2015.07.15

【噂ではなく事実】
本田哲郎神父は未信者にも御聖体を与えている
2. 或る未信者の証言

前々回に見た本田神父自身の言葉以上に確かなものはありません。しかし一応、他の人の証言も挙げておきましょう。

二つ挙げます。

先ずは、以前も挙げたものですが、鎌田東二(かまた とうじ)(Wikipedia)(お顔)という人のホームページにあるものです。

宗教が人間の解放になるのではなく、人間の呪縛になったり、差別の拡大再生産を生み出すことがあることを、本田神父はリアルに見てとっているのです。本田神父の日曜日のミサは、朝九時から十時まで行われました。わたしは、一番前でそのミサに参列し、聖体拝領を受けました。本田神父は、信者にも未信者にもわけへだてなく聖体拝領を授けているのです。わたしはキリスト教信者ではありませんが、本田神父の姿勢やお考えに大変共感し、真っ先に聖体拝領を受けました。(…)信者であるか未信者であるかにかかわらず、神のはたらきの中にあるという信仰の大らかな寛容さの重要性を(…)学びました。いわゆる「正統派」の教会はそうした思想と実践に違和感を抱いたり、はっきりと反対の意志表示をしたりするでしょうが(…)

2002年9月26日 鎌田東二拝

鎌田東二オフィシャルサイト

鎌田氏のプロフィールを、上で既にリンクしましたが、Wikipedia で見て下さい。
彼は、カトリック信仰についてそれほど詳しくはないかも知れません。しかし、このようなプロフィールを持った人が、人として、いわゆる日常的な現実認識に於いてまで怪しいということは、ちょっと考えられないことです。つまり、"現実には本田神父は鎌田氏が未信者であることを知らずに御聖体を与えたのだが、鎌田氏はそれを誤認識し、上のように書いた" ということは、まずあり得ないでしょう。鎌田氏が認識した通りに、本田神父は彼が未信者であることを知りつつ御聖体 * を与えたでしょう。

* しかし私は、実は、彼が使っているパンを「御聖体」と呼ぶことにかなり抵抗があります。何故なら、後で見るように、彼はそのために「食パン」を使っているようだからです。それゆえ「それは聖変化するのか。聖変化はするが、違法なのか」と云った議論が持ち上がるようです。しかしそれ以前に、それは信仰の感覚からして「非常識」です。やがて「主の御体」になろうとしているパンならば、信仰者が "謹製" しなければならないでしょう。そうして、何れにせよ、彼の「オープン・コミュニオン」という概念が問題です。

次は、或るカトリック・シスターの証言を見てみます。

参考(くだらなくもある参考) 一般的な食パンの成分

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