2013.06.24

更に明白な馬鹿馬鹿しさ 1

そうです、更に明白な馬鹿馬鹿しさ。更に更に決定的です。
これをもって、あなたが、「確かにそれは偽シスター・ルチアかも」という、その「かも」というやつから、すっかり足を洗いますように。
ここでは特に「撮影年」に注目してください。
1946年
シスター・ルチアは1946年5月の21日から22日にかけてファチマを巡礼したようです。
1946年5月20日 ファチマへ出発
1946年5月21?22日
コヴァ・ダ・イリア、ロカ・ド・カベソ、ヴァリンホ、及びアルジュストレルを訪問
1946年5月22日
サルダン女学院に戻る。
以下の4枚は、ファチマ公式サイトによれば、その訪問の初日である1946年5月21日に撮影されたものです。(写真は全体ではなく部分)
Irma Lucia e uma criancas com um rebanho de ovelhas, 1946-05-21, Santuario de Fatima
羊の群れと子供と共に
Irma Lucia na Capelinha das Aparicoes, 1946-05-21, Santuario de Fatima
ご出現の礼拝堂にて
Irma Lucia, Madre Manuela de Brito e o Con. Jose Galamba de Oliveira, 1946-05-21, Santuario de Fatima
ホセ・ガランバ・デ・オリヴェイラ神父とマヌエラ修院長と共に
Irma Lucia nos Valinhos, 1946-05-21, Santuario de Fatima
ヴァリンホにて
「年号」だけでなく勿論「人物」にも目を向けてください。「内面」に。
「シスター・ルチア、シスター・ルチア」と気安く呼ぶけれど、この人は「預言者」です。私達は「暗い人」は嫌いかも知れないけれど、彼女は世界に対する重大な懸念を抱えているが故にこういう表情になっている預言者です。
前回のこれも1946年と考えていいに違いありません。
(子供たちはシスター・ルチアの姪だそうです)
1947年
比較的鮮明な写真が手に入りました。
クリックすると更に拡大されます。よく見て下さい。
これが、私達の愛すべき、本当のシスター・ルチアです。
S?ur Lucie, en fevrier 1947, dans le jardin du “college de Sardao”, des religieuses dorothees, aupres de la maquette d'une statue du C?ur Immacule de Marie, sculptee par le Pere McGlynn.
1947年2月、ドロテア会の「サルダン女学院」の庭にて、マクグリン神父によって彫刻された聖マリアの汚れなき御心の御像の模型と共に。
そして翌年からこういう流れになります。
1948年3月25日
コインブラの聖テレジア・カルメル修道院に入る。
1948年5月13日
着衣式。「汚れなき御心のマリア・ルチア」の名を受ける。
1949年5月31日 終生誓願
さて、次の写真が問題です。
1949年
Irma Lucia, novica Carmelita, 1949.
「novica」とは「novice」で、「修練女」です。
従って、上を英訳すれば「Sister Lucia, Carmelite novice, 1949」、日本語訳すれば「シスター・ルチア、カルメル会修練女、1949年」です。
装束も修練女の初々しい白です。
ご自分の目で確かめたい方は次の場所を訪ねてください。
コインブラのカルメル会がシスター・ルチアのために作ったサイトです。
http://lucia.pt/lucia/imagens.php#
冒頭で「撮影年」に注意を引かせてもらった意味はもうお分かりかと思います。
人によってはホーヴァット博士の記事にはまだ抵抗できたようです。そこでは「1940年代の写真」と「1967年以降の写真」を比べていました。両者の間の時間の隔たりはかなり大きなものでした。だから人によっては「人は加齢により、また入れ歯を入れたりとかして、顔が変わることがあるものだ」と考える方向に行くこともできたのです。
しかしながら今回の場合は、時間の隔たりは僅か2、3年なのです。
そしてその1949年の「修練女」であるシスター・ルチアは、僅か2、3年前のシスター・ルチアよりも、私達がよく知っている1967年以降のシスター・ルチアの方に「より似て」います。
そうではありませんか? 私はまだ「私の目には」と、
「私の目にとっては」と言わなければなりませんか?
シスター・ルチアのことを離れて一般的に考えてみましょう。
大きな事故や病気に遭ったのでもない限り、普通はこうなります。
時間の隔たりが小さければ類似性は多くなり、時間の隔たりが大きければ類似性は少なくなります。
しかし、シスター・ルチアの場合は逆なのです。
これは異常事態です。人間の時間経過に伴う顔貌変化の一般法則に背いています。普通に考えれば、左の二つの近接した顔の間に《断絶》があると考えるべきなのです。(そしてその通りです。二人は別人です。)
「このようにまどろっこしく説明しないと確信に至らないんじゃないか?」と不肖私が思うほど、多くの人は “常識” に囚われています。
1951年
コインブラのカルメル会のサイトにもう一つの珍しい「シスター・ルチア」の写真があります。上の「修練女」から二年経った1951年のものだそうです。
この人も「近年のシスター・ルチア」の特徴を備えています。
Impostor Sister Lucy 1951
1951年
 
Impostor Sister Lucy 1967
1967年
Impostor Sister Lucy 1949
1949年
 
この三枚の写真は同じ人を撮ったものです。そうではありませんか?
ここまで見て来ても、また今回のこれほどのものを見ても、まだ確信に至らないと云う方は、失礼ながら、よほど感覚がホニャラカかです。
私は今回見たものを何と形容しましょう。こう云いましょう。
WTC7と同じほど明白な馬鹿馬鹿しさ!
(ちょっと脱線してダン・ディックスを見てください。動画
余談
コインブラのカルメル会は2007年5月、その敷地内に「シスター・ルチア記念博物館(Museu Memorial da Irma Lucia)」をオープンしました。
驚くべきことに、そこでもこの写真を堂々と掲げているようです。
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