2014.02.03

司祭の心を迷妄に導く現代世界憲章 Part 7

結 論

教会を通った者と通らぬ者との両方について同じ言葉──

united(一致、結ばれ)
redeemed(あがなわれ)

──等を使うのは、〈不適切〉を超えて〈異常〉である。

 結論はこれしかない。

 聖ピオ十世会がする議論などは、あまり優秀でない私達にとっては、時に「難し」かったり、また時に──スミマセン──「面倒臭」かったりするかも知れません。
 しかし、池長大司教様や糸永司教様のあれらのご発言(の問題性)は分かり易かったと思いませんか?

 保守的感覚を持った信者さん達の中にも第二バチカン公会議を悪く言うのをためらう人が多いけれど、私達の司牧者をあのような変な状態(言動、思考)に導くに於いて大きな役割を演じているのが第二バチカン公会議であることは確かです。
 私達はこの事を、ズバリ、第二バチカン公会議文書の言葉の中に確認することができたのだと思います。

事実、神の子は受肉によって、ある意味で自分自身をすべての人間と一致させた。

For by His incarnation the Son of God has united Himself in some fashion with every man.

現代世界憲章 22

すべての人(…) キリストによってあがなわれた

All men (…) have been redeemed by Christ.

現代世界憲章 29

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 しかし、厄介なのは、世のインテリの人々です。その代表格は神父様方です。彼らはまだ、ここに至ってもまだ、上の結論のようには思わないのかも知れません。
 彼らは言うのかも知れません──「いえ、それは両者に於いては違うのです。"同じ" なのではありません。前者は "教会的" のことで、後者は "秘義的" の、或いは "内部的" のことなのです」と。
 しかし、そんなもので説明が付くものであるかどうかを、もう一度「非現実的」で確認して下さい。

現代世界憲章 (Gaudium et Spes)

日本語版全文(外部サイト、タイプミス多し)

各国語版入口(バチカン公式サイト)

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