神父
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ところで、前講義はどこまででしたかね? どうも教えを受けに沢山の人が来るものですから、すぐに忘れてしまいます。
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青年
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ええ、原罪の状態に生れて来る人が、成聖の聖寵をいただくことによりまして、天主の御友情を回復することがどういうふうにしてできるようになったか、ということを説明するとおっしゃいました。
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神父
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やあ、そうでした。この講義で、天主は限りなく仁慈にましまし、愛にみち、情深いお方であることがわかります。ですが、この問題を正しく理解しますには、三位一体のことを多少知っていることが必要です。あなたはこの言葉の意味を知っていますか?
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青年
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いいえ。
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神父
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これは天主は一つにましまして、その中に、父たる天主、子たる天主、聖霊たる天主とよばれる三つのペルソナがある、ということです。
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青年
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唯今のお話に全然判らないことが二つあります。それは(一)天主がペルソナであるということです。私は被造物だけがペルソナ(人格)であると思っていました。それから(二)一つの天主が三つであるということです。
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神父
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あなたの最初の問題にお答えしますには、まず、人間ばかりか、全て霊なるものは、智性と自由意志を持っていますのでペルソナ(位格)である、という事に注意せねばなりません。ですから、天使はペルソナであり、又天主も同じです。私達人聞も同じように智性と自由意志を持っていますので、それだけでペルソナです。ですから、私達の人格は本来霊魂とその理性及び自由選択の能力から由来するのです。もし私達がこの肉体だけでペルソナになるのでしたら、獣も人格になる事でしょう。
第二の問題の方は、まだあなたは全然教会の教えを理解していられませんね。天主は本性上一つです。しかも三つのペルソナともこの神性をもっています。 |
青年
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すみませんが、もう少しはっきり話して下さいませんか、とても私の頭では考えられません。
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神父
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なにもびっくりするようなことではありません。あなたばかりか、私や最大の神学者でも、キりストが三位一体についてお示しになりましたことを、十分に理解することはできません。これは、私達の十分に理解し得ない御啓示が幾つかあるその中の一つです。天主の御本性は、創られたものの智性を以てしては十分にこれを理解することはできません。智力に限りある被造物が天主を十分に理解することができましたら、天主はもはや天主でなく、又天主は無限ではなく、有限になってしまいます。これは私達の理解し得ない幾つかの信仰の教義の一つである、と私は言いましたね。本性において私達の理解し得ない無数の事物があることを考えますと、超自然の秩序の中にも非常に沢山な不思議がありそうに思われますが、そう沢山ありはしない、ということは、ちょっと変かも知れませんね。とにかく、三位一体は天主の御言を信じて、しかも理性で十分に理解し得ない一つの玄義、真理であります。
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青年
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聖書は三位一体のことをどこに述べていますか?
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神父
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ヨハネ第一書簡の第五章第八節に「天に於て証するもの三つあり、霊と水と血と是なり。この三つのものは一に帰し給う」とあります。キリストは使徒達に「父と子と聖霊との御名によりて」(マテオ二八ノ一九)洗礼を授けよと御教えになりました。それから、マルコ伝の第一章、第十一、第十二節に、キリストが洗せられ給うた時、聖霊が鳩の形でキリストの頭上に現れ、聖父が「汝は我が愛子なり」と宣うたとあります。こういう聖句の中に三つのペルソナのことが述べられています。
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青年
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それでは、それは別々のペルソナのようですね。
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神父
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そうです。これはお互いに異った三つのペルソナです。聖父は聖子ではありません。又聖霊は聖父でもなければ聖子でもありません。(私達の霊魂の場合にも、悟性は、意志でもなく、記憶でもありません。しかもこの相異った三つの力は、どれも霊魂そのものの本性に属しています。)ですが、このことは、前に申しあげましたように、理解しょうと努める必要はありません。又、その三つのペルソナと神の一体との関係を私も説明できません。とにかく、私達は、三つのペルソナは同じ一つの天主でいられますから、お互いに完全に等しいお方であり、又、どれも同じ一つの神性を持っていられますから、同じ一体の天主に在す、という事を知っています。
さて、これで約束の講義を始めることができます。人類の始祖のアダムが罪を犯しまして、天主の御友情と聖寵を失うということに私達すべてのものが巻きこまれましてから、天国は人類に向って閉ざされてしまいました。それは、これまでに勉強しましたように、天主を見奉ることができますためには、成聖の聖寵を持っているということが条件の一つであるからです。もし天主が全然御あわれみを御示しになりませんでしたら、アダムとエワは、自ら進んで同じ罪を犯したのですから叛逆の天使と同じように、永遠にみじめな運命に遭ったことでしょう。しかし、私達の最初の親達は、外部からの原因に誘惑されたものでありますし、現実に罪を犯していない将来の無数の人間がこれに巻きこまれるという問題がありますので、天主はその無限の御あわれみを以て、人類の救霊の為に道をお開きになられました。 |
青年
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たしかに一つのなぐさめですね。
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神父
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そう、私達にとりましては一つのなぐさめですが、これを完成なさいます為に、天主は大変な犠牲を払われたのですよ!
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青年
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大変な犠牲をお払いなったんですつて! 人間を赦してそれでおしまいにするということは、天主におできにならなかったのですか?
