4 キリストの御生涯における主な出来事
神父 
今夜はキリストの御生涯のことを、少くともその重要な出来事をいろいろお話するつもりです。私達の講義の大部分はキリストとその御教え、私達に仰せにかられたことなどに関係しています。主が真の天主にましますことはすぐ証明されます。ですが、その前にこの世においでになりました時の主の御生涯について、どれくらいあなたは御存じでいられるかお尋ねしてみたいと思います。
青年 
多少は知っています。あなたのお話の後で聖ルカの福音書を読みましたから。
神父 
私達はキリストについての歴史上の知識は主に聖書という本から得ています。この本が天主の御言葉であるということのほかに信頼すべき歴史的記録であるということは、証明することができます。この聖書は主が公の教えを始められました三十才までのことは、僅か二三しかのせていません。ですから、聖書の殆ど全部は主の三十から三十三までの主のことや御教え奇蹟などに関係しています。主はどこでお生れになったか御存じですか?
青年 
パレスチナのべトレヘムという小さな町の近くです。ですが、神父様、マリアはナザレトにお住いではなかったのですか?
神父 
そうです。あなたは救世主御誕生当時のいたましい御環境のことは御存じではないようですね。キリストが天より御出でになりましたのは、人類に教えたり、人類に救霊に達する為の天からの助けを授けたりするためばかりではなく、御苦難によって罪を償うためにお出になられたのである、ということを忘れてはなりません。そして、主はこの御苦難がこの世に御出になると同時に始まって十字架上のはげしい御苦しみのうちに御死去なさるまで、ずっと続くように望まれました。ですから、主が家から離れたところでお生れになる──ベトレヘムの町の外の馬屋洞穴でお生れになるということは、はじめから取り図らわれていたのです。その日のこの町は、ヨゼフやマリアのように、戸籍調べに名前を登録するため来ていた人達でどこもいっばいでした。当時の戸籍調べは、我が国で今日行われているような調べ方ではありませんでした。調査員が報告をとるために家々を廻るということをしないで、人民が「県庁所在地」とでもいうべきところに行って登録したのです。べトレヘムはヨゼフの行かねばならなかった町でした。マリアは一緒にお出になり、この用事で家を離れていられるうちに、キリストの御出生ということになったのです。救世主の御誕生に天主はどういう御気持を御示しになられましたか、あなたは御存じですか?(ルカ二ノ一〜一〇)
青年 
羊飼いに対し天使の出現したことや、秣槽の中のイエズスを崇める為に無数の天使が天から降ったことをおっしゃるのですか?
神父 
そうです。そして、天使は、この事は天主に栄光を与え、地には人々に平安を与えるだろうといいました。天主がこの地上でふさわしい尊敬を御受けになられましたのは、創造の黎明以来これが最初のことでした。無限の尊敬でした。そしてこれによりまして天主と人類との間の平和の道が開かれました。
青年 
これまでにありましたあらゆる戦争を、あなたはどういうふうに説明されますか?
神父 
今なお天主に背いている人達の悪い意志を以て説明します。ですが、戦争がないということは、天使の申しました「平和」ということではありません。人の心の中の平和、お互いが兄弟のように愛し合う場合の多くの人々の間の平和を天使は言っているのです。
青年 
天主の御子は、御誕生の後三十年以上もはずかしめや御苦しみを御受けにならなくても、ただ人の性をおとりになられたということだけで十分ではなかったのですか?
神父 
人間を救うためには十分だったでしょうが、天主の愛を満たすためには不十分でした。天主は人間に対して持っていらっしやる無限の愛の証拠をお示しになろうと御恩召しになり、又、罪の恐しい害について教訓を私達に強く銘記されようとお考えになっていられました。キリストがお生れになりますとすぐ主の死の陰謀がめぐらされました。その当時ユダヤを支配していたへロデ王は、イエズスが地上の王になって彼を王位からしりぞけるのではなかろうかと恐れまして、幼子のイエズスを確実に殺す方法としまして、幼児全部の虐殺を命じたのです。マリアとヨ ゼフはそういう天主の警告を受けて、幼子と一緒ヘロデの怖しい怒りを避けました。エジプトに渡り、そこで数年間異教徒の中で暮すというひどい御苦しみに堪えられましたが、又、この上もないひどい貧窮をなめられたようです。実際キリストはこういうことは全部なさらなくてもよかったのですが、これは人間の罪のあり余る御贖いをなさる御計画の一部だったのです。ところで、次に聖書の話ではキリストのことでどういっていますか?
青年 
十二才の御時御両親といっしょにエルザレムへお上りになられましたことがのっていたようですが。
神父 
そうです。そして御両親が家路におつきになりましてからも三日間そこに留り給うたことがのっています。主はわざと自分から御両親と御離れになったのです。
青年 
どういうお考えでそうなされたのですか?
神父 
救世主はいつも人々に、たとえ近親や極めて親しい人々を軽んずることになる場合でも、主の「御父のこと」は万事にこえて留意しなければならないということを、お教えになろうと望んでいられました。天の御父は、この機会を利用して、ユダヤ人達が待ちのぞんでいたメシアが今や出現する時であるということを、イエズスをしてユダヤの律法学士達に神殿で証しをおさせになろうとなさったのです。キリストが私達すべてのものに、天主の家で喜んで時を送らなければならないということを、お教えになることも、神父の御旨であったのです。
青年 
ですが、ヨゼフとマリアがイエズスのいらっしゃらないことを何とも思われずに遠くまでお出になりましたことは、わけがわかりませんが?
