1 キリスト教信仰の基礎
青年 
神父様、今晩は。第一回の準備をして参りました。
神父 
今晩は、さあ、どうぞ。私が申しあげましたように、天主のお導きをお祈りなさいましたか?
青年 
はい、自分流に天主のお導きをお祈りして、天使祝詞と主祷文と使徒信経を暗記しました。ほかの「誦」という方はまだおぼえていません。
神父 
大した進歩です。「誦」は毎日一回お読みになって憶えて下さい。もちろん、自分の口で言わねばなりませんね。
青年 
私がこれからお受けする講義には何か特別の順序があるのですか?
神父 
そうです、あります。そうしませんと、どこまで進んだのか判りません。私達の話は、(一)信ずべき事柄、(二)天主の律法、即ち掟、(三)人間の救霊のためにキリストがお備えになりました助け、を述べることになりましよう。即ち、教会の信者は、キリストのお教えになりましたことを全部信じ、天主の律法に従い、キリストの立て給うた聖寵を受ける方法を用いなければなりません。
青年 
私の講義は一番初歩から始めていただいた方がいいと思います。
神父 
それでは、これからの講義でできる限りのお話をするようにしましょう。宗教はほかのことと同じように、基礎がなければなりません。そして、すべて宗教の基礎は、絶対者の認識、即ち全能、至聖、全智、至愛、正義の神の存在についての信仰です。あなたは神の存在は信じていられますね?
青年 
はい、ですが、神父様、もちろん私は認めているといってよいと思いますが、その訳を説明する段になりますと、困難を感じます。一番納得のゆく理由にどんなものがありますか?
神父 
簡単にお話ししましよう。もちろん聖書のどのページにも事実天主のことを述べていますが、聖書を別にしても理由があります。それは、
(一)宇宙は完全な法則に支配されています。この法則は宇宙の驚嘆すべき秩序を成り立たせています。幾億という巨大な天体がありまして、その大多数のものは実に電光石火の速さで空間を運動し、又相互に回転しています。そして、たとえば、自動車が交通信号や交通規則があるにかかわらず混乱するのに、宇宙には混乱はなく、一切のものは(人間を別にして)創造者の課した法則を忠実に守っています。そうでなければ、私達は大変なことになります。ですが、こういう法則は自らできたものではありません。法則はこれを計画した至上の叡智、これを実施した最高の能力を暗示しています。
(二)神信仰は極めて自然的で、常に人類の普遍的な信念です。万人は理性を備え、周囲の世界は明らかにその製作者に依存して存立していますので、人の心は殆んど本能的に神に向います。理性のある人で、生れ乍らの無神論者はいません。無神論者であるためには、凡ゆる時代の人から離れて、他の人は誤っているのだということを説かねばなりません。こういう人で、神はいないという確実な証拠を持ち出した人は一人もいません。
(三)神の存在を信ずる方が、神のない宇宙を説明することよりも遥かに楽です。
(四)もう一つの、神の存在の一番有力な証拠は、私達の内部の声がこれこれの事は間違っているというととを告げ、又、何か悪いことをしますと、これが平和を乱すということです。もし神がましまさぬなら、このように心を乱される訳はありません。
青年 
進化論の信奉者にはどういうふうにお答えになりますか?
神父 
植物、動物を含めた宇宙の物質的な一切のものが、本原的な原子とか気体から緩慢な課程を経て進化したという理論が実際に証明されたのでしたら、教会は彼等に反対しないでしょう。しかし、この本質的な要素も創られたものに違いありません。すべて結果には原因がなければなりません。一番初めのものは無から作られたはずです。これは天主だけがひとりなし得られるものです。
青年 
霊魂は進化論で説明できないことになりますね。
神父 
たしかにできません。総て結果にはそれ相当の原因があるのですから、全く霊的な性質の人間の霊魂は、動物とか物質的なものから進化することはできません。霊魂は最高の霊によって始めて創られます。
青年 
私の知人のある不信仰者が自分のことを不可知論者と呼んでいますが、これはどういう意味ですか?
