2012.08.13

クリスマスの中に紛れ込んでいるもの 14

終わったつもりだったが、ナストについて追加。
ナストのテキトーな世界
これ↓もナストの作品である。
1870年
しかし、右側のこの人物は「サンタクロース」ではない。
絵の下の文字は「死の王による賞の授与。バッカスが最優秀賞を受賞(King Death's Distribution of Prizes. Bacchus takes the First Premium.)」。
足元の巻き紙には「バッカスの犠牲者の名簿:死、犯罪、悲惨の最長のリスト(Bacchus's Roll of Victims : The Longest List of Deaths, Crimes and Miseries.)」。
であるから、これはローマ神話の酒呑みの神、バッカスである。
それにしても、なんと彼の描く「サンタクロース」に似ていることか。
そして、それでいてなんと不吉な絵であることか。背後にはバッカスによって己が霊魂を滅ぼした亡者達がうごめく。これは地獄の絵である。
似ているのは体型ばかりでない。彼の描く「サンタクロース」は、このバッカスのように、否、一般的にイメージされるバッカスのように、あるいはまた西洋の神話や伝説の中の他の登場人物のように、しばしば頭に葉っぱを付けているのである。
しかし私は「彼の描いた『サンタクロース』は実のところバッカスだった」とか、あるいは「ファーザー・トールだ参照」とか、言いたいのではない。そんなことはどうでもいい。「ナストのサンタクロースなんていい加減なもんだ」と言いたい。いい加減なものに世界が騙されているので悔しい。
以前のページで「Wild Man(野生の男)」として紹介したこの絵。
この絵の出所が少し気になっていたのだが、分かった。これもナストの絵である。ハーパーズ・ウィークリー誌1869年1月2日号の表紙を飾った彼の絵である。
"A Merry Christmas and Happy New Year," illustration by Thomas Nast from Harper's Weekly, Saturday, January 2, 1869, at Fenimore Art Museum.(参照1
しかし、ナスト自身、これをサンタクロースだなどとは、いくら何でも言っていないだろう。言えないだろう。これはやはり「Wild Man」だろう。しかし、ともかく、この男は飾られたクリスマスツリーを持っているのである。
だから、ナストのテキトーな世界において、「サンタクロース」と「Wild Man」は近いのである。
「ナストのテキトーな世界」を冒頭のバッカスの絵で確認してみよう。
下は全て彼の描いた絵である(その部分である。全体を見たい人は画像をクリック。左の二枚はフリーメイソンの大学のデジタル・ライブラリーに飛ぶけれど)
1870年の「バッカス」の絵以外、全て「サンタクロース」である。
1870年
1881年 Caught!
1874年
1880年
Santa Claus Dancing with Mother Goose
彼の不吉な絵の中の人物(バッカス)と幸福な(と世間から思われている)絵の中の人物(サンタクロース)は、私達の目に見分けがつかない。ほとんどそのまま交換可能である。「バッカス」、「サンタクロース」、それらの “ラベル” を付け換えるだけで。
なんとテキトーなこと。彼の「アート」の世界なんてそんなもの。
<脱線>「フリーメイソンの大学」を見て来ましたか? そこにあるロゴに気づきましたか? それは「或るビル 8」で見たもの、「水準器(Level)」と、「直角定規(Square)」と、一番下のは分からないけれど、とにかくフリーメイソンのシンボルから成ります。The Dark Side of Princeton University と題されたビデオもあります。このことはナストとは関係がないけれども。関係がないと思うけれども。
ナストは「白い豊かなお髭をたくわえた恰幅のいいおじさま」の絵に「サンタクロース」という “ラベル” を貼り、世界に流した。
着色されたナストのサンタクロース
そうしてそのイメージは、彼に続く幾人かの画家やコカ・コーラ社に受け継がれ、ますます典型化された。
そうして私達は、文明ごと、彼らのイメージ戦略に引っ掛かった。
(あなたが生まれた時、世界は既に騙されて久しかった。)
そうして・・・最後に無作法で残酷な表示をするが・・・
それはカトリック教会をも侵したのである。
このサンタクロースは神父様で、この写真を表示しているのも神父様(別の)である。もちろん、クリスマスにサンタクロースに扮するのはこの神父様だけではない。そして、この神父様はお優しい神父様であるかも知れない。
どれほど実害があるかは定かではない。
クリスマスは年に一度のことではあるし。
しかし、それでも、私は悔しいのである。
つまり、
私はトーマス・ナストについて書いていたのではない。
カトリック教会について書いていたのである。
トーマス・ナストゆえに書いていたのではない。
カトリック教会ゆえに書いていたのである。
もしカトリックの神父様と信者が
「サンタクロース」に扮することがなかったなら、
私は書いていない。
世間(教会外)がどうあろうと。
多少悔しかろうと。
しかし、そうではない。
カトリック教会までもが、
彼らのこのような「テキトーな世界」に
騙されてしまっているのである。
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