2015.07.30

或る司祭(東京教区) Part 1

個人に焦点を当てるけれども、前回の「現代の司祭たちの本音『これはとんでもない話だ。とても聞いていられない』」の続きとしてお読み下さい。

東京教区の或る神父様が、「ケイ・スチュワート」というペンネームを使いながら、こんなことを書いています。
(イラストと強調は管理人。以降も)

ようこそ、ケイ・スチュワートの世界へ >
04.05(13-18)

17.ミサへの疑問

(…)先日ある信者から電話があって、パンとブドウ酒(体と血)を祭壇の上においておき、それを信徒の方が自ら受け取りに来ていただくのは、最後の晩餐のイエズス様の言葉や、3年程前に出された、ローマからの通達に違反しているというのだ。それは大切なことなので、何故それを守らないのかと叱られたことがある。私はその通達を知らなかったわけではなく、知っていてやったのだ。(…)

※ 彼はこれを書いた期日を記していないけれども、彼の言う「ローマからの通達」というのは『指針 あながいの秘跡』(公布2004年、日本語公式訳2007年)のことかも知れませんね。

※ なぜ「ケイ・スチュワートは東京教区の司祭である」と言えるのかは、Part 4 で。

彼は、主の御体と御血の両方を祭壇の上に置いておき、それらを信者自身に取らせていたのです。
それ以外にどんなふうに上の言葉を解釈できるでしょう。

そして彼は、自分の過去のそのような行ないを今も何ら悔やんでいません。信者からの指摘があったから渋々やめたまでです。このことは、上の記事を今も人々の目に触れさせていること、そして、上の引用に続く文章の内容を読むことで分かります。彼はいわば、今もそのような自分の考えを人々に向けて “発信” しているのです。(記事を消していないのですから、そういうことになります)

彼の言葉をもう少し見てみます。

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