「聖書と典礼」の編集長ばかりでなく、現在、日本カトリック典礼委員会秘書を務めている宮越俊光氏も、自らが編集を務め、また自らも大いに書いている「人物でたどる礼拝の歴史」(2009年)という本の中で(その第23章で)、ブニーニを誉めています。
部分的に拾わせてもらうと──
本章では、この公会識に直接かかわった二人の教皇と、公会議後の典礼刷新を推進するために指導的役割を果たした人物を取り上げます。- p. 218
この評議会の作業を推進するために指導力を発揮したのが、アンニバレ・ブニーニ(Annibale Bugnini 一九一二~八二年)です。- p. 222
公会議中はもちろん、公会議後の典礼刷新を進めるいわば舵取りの役割を担ったといえましょう。- p. 223
ブニーニは『典礼憲章』に基づく刷新の方向性を最大限いかして、かなり大胆な典礼改革を行ったと言えます。そのため、彼の手法に対する批判もありました。中には、ローマ教会の典礼の伝統は彼によって破壊されてしまった、という厳しい意見もあります。その後、ブニーニは一九七五年の人事異動によってイランの教皇大使に任ぜられ、一九八二年に死去するまでその任にありました。この異動に関してもさまざまな憶測や噂が流されましたが、彼の強い指導力があってこそ、第二バチカン公会議後の典礼刷新が全世界で進展していったのは間違いありません。- pp. 223-224
近年では改革や刷新の方向に大きく振れた振り子を少し元の位置に戻そうとするかのような動きが見られます。けれども、公会議以前の状態に戻ることはもはやできません。- p. 225
それにしても、学者さんたちと云うのはいつも「総論」ばかり言っている気がしますね。 一つ一つの「具体物」を見て行きましょうよ。ダメ? |
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「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」