神父 
天主のましますことは否定しないが、天主はいますかいまさぬかが自分にはわからない、という人です。普通この人は、天主の掟を守ろうという気持がありませんので、知ろうとはしないのです。
或るドイツ人(デンネルト)が数年前ベルリンで本を出版しましたが、その中で、過去三百年間大科学者三百人の中二百四十三人は神を固く信じ、科学と宗教の間の調和を認めているといっています。ハーバート・スベンサーは「この測り知るべからざる力(神)の存在は、凡ゆる真理の中の最も確実なるものなり」と言っています。自ら無神論者であると言いましたワイズマンは「創造を反駁することはできない、超自然を否定することは斥けねばならぬ」と言いました。納得しにくいものはこれを斥けるという人がいますが、真理とか事実を却下することにはなりません。ミリカン、ジーンズ、エヂングトン、ルメートルのような偉大な物理学者はみんな、全能全智の神を固く信じています。
ですが、神の存在の問題は自然科学の解答すべき問題ではないのです。科学者の仕事はあるがままの事物やその作用を支配する法則を研究するのです。その終局の起源については関係ありません。
青年 
その御答えで私にとっては十分ですが、私は天主のことがあまりまだ解っていませんので困ります。
神父 
天主の完全さを幾分知ることによって天主のことは一番良く判ります。ます第一に、天主は無限に完全な霊であります。これは天主は完全な悟性と自由意思を持っておられますが、物質的なものは何もないということです。天主は肉体を持っておられません。そして不死ですから、死に給うことはありません。天主はあらゆる完全性を無制限に最高度まで持っておられます。その存在は他のものによらず、あらゆる点で自足しておられます。こういうことは他のものには該当しません。それは、ほかの存在物はみんなその存在を天主に負っているからです。ですから、その所有している完全性は限られ、依存的です。その上天主は決して変化されません。永遠にまします。──これは天主は過去も未来も常にましますということです。天主は至善にましまし限りなき愛であり、御恵みを雨のように私達に注がれます。天主のなし得給わぬものは何一つとしてありません。天主は全能にましますからです。天主は一切を完全に知っておられます。現在も未来も、私達の一番秘密の考も、言葉や行いも知っておられます。天主は私達の肉眼で見ることはできませんが、どこにもいらっしゃいます。万物を存在させるものは天主の御力であるからです。ですから天主は慈愛深い父親として、子たる人間を特別に愛し給い、いろいろなものを用意して下さいます。この慈愛にみちた天主の御心づかいを天主の御はからいと申します。こういう天主の御事を考えますと、天主は遥かに被造物を超越した、しかも、私達の一人一人にとりまして、非常に近い御方であるということが考えられますね?
青年 
そう考えられます。
神父 
ところで、私達の理性は、私達の生命の原因である御者、そして又一切の恩恵の源であり、私達が当然お仕えしなければならない最高の御者の存在を要求しているのですが、実際のところ、天主の御本質とか、天主が私達に要求しておられる正しい奉仕とかを十分に知ることができないのです。この後の奉仕の方は全く天主の御意志に存していまして、天主が私達にこの事を御示しにならねばなりませんでした。これは天主の「御啓示」とよんでいます。天主は御自身のことや私達が永遠の生命に達する為に信じて行わなければならぬことを、いろいろと御示しになっておられます。
宗教は私が一個の人間として、又、人類社会の一員として、当然天主に捧げなければならない認識と尊敬を、天主にお捧げする本質的に正しい一つの形式です。総ての人は宗教上のしきたりに従って創造主を認めなければなりません。天主が家族としての全人類によって等しく認められ、又、等しく奉仕されることをお望みになっておられると言うことは、明らかなことだと思います。
青年 
そうです、当然です。
神父 
そこで天主はこの目的のために御自身のことを十分に私達に示そうとお思いになられまして、美しいはっきりした御言葉で、私達に御望みになっていられることを明らかにされました。主は最初の造られた人間に、それから後はしばしばその子孫に御出現になり、そして、世が信頼すべき教師を切実に必要とするようになった千九百年の昔、人の形をとってこの地上に御現れになり、一つの王国即ち、権威を以てあまねく世界の果てまで主の御啓示を教える教会を、御建てになりました。ところで、この講義が進んで行くにつれまして、この教会の本質、その教え、天主の掟、人類を永遠の幸福に導くための教会に天主のお与えになりました手段が判るようになって来ます。ですが、そこへ行くまえに、天主がお造りになりました最初の理性的な創造物の創造と、これに対する天主の御取扱いについて、天主の御啓示(この大部分は聖書の中にあります)はどう語っているか、ということを見てみましょう。即ち、天主はこの可見的な、人間のかりの住いである世界をお作りになると同時に、天国で主の幸福にあずかる無数の天使をお作りになりました。天使のことはこれまでによくお聞きになったでしよう?