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神父
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おできになりました。しかし、天主は正義そのものでいられますし、又、罪に対して無関心でいることはおできになれないものですから、正義の要求が満たされるという事が必要だったのです。罪が完全に償われる事を要求されたのです。しかし、アダムはそれができませんでした。
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青年
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アダムはどうしてそれができなかったのですか? 罪を犯したものは痛悔によってそれを償うことができそうなものですね。
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神父
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いや、理性と自由意志を与えられている被造物は、天主に対して背くということはできますが、その罪を償い得るものは、無限に貴いお方だけです。
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青年
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私にはわかりません。
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神父
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では、こうです。罪は、その罪を受ける御方が貴ければ貴いほど大きくなります。それで天主に対する罪の中に含まれている侮辱は、侮辱を受け給う天主の大きさと貴さを以て量られます。そして、天主の貴さは無量無限です。人間の善業はどんなものであっても、限りある人間の能力より優るということはありませんから有限です。そして人間の最上の善業でも、天主が厳格な正義を以て見られますものと比較すると雲泥の差があります。
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青年
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わかりました。人間は払うべき無限の負債があって、しかもお返しする方法は有限なんですね。
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神父
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その通りです。三位一体の第二のペルソナにまします天主の聖子は、童貞聖マリアよりお生れになります時、人の性をおとりになりました。天主の聖子は必すしも人ではないのですが、御託身の時に人になり給うたのです。この「御託身」という言葉は、天主の御子が天主としてそのままマリアの御胎内で私達と同じ肉体と霊魂を御取りになられた、ということです。ですから、イエズス・キリストは聖父と同じ神性を持っていられますので、真の天主にましまし、又、マリアの御子として私達と同じ肉体と霊魂を持っていられますので、真の人です。キリストは人となり給うて、人類の罪にふさわしい償いをこの世で天にまします御父にお捧げになりました一人の人──三位一体の第二のペルソナ──であります。こういうわけで私達はキリストのことを全人類の救い主と申し上げるのです。キリストが罪の償いをなさいますと、この償いは、天主の御尊厳を犯しました罪が無限であると同じょうに、無量無際限のものになります。聖ヨハネは三位一体の第二のペルソナのことを「御言」といっています。又、「御託身」のことをこういうふうに述べています。「元始に御言あり、御言は神と偕に在り、御言は神にてありたり。……斯て御言は肉と成りて、我等のうちに宿り給えり」(ヨハネ一ノ一〜四)
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青年
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それはたしかに天主の御いつくしみと御憐みですね。人間には本来これをいただく価値はありません。この地上で「キリスト」といわれていられた御方が人となり給うた天主の聖子なのですか?
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神父
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その通りです。
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青年
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ですが、アダムとキリストの御時との間には数千年も経っていませんか?
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神父
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そうです。時を計算する聖書の方法に従いますと、四千年以上になります。
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青年
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そうしますと、その間にいたアダム、エワの子孫は全部天主の御償いの御利益にあずかったのですか。
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神父
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そうです。天主はアダムとエワに救世主のことを御約束になりました。それからその後におきましては、他のものを──予言者を通じてこれをなさいました。そして前以て御来臨になられる救世主を信仰し、又他の条件、たとえば掟を守るというようなことを果すならばという条件で、キリストの御贖いの御功徳をその人達の霊魂に施されました。
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青年
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それでキリストの新しい面がわかるようになりました。キリストはいかなる御方かということや、その御業績はこれまで全然私にはわかりませんでした。そういうわけでマリアも又貴い御方になりますね?
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神父
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そうです、あなたはものの道理にふさわしい感覚を持っていられますが、嬉しいことですね。永遠の昔に、天主の聖子が人になり給うとおぼしめされました時、御自分の肉と血をおとりになる一人の方(母)をお考えになっていられましたということは明らかなことです。そのお方はその威厳においてこれまでの被造物も持たなかったような価値がなければなりません。ですから、主はこの方の霊魂をお創りになられます時に、御自分の贖いの御功徳をこれに適用され、そして、原罪をお除きになりました。主が罪を贖われますために人性をおとりになるときその御母になる方が、罪のためにけがれているということは、ふさわしいことではありません。あなたは私達がマリアの無原罪の御孕りということを話すのをお聞きになられるでしょうが、これはマリアがお孕りになられました時、その存在の最初の瞬間から、原罪を免れていられた、という私達の信仰を表しています。
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青年
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無原罪の御孕りは「処女懐胎」と同じことですか?
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神父
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いいえ。マリアはほかのすべての人間のように、人たる両親の自然の道によってお生れになりました。「処女懐胎」はキリストだけの場合です。主の肉体が聖霊によって処女の胎内に形作られたからです。(ルカ一−三五)
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青年
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あの「天使祝詞」という短いお祈りの意味がよく判りました。その中でマリアの事が「聖寵みちみてる」といわれていますね。
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神父
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そうです。それはマリアに貴い召命を知らして天主の御旨に従う旨の同意を受けとるために、全能の天主から遣わされたガブリエル大天使の言葉です。この事はルカ聖福音書の中にありますからお読み下さい。その中に、マリアは童貞女であった、そしてすべての女の中で祝せられる、と録されています──それはマリアは原罪がなく、又、天主の御子の母としてすべての女の中から選ばれたからです。又、その中に、マリアは天使の御告をうけてためらったということが記されています。彼女にはどうして母になるのか、どうして天主に献げられた処女のまゝで、永久におることができるのか、ということがわからなかったからです。それで天使は、奇蹟によって、聖霊によって孕り「至高者の子」と呼ばれる御子を生むのである、ということを知らせました。使徒信経はこの玄義を「聖霊によりて宿り、童貞マリアより生れ」という言葉を以て表しています。それでキリストには、人たる父親はなく、マリアの夫であつた聖ヨゼフはキリストの保護者、養父なのです。
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青年
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神父さん、あなたはこの講義の初めに、天主は御いつくしみと愛にみちた天主であるということを話そうとおっしゃいましたが、たしかにそうですね。私はこの勉強を決してやめようとは思いません。天主はこれまでよりもずっと偉大な貴い御方のように感じられて来ましたが、又、同時に、私はもっと天主に親しくなったような感じがします。天主は私に深い御心を持っていられるように思われて来ました。
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