神父 
エルザレムの町は、当時の殆どすべての町はそうだったのですが、城壁を取りめぐらしていまして、それぞれの門から地方へ行く道路が通じていました。そして、普通男女は別々の団体になって行くならわしでした。ヨゼフは男の方に、マリアは女の方におられました。子供は両親のどちらとも一緒にゆくことができました。それで、ヨゼフは、きっとイエズスはマリアと御 一緒におられるものと思われ、マリアも、ヨゼフと一緒におられることと思われたのですが、最後に終日お歩きになってから或る場所で落ちあわれました。そこでイエズスがどちらの側にもついておられないことに気づかれまして、すぐ一緒にエルザレムに御引き返しになりました。恐らく、こういう顔かたちの子供を見かけなかったかとお尋ねになりながら、家毎に立ちとどまられ たことでしょう。御両親は「悲しみつつ」主をお探しになりましたが、その甲斐もなく最後に神殿におかえりになりましたところ、イエズスが非凡な知恵を以て、旧約聖書などによく通暁していると思われている人達を教えていられました。イエズスが一つの目的の為にそこに残っていられましたのは天主の聖旨でありますが、御両親と御一緒にお帰えりになりまして、両親に対する服従と尊敬の教訓をお教えになりましたのも、天主の聖旨であります。事実、聖書はイエズスの家庭生活を、「両親に順い事え給う」という言葉でまとめています。その後のイエズスにつきましては、何ともいわれていません それはいつまで記されていませんか?
青年 
それは、私の記憶に間違いがなければ、ヨルダン河のほとりで聖ヨハネから洗礼をおうけになられた時までです。その後で主は四十日聞荒野で断食の時を送られました。キリストは御自身を非常に厳しくなさいましたが、それはもちろん私達のためになさったのですね、神父さん、主御自身としましてはそういう難行をなさいます必要は、全然ないのですから。
神父 
おっしゃる通りです。それからキリストはどういうことをなさいましたか?
青年 
三年間に及ぶ公生活をお始めになりました。
神父 
その通りです。その期間中の主の御目的は、真の教師になって接し給う人々を助け給うということよりも、御自らの神性をあらわしまして、世の終りまですべての国の人々の教導と聖化のための道をお備えになる、というところにありました。この事はあとでお話しましょう。イエズスが御自らの天主にましますことをお示しになりました方法を何かあなたは知っていられますか?
青年 
知っています。ただそれが信じられれば良いのですが。
神父 
これはびっくりしますね。あなたは前に、キリストは人の形をおとりになった天主の御子にましますことを確信する、とおっしゃったではないですか。
青年 
そうです、神父さん。又、私は今それを疑おうとしているのではありません。
神父 
要するにあなたは疑っていられます。主が水を葡萄酒にお変えになったり、パンをふやしたり、盲や足なえ、つんぼ、唖をお癒しになつたり、死人を蘇らしたりなどのようなことをなさいましたことを、信じてよいのかどうかあなたにわからないからです。
青年 
キリストが天主にましますなら、宇宙をお創りになることができましたように、そういうこともおできになられたでしょう。ですが、私は奇蹟というようなものはない、ということをよく聞いています。
神父 
それではあなたは、キリストが事実御自ら奇蹟を行い給うた事を信じたくないのですね。キリストの神性と奇蹟の証明のことは、次の講義までそのままにしておきましょう。只今のところは、聖書は真実の歴史を述べているとしておきます。キリストの死について聖書はどういっていますか?
青年 
御自ら死につき給い、精神上の苦しみの為に血の汗をお流しになり、鞭打たれ、茨の冠を頭にかぶせられ、嘲弄され、罵られ、十字架を負うてカルワリオ山に赴き、十字架に釘づけられ、盗人の間にかけられ、三時間のひどい御苦しみの後に死に給うたとあります。
神父 
御死去の後はどうですか?
青年 
再び蘇って四十日の間この世においでになり、それから天にお昇りになりました。
神父 
御死去の時、御霊魂はどこへおいでになりましたか?
青年 
使徒信経には、古聖所へお降りになったとありますが、理解できません。
神父 
ええ、それには少し説明がいります。天国はキリストの御死去の時まで、すペての人に鎖されていました。主の御来臨前に聖なる一生を送り、来り給う救い主を信じ、己を主に奉献した人々は滅びない、ということを、あなたは前に勉強されましたね。その人達の霊魂は天国にも地獄にも行かないのですから、善人の行く場所が別になければなりません。そこではその人達は幸福ではあるのですが、天主を見奉るという超自然の天国を楽しむことはできませんでした。彼等のことを聖ペトロは「牢獄の霊魂」といいました。この人達に、今や彼等は救われた、天国は用意されている、という幸福なしらせをお伝えになりますために、キリストはそこへお降りになったのです。使徒信経はこの場所のことを、「古聖所」という言葉で表しています。
青年 
最後にお尋ねしたいことがあるのですが、使徒信経に、キリストは「全能の父なる天主の右に座し」とあるのは、どういうことですか?
神父 
その言葉は、天におきまして、キリストは天主として全能の父なる天主と御力を等しくし給い、人としましては、すべての聖人にこえて御父の力と光栄に与り給う、という信仰を表しています。このことはこの世に住んでいた一切の人を主が御裁きになります最後の日に、すべての人にとくにはっきりします。
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