2013.06.24

自分を出す修道女

前回引用したファチマ・クルセイダーの記事には次のような言葉もありました。
パチェコ神父は我々に、“シスター・ルチア”(彼が会ったところの)は写真に撮られるのが好きなようだった、と語った。(なにか修道女と云うより女優のようではないか?)
実際、彼女は写真に撮られるのが “好き” がどうかは別にして、抵抗は何もなかった人でしょう。
別の視点から見てみます。以下は「シスター・ルチア」に関する本の表紙です。全てポルトガル語版です。
1
 
2
3
 
4
本のディテールは、ポルトガル語ですが、次のような場所にあります。
http://www.pastorinhos.com/edicoes/livros/
http://lucia.pt/lucia/livros_lucia.php
1〜3は同じ書名です。Memórias da Irmã Lúcia、ファチマに関する日本の文献では「シスター・ルチアの回想録」と呼ばれているものではないかと思います。それは Volume 1(第一回想録)、Volume 2(第二回想録)と分かれていて、上の3などは Volume 1 であるということです。
さて、私達は皆、ボンヤリしています。本当なら、これらの表紙だけでも「何か変だ」と気づいてもよかったかも知れません。
これらの本は、彼女が居た国、ポルトガルで刊行されたものです。そして、彼女の修道院、コインブラのカルメル会から刊行されていたり、司教区の門を通って来たりしているようです。まあ、当然でしょう。
だから、彼女が自分についての本がどんな形で刊行されているかを「知らなかった」と云うことは、まずあり得ないでしょう。
事実、後で紹介しますが、アメリカからシスター・ルチアを訪ねた科学者、フレデリック・T・ツーガイブ博士に、シスター・ルチアは自ら “Calls” from the Message of Fatima(上の4の英語版)を与えています。とすれば、上のこれらのような本は、彼女が住んでいた修道院にも多く備えられていたということでしょう。
彼女は、そのような情景に耐えることのできた修道女なのです。
つまり、彼女の中には、自分の顔が本の表紙にデカデカと載ることに対する抵抗は、まず無かった、と見ていいでしょう。もしそれに非常に抵抗があったなら、「次の本からはもうそのようなことはなさらないでください」と願っていたでしょうし、強く願っていれば、その要望は聴き入れられていたでしょう。
もう一度、上の情景、これらの本の表紙を眺めてみて下さい。このような事態は、慎ましい修道女が受け入れることのできるものですか?
私達が世俗的な感覚の持ち主なら、このようなことは大したことには思われません。しかし、昔の修道女というものがどんなだったかを考えてみて下さい。彼女らは「自分のことを書く」ことにすら抵抗を覚え、長上からの命令がなければ書こうとしなかったものではないでしょうか?
彼女らにとっては「自分を出す」ことは基本的に修道者としての構えに沿わないことだったのです。
だから、これらの本の表紙に自分の顔が載ることを拒否しなかった「シスター・ルチア」は、修道女ではあっても、また十分に高齢ではあっても、そのスピリットにおいては「第二バチカン公会議後の修道女」なのです。
「それがどれほどの罪だというのですか?」
いえ、そんなことを話しているのではありません。
彼女は真のシスター・ルチアではあり得ないと言っているだけです。
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