2012.10.16

マリア・ディバイン・マーシーの預言は偽預言である 6

預言サイト The Warning Second Coming Forumsキャッシュについて
前頁からの続き)
筆者は記事の後半でこんな事を書いています。
イエズスの「神のいつくしみ」のイメージ
『The Warning』の文脈の中、至る所で、イエズスの「神のいつくしみ」のイメージが使われています [1] 。それは1931年、シスター・ファウスティナ・コワルスカによって絵にされたものです。イエズス様は次の言葉で彼女に指示なさいました。「あなたが今見ているものに従い、『イエズス、われ御身に信頼し奉る(Jesus , I trust in You)』という文字と共に、一枚の絵にしなさい。私は、その絵が、先ずはあなた方の聖堂で、次いで世界中で崇敬されることを望む」。〔しかし〕「『イエズス、われ御身に信頼し奉る』という文字と共に」というイエズス様の御声明が、そのイメージの配布において甚だしく冒涜されています。どの場合も、その言葉の代わりに「The Warning」という文字が、イエズス様のイメージの上に印刷されているのです。「イエズス、われ御身に信頼し奉る」という言葉は省略されています。
しかしながらキリストは、彼に対する──「神のいつくしみ」であられる彼に対する──私達の信頼を強めることを目的として、私達にそのイメージをお与えになったのです。私達は、そのイメージを見る時、彼に対する畏敬的な愛の中で、私達の名が彼の御手によって書かれていること、彼が私達一人一人を愛しておられ、彼を信じ彼に望みを置く全ての者を彼が救おうとなさっていることを認めます。
しかしながらそれらのメッセージは、キリストに対する信頼また信仰、そしてキリストに対する愛はむしろ優先第二位のもの(secondary)であると極めてはっきりと言っているのです。彼らは、第一のものとしては、外部的な行動と祈りの公式を高く掲げています。イエズス様の御絵は「警告する」ために不正利用されています。優しく親切であられる「イエズス」、私達が信頼を寄せるそのお方は、「法と復讐の神」の警告を支持なさいません。〔しかしながら〕そのイメージは、人々を悔い改めさせるべく、不安と恐れを作るために使われているのです。もちろん私達の社会は悔い改めなければなりません。しかしながら、それでも、そのようなイメージ〔The Warning が用いているイメージ〕は私達が与えられたものとは違います。
以上が第一の指摘です。
続いて筆者は、上の事に比べれば重要度が劣ると認めながらも、第二の指摘に進みます。
英語版の本の表紙
前段の指摘は、私が熟考した上で、重大なものとして提出したものです。〔しかし〕以下の指摘は、それほどは重大でないかも知れません。何故なら、それは偶然の一致かも知れず、単なる巡り合わせで出来たものかも知れないからです。
下に掲げるイメージは『The Warning』の英語版の本に印刷されたものです。英語の公式サイトで確認することができます。参照
そして、左は、その公式サイトで使われているままのイメージです。
それを、右の、手を加えられた絵と見比べる時、あなたはオリジナルの絵の上に不愉快なサインがあることに気づくでしょう。「666」
ドイツ語公式サイトのイメージ
次に掲げるイメージはドイツ語の公式サイトにあるものです。参照
ここにもまた「666」を浮かび上がらせる文字の曲線を見ることができます。
〔文字は “Warnung”〕
まるでデザイナーが「666」をこっそり忍ばせたかのようです。たぶん、これは偶然の一致なのでしょう。まあ、あまり深刻に受け取らないようにとお願いしておきますが。
同じレタリング(「666」を隠し込んだ同じ字体)はドイツ語の本の上にも(参照)、英語の宣布用カードの上にも(参照)、ドイツ語の宣布用カードの上にも(参照)見ることができます。
オランダ語のサイトの中にも同様のイメージがありますが、そこにおいては「666」は、見ては取れますが、それほどはっきりとはしていません。最初の二つの「6」と一番右の「6」の間がかなりあいているからです。参照
これについてドイツ語サイト(既出:diewarnung.net)の管理者は次のようにコメントしました。
私がもう何年もの間知っており、他の使徒職(apostolates)においても私を助けてくれている或る一人の女性が、この表紙をデザインし、それが素敵に見えるという理由で、曲線を持ったこれらの文字のデザインを選びました。「666」を考えたなどということはまったくもってあり得ないことです。もちろん、それは私においても同様です。しかし、『The Warning』に反対して何かを見つけたがっているどなたかは、たとえナンセンスなものであろうと、何かを見つけるのでしょう。
いいでしょう。たぶん(これは全くの推量ですが!)聖霊が、それらのメッセージが何処から来たかの手掛かりを私達に与えるために、その女性の手を導いたのでしょう。
先ず、この筆者の第一の指摘ですが、私はまったくその通りだと思います。もしそのイメージに「イエズス、われ御身に信頼し奉る」という文字を入れよというのが超自然からの御要求であるならば、イエズス様からの直接の御要求であるならば、その時、その文字を「入れない」などということは、私達には決してできない筈です。
一般にもその文字が入っていないものがしばしば見られるけれども、
それは本来、必ずこうでなければならないと思います。
ましてや、イエズス様から別途の御許しがあった場合を除き、その文字を入れないばかりでなく別の文字を入れるなどということは、イエズス様の御要望に対する真っ向からの裏切り、ということにならないでしょうか。(あるいは少なくとも、超自然に対する敬意の大いなる欠如。)
たとえ本の表紙であれ、カードであれ。
何故なら、イエズス様の御要望において、そのイメージとその言葉は「ワンセット」だからであります。
だから、これだけでも、『The Warning』の関係者達の感覚はかなり怪しむべきもの、ということになる筈です。
彼らも、チャプレットの解説においては、その言葉が入った御絵を表示しています(参照)。しかし、これによっても、上の事がなくなるわけではありません。
さて、そして、筆者の第二の指摘であります。
この曲線の三連続は、英語の筆記体の書き方において、それほど不自然ではないように思われます。
しかし、それにしても、見事な三連続、と思わずにいられません。
私は、この筆者と同じく怪しみます。
この場合、真相はもちろん分からないけれど、彼ら(それが霊であれ人間であれ)はとにかく、自分達の「サイン」を秘かに残すのが好きだからです。
 
見る人によれば、これらも「偶然」になったりするのですが。
次へ
管理人注
「文脈の中」ですから、「使われている」と云っても、「言及されている」「引き合いに出されている」というニュアンスでしょう。実際、その信心は非常に多く言及されているようです(一例)。
念の為に言えば、しかし、これによって、「だからこの『イエズス』は本当のイエズス様だ」ということにも、また反対に「だから聖ファウスティナへの私的啓示は怪しい」ということにもならないと思います。
序でだから、ここで反省の弁を繰り返させて下さい。私は以前「神のいつくしみへの信心」についての否定的な記事を幾つか書きましたが(参照)、今では聖ファウスティナの日記の中の贋作を確信するのみです。
《ページ移動のためのリンクはにあります》
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