2017.05.15

これらの司祭が斯く厳しかったのは、キリスト教が「愛と許し」
の宗教であるばかりでなく「聖」の宗教でもあるからである

アルスの聖ヴィアンネ神父様

戸塚文卿著『農村の改革者 聖ヴィアンネー伝』参照より

pp.161-162

 大罪人に向っては、師は遠慮会釈もなく、
『貴君は地獄に落ちますぞ』
と云う、恐ろしい、鋭い言葉をあびせかけた。その意味は勿論『今のような生活をつづけ、罪の機会を棄てなければ………』と云うのである。しかし、人間の霊魂を見抜き、将来を預言する能力を所有すると云われるヴィアンネー師から、こう告げられると、大ていの人はたじたじになった。
 善い信者、真面目な人に向っても、彼の言葉は、あたかも燃ゆる火炎のように、その霊魂の中を突き刺した。(…)
 アクナーズ修道士が告白をした時、
『私は少し怠けました。しかし、私の心の中では、善い意志を持っていたのです』と言った。
『何ですと? 善い意志ですと? 善い意志ならば地獄にもごろごろしています』

pp.163-166

 自分で自分の罪を赦す人は、神よりの赦しを受け得られない。
 師もまた、罪人が真面目に過去の悪しき生活を改める決心をしない限り、決してその赦しを与えなかった。
 たとえば、彼はあるパリーの貴婦人に、その所有する悪しき書籍の全部を焼き捨てるまで、赦しを告げなかった。(…)
 やはりパリーのある貴婦人であったが、花を欺く容色の下に、恐ろしい不品行を隠していた彼女はある年、南フランスの海岸の別荘に行っていた。そして、その帰途にアルス村に立ち寄った。それは、一人の司祭が、彼女に『奥さん、あそこでは他で見られない事が見られますよ。世界中に名をひびかせている田舎村の司祭がいるのです』と言ったので、好奇のこころで師を見物に来たのである。
 彼女は丁度、病人を訪問して、教会に帰る途中のヴィアンネー師と、村の広場で行き逢った。
『奥さん、どうか私について来て下さい』
と師は言った。そして、二人きりになると、彼はこの婦人の過去の淫奔な生涯を彼女の前に曝して見せた。彼女は雷にうたれたように驚いて、しばらく言葉も出なかったが、やがて
『神父様、どうか私の告白を聴いて下さい』
と頼んだ。師は答えた。
『奥さん、貴女の告白は無駄です。私には、貴女の霊魂の中に、二個の悪魔が居るのが見えますよ。邪淫の悪魔と傲慢の悪魔とです。貴女がパリーに帰るまいと決心をなさるのでなければ、私は貴女の罪を赦すことが出来ません。そして、貴女には今その決心ができないからです!』
 師はそれから、彼女がこれから陥ってゆく、益々暗い生活を預言した。
『神父様、私にどうしてそんな恐しい罪が犯されましょう? それなら、私は地獄に行かねばなりません』
『私はそうは申しません! しかし、これから貴女が助かるのは仲々困難になります』
『それならば、どうしたらいいでしょう?』
『また明日おいでなさい。そうしたら申し上げましょう』
 その夜、ヴィアンネー師は、この憐れな霊魂のために長時間祈祷し、血だらけになって苦業の鞭を自分の身に加えたに相違ない。翌朝、師は彼女に告げた。
『貴女はパリーに居られなくなります。そして、今と同じ所から、もう一度此所においでになります。もし、助かりたいと思うならば、その場所でこれこれの苦業をせねばなりません』
 彼女は果してパリーに帰って、以前にまさるふしだらな生活を暫くの間続けたが、やがて、自分でも恐ろしくなって、かの南フランスの別荘に逃れ、其所で本当に罪を痛悔して、再びヴィアンネー師の許に訪れた。師の預言は悉く的中したのである。

pp.178-179

 熱心な信者には、ヴィアンネー師は何よりも屡々聖体を拝領することを勧めた。
『聖体を受ける人がみな聖人ではないが、しかし、聖人はいつも度々聖体を受ける人の中から選まれる』
と師は言った。
 本当にそうだ。聖体は霊魂の生命を育むことを特殊の目的として、神が制定し給うたものである。しかしながら、我等がこの際、これによって利益を得るためには、最も真剣な努力を惜しんではならない。師も言った通り、
『我等が己れ自身に対してなさねばならぬ努力に代ることのできる悔悛の秘蹟も、聖体の秘蹟もないのである』
 それ故、師は習慣的の罪に陥って、何時までもその境涯を脱し得ない罪人には厳しかった。
『わが子よ、貴女は改心しようとしないのですか? 貴女は聖体を受けるだけで、すこしも行為を変えないのですか? 何時も貴女は癇癪持ちで怒りっぽい!』
 こう言われたある婦人が、はっと思って、涙で一杯になった眼を挙げて窺うと、師の面は火炎のようであったそうだ。

ピエトレルチナの聖ピオ神父様
(いわゆるパードレ・ピオ)

ジョン・コーンウェル著『奇蹟との対話』より

pp.270-272

一日の多くの時間を念祷に費やしながら、外向的で精力的な伝道を死ぬまで指揮し、一日十二時間を告解にあて、慈善事業を行った。彼の霊性は「私的」かつ高尚で、到達しがたいものに思えたが、平凡な信心が好きで、民衆によく接した。だれからも聖人と評されたが、彼自身は相応しくないと考え、ぶっきらぼうで、きつい言葉を吐くこともたびたびだった。(…)

 告解では、特にプライドやただの好奇心を相手に認めた場合によく怒ったが、罪に生きている人間が、償いの目的を持たずに来たときには、怒りは倍増した。声を荒げて、許しの秘蹟を与えずに追いだし、頬をひっぱたくこともあった。告解の場で神父と対座すると考えただけで多くの人が震え上がった。

カトリック信者というのは、しばしば、「罪を憎んで人を憎まず」ということを理解しない。彼らは今、かなり単純に、「神様はどんな罪をも憎まない」かのように思っている。最も酷い例

プロテスタントの人が言った「罪は決して受け入れないが、罪人は受け入れる、というキリストご自身の態度」参照というような言葉は、現代のカトリック教徒の口からは、まず出て来ない。

しかし、ロゴス・ミニストリーのその人の言葉は真実である。神が「罪そのもの」を受け入れてどうする。神は「罪そのもの」は決して受け入れない。神が「赦す」のは常に「罪人を」である。そして、正確に言えば「悔い改めた罪人を」である。

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌「Humanisme」1968年11月/12月号 より

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