青年 
ええ、神父様、よく見ました。翼を持った美しい姿に描かれています。
神父 
だが、天使には翼はありません。翼をつける体をもっていません。天使は人間の霊魂よりも、天主の方によく似た純粋な霊です。人間の霊魂も同じような霊ですが・・・、
青年 
ですが、どういうわけで天使は体と翼をつけているように描くのですか?
神父 
そうですね。体がありませんと、表わすことができません。私達は目に見えぬ翼を描くことはできません。それから、天使はしばしば天主の御使になって人間のところに遣わされるのですが、この場合人の形で現われます。天上から地上に降ることや天主の聖旨を果す早さをよく現わすために、翼を以て現わされるのです。
青年 
悪魔が堕落した天使であるというのでしたら、これも体がないのですね?
神父 
そうです。悪魔は怖しい形によくかかれていますが……角や岐れた蹄などを持ちましてね。もちろん、悪魔は自分の堕落のために、怖しい醜悪なものに変ってしまったのです。天使が天主に忠誠であったために、美しく神々しくなったのと同じことです。ですから、悪魔はどんなにみにくくかいても描きたりません。
青年 
天使は純粋な霊であるというお話ですが、それだけではどうもそのはっきりした考えが得られないのですが。
神父 
では、もっとはっきりなるようにしてみましょう。天使は肉体を必要とせず、又、これを持たないように天主がお創りになりました人格です。高い智力と自由意志を与えられた個体ですから、人格です。そして、そのなりたちに物質的なものが少しもありませんので、純粋に霊的な人格です。
こういう種類の人格は、他の如何なる被造物よりもはっきりとその創り主の完全さを反映し、智と愛を通して主の幸福にあずかることができます。
事実、天使のあるものはこの幸福を手にすることができましたが、或る天使はこれを失いました。天主はこういう幸いをその自由な創造物に強いられるということはありません。それらの忠誠を御験しになって、その選択をさせられます。天使達はみんなその生存の始めに試みを受けたのですが、その結果、天主と交わって永遠に幸福に世を送るか、又は天主から引き離されて永遠に天主にさからって送るかという運命がきまりました。この問題で、或るものは天主の御旨を無視し、独立という傲慢な考えをもって、天主から離れ去ってしまったのですが、大多数のものは自分達の創造主にその運命を託しました。地獄の悪魔と天国の天使とはこうしてできたのです。みんな天使であるのですが、あるものは忠誠であり、又あるものは堕落したのです。
青年 
彼等はみんな等しい機会を与えられていたのですか?
神父 
そうです、すべての天使は等しい機会を持っていました。罪なしに造られ、天国の生命、天主の子供になる自由、主の定め給うた目標である幸福を手にする機会を与えられていました。その堕落は自ら好んで地獄という状態を選んだ時に始まったのです。地獄の罰というものが始めて用意されましたのは、その時からであります。天主から離れようという決心を定めまして、天主と天主のすべての御計画、さては人間にまで反対するということになったのです。ですから、悪魔は天主の御許しになる限り、ありったけの力を出して人を天主から引き離そうと懸命になっています。
天国の天使は忠実な服従によりまして、親しく天主と交り、永遠に天主の御生命と幸福にあずかるようになりました。彼等は祈りをあげ、主の御使いになり、或いは私達の守護者になったりしまして、私達の誰も彼もを同じ幸福に導くために、心から天主の御計画にあずかっています。(詩篇九〇ノ一一、ヘブレオ一ノ一四)
青年 
これまで私は天使がそういう深い関係を持っているとは考えたこともありませんでした。
神父 
事実、目に見えぬ多くの天使は、私達の周囲にみちみちています。私達の守護の天使は善行を私達に強いてさせることはできませんが、その助けはします。人間の力では自分でどうにもならない時は殊に助けてくれます。悪魔は私達の周囲の悪の世界や、私の心の中の悪い傾向よりもっと強い力で、私達を罪に誘い込みます。しかし、悪行を強いることはありません。聖ペトロが「汝等節制して警戒せよ、そは汝等の仇なる悪魔は、吼ゆる獅子の如く、喰尽すべきものを探しつつ行廻ればなり」(ペトロ前五ノ八)と申しましたのはこのためです。蛇に化けた悪魔が私達の最初の先祖に行いました誘惑はこれでわかりますが、このことは、次の講義でお話しましょう。
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