2013.06.24

彼女の目は非常に暗く、非常に鋭かった

トーマス・マクグリン神父
Fr. Thomas McGlynn, O.P.
(アメリカのドミニコ会士)
聖像の制作でかなり名のある神父様のようです。
ファチマ大聖堂のこの聖母像もお作りになりました。(中央の、巨大な)
上の御像について伝える古い記事
1957年10月11日
ファチマのシスター・ルチア、アドバイスを与える
ファチマのシスター・ルチアの指示を受けつつ、トーマス・マクグリン神父(ドミニコ会士)は、アメリカの人々の贈り物としてポルトガルに送られることになる15フィート6インチ〔約4m70cm〕の聖母像をほぼ彫刻し終わった。
聖母を見たファチマの三人の子供たちの一人であったシスター・ルチアは、マクグリン神父に、聖母の外観についての豊富な覚え書きを提供した。
聖像は、仕上げとして、金と大きな象牙のロザリオで飾られる。金は溶かされ、シスター・ルチアが描写した「金色の光」を再現するために使われる。
聖像はファチマ大聖堂の入口の上に設置される。
この神父様はファチマについての本もお書きになっています。
Vision of Fatima - Thomas Matthew McGlynn
この後姿はドロテア会の修道服を着たシスター・ルチアですね。
つまり、この時の。
Sœur Lucie, en février 1947, dans le jardin du “collège de Sardao”, des religieuses dorothées, auprès de la maquette d'une statue du Cœur Immaculé de Marie, sculptée par le Père McGlynn.
1947年2月、ドロテア会の「サルダン女学院」の庭にて、マクグリン神父によって彫刻された聖マリアの汚れなき御心の御像の模型と共に。
1947年の記事と思われます。
On May 9th , Father Thomas McGlynn, O.P. of Providence College, Providence, Rhode Island, well known Dominican sculptor, will fly to New York from Chicago on an American Airlines DC-6. He will carry with him on board the precious statue which he made in Portugal, during February, under the direction of the visionary Lucy dos Santos.
5月9日、トーマス・マクグリン神父(ロードアイランド州プロビデンスにあるプロビデンス・カレッジのドミニコ会士、よく知られた彫刻家)は、アメリカン航空のDC-6型機でシカゴからニューヨークまで飛ぶだろう。彼はその際、彼が幻視者ルシア・ドス・サントスに導かれつつ2月にポルトガルで制作した聖像を機内に持ち込むだろう。
上の英文は、OCRで読み取ったからか、誤字があるようですが、まぁ大要に影響はありません。ロードアイランド州のドミニコ会士が何故シカゴからなのか、その辺の仔細は分かりません。「シカゴからニューヨークまで飛ぶ」というのは、シカゴからはポルトガルへの直行便が出ていなかったということでしょうか。
つまり、こうでしょう。
マクグリン神父様は1947年の2月に、ポルトガルで、ドロテア会のシスター・ルチアに導かれつつ、聖像「聖マリアの汚れなき御心」の模型を作った。そしてその時、シスター・ルチアはその模型と一緒に上の記念写真を撮られた。
神父様はその模型をアメリカに持ち帰り、聖像を完成させ、三ヶ月後に、それを持って再びポルトガルに飛んだ。
しかし、ポルトガルの何処に運んだのでしょう?
シスター・ルチアがカルメル会に入ったことになっているのは1948年3月25日です。上の1947年の5月からはまだ十ヶ月ほどの間があります。
十ヶ月前からカルメル会行きが決まっていたということはまずないでしょうし、たとえあったとしても、シスター・ルチアの居ないカルメル会に運んでも仕方がないでしょう。完成品をシスター・ルチアに見てもらわなければなりませんから。
だから、マクグリン神父様はシスター・ルチアに見てもらうべく、完成品をドロテア会に運んだでしょう。そしておそらくは受け入れられ、安堵し、天主様と聖母に感謝したことでしょう。そして勿論、十ヶ月先のシスター・ルチアの転属までそこに留まるわけもなく、程なくアメリカに帰ったのでしょう。
そして、私達は今、この写真と説明を見ています。
Irmã Lúcia com a imagem do Imaculado Coração de Maria feita segundo as suas indicações, 1951.
Sister Lúcia with the image of the Immaculate Heart, made according to her instructions, 1951.
シスター・ルチア。彼女の指示に従って作られた聖マリアの汚れなき御心の御像と共に。1951年。
この御像は、しかし、ドロテア会に納められたものとは別物です。
(左)マクグリン神父様とスチュワーデスと一緒に写っていた御像
(中)ドロテア会のシスター・ルチアと一緒に写っていた御像の模型
(右)カルメル会の御像
(左)と(中)は一致しますが、(右)は一致しません。
ドロテア会のものとカルメル会のもの、
どちらも「聖マリアの汚れなき御心」の御像です。
どちらも「シスター・ルチアの指示に従って作られた」とされています。
しかし、二つは、まず “物” として、別物です。
──では、“作者” は?
