2013.06.24

更に明白な馬鹿馬鹿しさ 2

さて、しかし、前回の議論はあくまで、ドロテア時代のシスター・ルチアと近年のシスター・ルチアが同一人物に見えてしまう人々のためにしたことです。近年の所謂シスター・ルチアが「シスター・ルチアの替え玉」であったことを普通に確信している人々にとっては、特に必要のないものでした。
前者の人々にとっては、「WTC7と同じほど明白な馬鹿馬鹿しさ!」と結ばれた小結論で、とりあえず十分です。
しかし、後者の人々の目には、もう一つのものが映じている筈です。
それは、コインブラのカルメル会がその二枚の写真に振った「1949年」「1951年」という年号も、当然ながら、頭から信ずべきものではない、と云うことです。
カルメル会がシスター・ルチアという人を取り換えたのを確信しているのに、その同じカルメル会が「シスター・ルチア」の古い写真に振った年号には信憑性を感じるなどというのは、かなり馬鹿げています。
それらに信憑性を感じるためには、それを補強する他の要素がどうしてもなければなりません。それなしに信憑性を感じるわけにはいきません。
しかしまた同時に、後者の人々は、そのような補強材料を探さないでしょう。
だって、何のために探すんです?
近年のシスター・ルチアが偽物だと確定している時に。
問題は前者の人々です。
前者の人々が幸いにして、同じ人物の極めて短い期間に於けるこのような変化はあり得ない、と判断するに至ったとしましょう。
1947年
 
1949年
しかし次に、彼がたまたま私達の議論を聞いて、「なるほど、右の写真の『1949年』という年号は、必ずしも真実とは限らないんだな」と思ったとしましょう。
そして、その後、彼の判断はどこに行っちゃうんです?
「ああ、年号が当てにならないとすれば、やっぱりこの二人は同一人物かも知れない」でしょうか???
そんな「判断」はやめて頂きたい、と私は思います。
それは「判断」の名に値しません。
何故なら、あなたがそれらの年号を疑う時、あなたは既にコインブラのカルメル会の何らかの「偽装」を疑っていることになるからです。
そのことに御自分で気づかず、年号を疑うと同時に即座にあなたの心中に立ち上がるべき「疑惑」がどういうわけか立ち上がらないとするなら、それは残念なことです。
整理すると、
年号が真実であれば “おおごと” だし、
年号が真実でないとしても、前者に劣らず “おおごと” なのです。
特に「1949年」の「修練女」の写真に関してそう言えます。
人は「この1949年という年号は間違っているかも知れない。そしてそれはカルメル会の “イージーミス” によるものかも知れない。だから “おおごと” ではないかも知れない」と言うことができません。
何故なら、年表はこうなっているからです。
1948年3月25日
1948年5月13日
1949年5月31日
転属
着衣式。修道名拝受。
終生誓願
ですから、カルメル会自身に従えば、「Irmã Lúcia, noviça Carmelita」は1948年と1949年にしか存在しません。だから、たとえカルメル会が “イージーミス” によって年号を間違ったのだとしても、残る道は「1948年」しかないのです。
しかしそれでは、「二年でこんなに顔が変わるの?」であったものが「一年でこんなに顔が変わるの?!」ということになるだけです。
カルメル会以外から取得した「1951年」の写真を、ついでに掲げます。
「かなり古い」としか言えません。しかし、この女性は「かなり古い」時代からコインブラのカルメル会に居た、とは言えそうです。
しかし、「かなり古い」この写真の中で、この女性が「シスター・ルチア」として坐っているのか、それともただ一人のカルメル会修道女として坐っているのかは、分かりません。シスター・ルチア以外の修道女も、新着の聖母像と一緒に記念写真を撮ったかも知れないからです。(まあ、「シスター・ルチア」として坐っているような気はしますが。)
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