「原則」と言わず「決まり」と言う司祭 である長崎大司教区・西町教会の主任司祭、SVD(神言修道会)の司祭、エウゲニウス・ジエブーラ(Eugeniusz Ziebura)神父は、西町教会の主聖堂のために次のような「キリスト像」を自らデザインし、祝別した。
◎ 鋳物のキリスト像が付けられる前の十字架
私は、これ自体が既にして酷いと思う。やはりジエブーラ神父の作品なのではないか。
この作品のコンセプトはおそらく「金色に輝かす」である。この十字架の縦棒が下で終わる所に一つの箱様のものがある。それは十字架を下から照らす照明装置である(参照、参照、参照)。そしてもちろんその十字架は、(これは他の教会でも同様だろうが)建物内部の高い所に付けられた照明装置からも光を浴びる(参照、参照、参照)。そして「金色に輝く」。手作り感満載の、自分の安い趣味の世界を人々の公的礼拝の場所に押し付ける勇気のある、自己満のガキみたいな世界。
◎ ジエブーラ神父の銀祝を祝う市瀬管区長
彼はこの小学生の図画工作のような(と私などは思うのだが)十字架をどう思っているのだろう。
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鋳物のキリスト像が追加された十字架の前で堅信式を執り行う高見大司教 |
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彼は何とも思わないのか。
これら教会の指導者たちは「民主的」になった教会の中でこのようなものを見ても何も言えないのだろうか。それとも彼ら自身が「こういうのも有り」と思っているのだろうか。
◎ 従順な信徒たち
◎ 違いがはっきりしない
聖体拝領 |
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プレゼント |
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プレゼント |
もちろん、これは日本の全ての教会の問題。しかし、どの典礼学者もこの近似を軽く見て笑う。
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さて、そして、前回見たものをもう一度見てみよう。
或るSVDの司祭によって管理されている日本の或る礼拝堂にあるもの。
Found in a chapel in Japan ministered by an SVD priest.
私は「これもジエブーラ神父の作品である」と言うつもりは少しもない。つまり「断定」しない。これがどこの礼拝堂なのかさえ確認していないからだ。この写真を掲載したブログ主に訊いてみたが、今のところ回答はない。
しかし、「似ている」とは思う。
「SVDの司祭」とあるわけだし。
いずれにせよ、こう言っていいと思う。
ジエブーラ神父は変な感覚の司祭である。