私は、作者も違うような気がします。
マクグリン神父様の彫刻は素朴なものです(この御像ばかりでなく)。
それに対して、カルメル会のものは流麗です。
カルメル会のものは、シスター・ルチアのカルメル会への移籍後、カルメル会が別途に注文したものでしょう。そしてその時、カルメル会は、おそらく、マクグリン神父様を指名しなかったのです。
Pintura a óleo da Irmã Henriqueta Malheiro Vilas Boas seguindo as últimas sugestões da Irmã Lúcia sobre a Aparição do Coração Imaculado de Maria (1946)
O Padre Thomas McGlynn ultimando a imagem do Imaculado Coração de Maria
A Irmã Lúcia em 1945, na pose recriada em pintura, pela Irmã Henriqueta assinada em 1946
(上)1945年、絵画制作のために聖母の御様子を再現するシスター・ルチア。絵は Sister Henriqueta によって1946年に完成された。
(左上)御出現の中で示された「聖マリアの汚れなき御心」についてのシスター・ルチアによる説明を受け、Sister Henriqueta Malheiro Vilas Boas が翌1946年に完成させた油絵
(左)「聖マリアの汚れなき御心」完成間近のマクグリン神父
マーク・フェロウズ著『薄明の中のファチマ』の全文が次の場所で公開されています。http://www.srlucia.com/
その第31章に、マクグリン神父様がシスター・ルチアから受けた印象が書かれています。(注: ドロテア会におけるシスター・ルチアの修道名は Maria das Dores = Mary of the Sorrows = 御悲しみのマリアです。)
ドロテア修道女会に於ける彼女の新しい居住地にシスター・ルチアを訪ねたアメリカ人はウィリアム・トーマス・ウォルシュだけではなかった。ニューヨークのドミニコ会士、トーマス・マクグリン神父もまた、彼がその時作っていたファチマの聖母の聖像についてルチアと話すためにガイアに旅した。
マクグリン神父は彫刻家だった。そしてルチアに見せるべく小さな模型を携えていた。彼は神経質になっていた。しかし修道女会の管区長がこう言って彼を安心させた、「イルマ・ドーレスはとても素朴な子ですよ。山育ちの」。
Irmã Dores は Sister Sorrows と訳される。しかしルチアの様子はその修道名を裏切るものだった。「彼女の目は非常に暗く、非常に鋭かった(Her eyes are very dark, very penetrating)」とマクグリン神父は寸評している(彼はまた、ルチアの背は5フィートより少し低いぐらい〔訳注: 1m50cmくらい〕だった、と書いている)。「握手を交わした時、イルマ・ドーレスは身を屈めた。そして私の目を真っ直ぐに見、好感の持てる笑顔になった」。
シスター・ルチアの特徴は、最初、一見、「暗い」とか「不機嫌?」とかいった印象を人に与えるということです。しかし、少し慣れ、心を開いた時には、人に「意外」と感じさせる。「あれ、意外と明るく笑ったりもするんだ」と。──それが本物のシスター・ルチアです。
ウォルシュ博士の受けた印象も引いておきます。彼が1946年7月15日にシスター・ルチアに会った時の印象です。ホーヴァット博士の記事から。
彼女の黒ずんだ顔は、時々、彼女の性質がつむじ曲がりでないとしたら不機嫌、頑固、あるいは不敵なものではないか、との印象を人に与えた。しかし、見かけは当てにならなかった。何故なら、どのような感情を刺激される状況下に置かれても、彼女のライトブラウンの目は煌めきと輝きをなくすことがなかったからである。そして、彼女が笑う時その頬にしわを作った小さなエクボは、彼女の表情を全く魅力的なものにすることに貢献していた。
Our Lady of Fatima by William Thomas Walsh, p.11
彼女は最初、不快そうに見えた。また、おそらく実際にそうだったに違いない。何故なら、彼女はその種の面談を強烈に嫌っていたからだ。命令された時だけ、それを受け入れていた。彼女は両手を神経質に握り締めていた。彼女の淡い茶色の目は、どちらかというと用心深く、よそよそしかった。高くて臆病そうな声は、あまり自信がないように響いた。しかし、しばらくして、私はこのような最初の印象をほとんど忘れるに至った。彼女はもっと楽に構えるようになり始めた。彼女はすぐに笑った。笑った時、彼女のそれぞれの頬に小さなエクボができた。声は今や自然なものとなり、真心を感じさせるものになった。その顔には知性もあり、また魅力もあった。彼女を好きにならずにいること、また、彼女を信頼せずにいることは、不可能だった。
同  p.218
対して、この人はどう転んでも人から「目が暗い」などと言われる人ではありません。
あなたは、明るい詐称者と、ちょっと見では確かに暗い印象を与える、しかし本物の預言者とでは、どちらが好きですか?
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