「天主の子」と呼ばれる人は私達のあるものだけですが、私達はみんな天主に責任を負うている被造物です。私達は絶対に天主に属しています。私達は天主にお仕えするために作られました。天主の偉大さと完全さには限りがありませんから、罪を見て天主がこれに無関心であらせ給うことはできないということは、明らかです。あなたは憶えていられるでしょぅが、天使が天主に背いた時、その天使は即座に罰を受け、それからずっと罪の結果に苦しんでいます。
私達は罪の重さを量るには、罪によって犯される人のえらさを以てします。天主は偉大さを量ることのできないほど偉大ですから、大罪の重さも量ることはできません。 |
青年
|
罪のことを「謀反」とおっしゃいましたが、罪は常にそうですか?
|
神父
|
或る意味ではそうなります。天主は私達のいるところにはどこにでもおいでになるからです。そして、私達が天主の御前で、故意に天主の御旨にそむいて行動しますと、私達の行為は謀反の性質をとります。これはことに大罪の場合にあてはまります。
|
青年
|
もし大罪が超自然の生命を破って、その上、天主の大きなお怒りのもとになるのでしたら、その罪人は自分で自分を地獄の罰を招くのだ、と私は思いますが。
|
神父
|
そうです、キリスト教は一番初めからそう教えています。そして又常識の教えでもあります。大罪を犯す人は、抜け出すことのできないことを承知してその穴に、自ら飛びこむような愚をします。且つ又、聖寵を拒み、敢て天主にそむいてまで霊魂が肉体を離れた以上、人の霊魂が永遠に生きている以上その霊魂が褒賞の場所である天国に入れないことは、明らかです。既に学んだように、地獄の最大の罰は、天国を失い、天主を見奉れなくなるということです。悔い改めをしない罪人は天国に入る資格を自分で失います。罪の重大な結果からして、私達は罪の近い機会を、いいかえると、容易に私達を罪に導く一切の人や場所や物を、避けなければなりません。
|
青年
|
大罪の痛悔をせずに死ぬ人が地獄に落ちるのでしたら、小罪を痛悔しないで死ぬ人は煉獄に落ちるのですか?
|
神父
|
あなたのお考え通りです。大罪は地獄で罰せられます。そして、小罪の状態で死ぬ人や、大罪を赦されたがその償いを十分に果さずに死んだ人は、煉獄に行きます。
今回はこれで終りますが、その前に次のことを御注意申しあげます。大罪により、これまでの私達の功徳はすべて台無しになるのですが、悔悛の秘蹟によって大罪が赦されると、元の功徳が回復します。 |