2012.08.13

クリスマスの中に紛れ込んでいるもの 3

もみの木?
これらはドイツの古いクリスマスカードらしいのだが(英語で書いてあるものも、絵自体はドイツのもののようだ)、聖ニコラオ司教である筈の人が今度は木を担いでいる。
クリスマスツリーと言えば「もみの木」ということになっている。
これらも「もみの木」なのか?
しかし、そもそも(もみの木であってもそうでなくてもとにかく)、聖ニコラオの事跡にそんなもの(樹木)が含まれているだろうか?
ヒイラギといい、もみの木といい、クリスマスは植物を祝う日なのか?
いいや、聖子の御降誕の周りに、また聖ニコラオの事跡に、ヒイラギ、もみの木、これらの植物は無かっただろう。これらの植物は、「主イエズス・キリストの御降誕の記念日」に、本当はまったく無関係であるだろう。
「聖子の御降誕の周り」どころか、新約の物語全体を通して、植物はそんなに出て来るものではないだろう。オリーブと葡萄ぐらいのものだろう。
上の「サンタクロース」とかなり似ているのは、これである。
よくは知らないが(調べるつもりがないが)、中世ヨーロッパの神話だか伝説だかにおける「Wild Man(野生の男)」というものだそうである。(Wikipedia にある画像はあまり似ていないけれども。)
この「Wild Man」というものの他にも、「サンタクロース伝説」の中に “混入” したものとして色々なものが挙げられている(後で出て来るが、トールという神とか)。とにかく、「サンタクロース」という人物像ほど、各民族がてんでに好き勝手に自分達の神話やら伝説やらの登場人物(神?)の像をミックスさせた、テキトーでいい加減なものはないように思われる。
また、「クリスマスツリー」については、Wikipedia が変な事を言っている。
クリスマスツリーの習慣は、中世ドイツの神秘劇でアダムとイヴの物語を演じた際に使用された樹木に由来している。
クリスマスツリー(英: Christmas tree)は、クリスマスのために飾り付けられた木である。「知恵の樹」の象徴とされる。(…)
常緑樹が使われるのは、冬の間も緑を保つため、強い生命力の象徴とされたためである。また、『クリスマスの起源』(O.クルマン著)によれば、中世の聖夜の降誕祭の序幕において行われた、アダムとエヴァの堕罪の舞台劇で使われる「知恵の樹(善悪の知識の樹)」として、冬に葉が落ちてしまうリンゴの木の代用に、常緑樹のモミの木が禁断の木の実を飾るために使用されたのが由来ともされる。
聖劇の中にエデンの園の「知恵の樹」が出て来るのは結構である。しかし、上のようなことであれば、人類の原罪の発生の場にあったその樹、蛇(サタン)が巻き付いていたであろうその樹を、主の御降誕を祝うその場その時に飾るということになるのである。一体全体、人はどのようなウルトラQな心を持てば、そのようなことがその目的に「相応しい」と考えることが出来るのだろうか?
Wikipedia のそのような説明を読んだ後では、これらのツリーに見られる螺旋は蛇に見えてくるのである。
Wikipedia は「変な事」を言っていると同時に「真実」を言っているのかも知れない。クリスマスツリーは善いものではないかも知れない。
子供達への影響
クリスマスカードのこれらの図柄が私達に明確に教えているのは、子供達にとってクリスマスは「イエズス様の御降誕を思う日」であるよりもむしろ「サンタさんが贈り物を自分にも届けれくれるかどうかを心配する日」だということである。
子供の姿としては確かに可愛いと言えば可愛いけれど、しかし、やっぱり、あまり善くはないと思う。
要するに、このようにして大人達は、子供達に、「イエス様の御誕生の記念日に第一に自分の欲望を気にすること」を、積極的に教えるのでなくても、“許して” いるのではないだろうか。
大人達には?
大人達のためにはもっと俗悪なクリスマスカードが用意されている。
このサンタクロースの台詞と思われる右側にある英文は... 「鬱陶しい心配事など放り出しちまいな。クリスマスに乾杯。祝いの酒盛に加われよ。愉快にやろうぜ」 といったところか。
つまり、このサンタは、以前見た(別ブログで扱った)ビリケンと正確に同じである。
「あんたに助言を一つ。- - - 落ち込みと心配はあんたの寿命を縮める。だから、カーニバルに来て、心配事を吹き飛ばしちまいな。陽気な心には薬のような効き目があるのさ。良い時を。」 ビリケンは悪霊である 4
思うに、この一致は偶然ではないだろう。サンタクロースを促進している者らとビリケンを支持している者らは同じだろう。「またか」と言わないでもらいたいが、それはやはり、おそらく、フリーメイソンだろう。(後述)
つまり、人は上のクリスマスカードのサンタクロースは「悪く加工されたサンタクロース」だと、つまり商業主義者らによって悪く加工されたものだと、そしてそれとは別の「本来のサンタクロース」があるのだと言うかも知れないが、私はそうは思わないのである。「そんな別などない(少なくとも「実質的」に)」と思うのである。(後述)
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