2015.11.15

聖イグナチオ教会の「跪き禁止」のチラシ

東京の聖イグナチオ教会が信徒向けに発行したチラシを入手した。全部を転載するのは控えよう。しかし、一部引用させてもらう。
強調は管理人。

2015年11月

新しい典礼の総則に基づく変更のお知らせ

聖イグナチオ教会 典礼担当

聖イグナチオ教会の皆さま

 日本の司教団より正式にミサ総則の変更点が発表され、2015年11月29日の主日より、実施されることになりました。聖イグナチオ教会としても(…)

1.

基本動作と姿勢について

ミサ中は、「立つ」「座る」を基本的な姿勢とする。ひざまずく姿勢はとりません。

そのため、約1週間前に、現在の出し入れ式のひざまずき台はすべて撤去します。

聖変化の際、司祭のお辞儀に合わせて、立ったまま手を合わせてお辞儀します。

聖体拝領については、昨年からすでに実施されているように、立ったままで拝領します。

まだひざまずいて拝領される方がおられますが、認められていません。

(…)

5.

沈黙の重要性(祭儀への行動的参加の1つの姿勢として)

ミサの前や後は沈黙を守るように。聖堂だけでなく、香部屋・前室などでも。

ミサの最中は、特に、各朗読の後、聖体拝領の後など。

こんな時だけ好意的に取り上げるわけではないが、新潟の菊地司教様は次のようにお書きになっている。

ただしこれは、共同体全体のミサ典礼に関わることで、個々人や小グループが捧げるロザリオなどの祈りや種々の礼拝、または共同体としても聖体礼拝や聖体降福式、十字架の道行きなどには及ばないことですから、すでにお知らせしたとおり、新潟教区内においては、このためにせっかく存在するひざまずき台を撤去する必要などはありません。

2015年9月26日 (土) ミサ典礼書総則講話@新潟教会

菊地司教様も日本の教会の御ミサに於ける信徒の姿勢から敬虔の表現である「跪き」を全て取り除くことに同意した人である。しかしそれでも、上のように言うことが可能であった。
しかしイグナチオは、他者へのその程度の気遣いもないようだ。

箇条項目の5を引用したのにはわけがある。
これは典型的な「第二バチカン脳」である。
またぞろ、物事と物事の “つなぎ方” がおかしいのである。

「御聖堂の中では基本的に沈黙を守らなければならない」ということを言うために、普通はその理由として「それは祈りの場だから」「神の御前だから」と言えば十分な筈である。そこを「祭儀への行動的参加の1つの姿勢として」と言っちゃうのが「第二バチカン脳」である。被洗脳脳。馬鹿にしてはならないが、笑ってしまった。

対比 ザラテ神父様の自然な言い方
「1)沈黙を守りましょう。先ず、イエズス様と話すことを優先しましょう。… 相手は神様だからです」 参照

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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