2012.08.13

クリスマスの中に紛れ込んでいるもの 2

クリスマスの世俗的な習慣、つまりサンタクロース、クリスマスツリー、贈り物、宴会気分などの風習を排斥するために、人はそれらの「起源」について知る必要など少しもない。何故なら、それらの風習は「主イエズス・キリストの御降誕の記念日(御降誕日に非ず)」にまったく似つかわしくないものだからである。それらはむしろ主イエズスから人々の視線を外させる。
本当に、クリスマスの風習の起源について調べたり論じたりすることは、本来ならまったく不要なことだ。たとえば、第二バチカン公会議に混ぜられた毒について感覚を持っている人なら、私はこれを確言できるが、クリスマスの風習など問題にもしない。その世俗性はまったく「論外」のものである。ただキリスト者が「聖伝」という言葉を取り戻せば、それへの感覚を取り戻せば、サンタクロースやそれに伴う宴会気分など、まったくその感覚に合わないのだから、キリスト教界からひとりでに消え去るものである。
しかしながら現実的には、先ず非キリスト者だが、そのほとんど全てが、それらの風習を「キリスト教のもの」と思っているし(これは当然・自然のことだが)、そしてそればかりかキリスト者自身までもが、その非常に多くが、同様に思っているのである。(否、思っているのではないか。)
「教会」はどうだろう? つまり、その「教導職」は。それはそれらの風習と「主イエズスの御降誕」との結び付きを認めただろうか? かつて一度でも。
──否、なかったろう。そういう意味では、たとえ教会がクリスマスツリーを飾ろうとも、司祭がサンタクロースに扮して子供達を喜ばそうとも、それはいわば「教会内世俗」に属するものである、ということになるだろう。
しかし、やっぱり、それで済ましてはいけないのではないか。
そして、「起源」に関する論議も、少しは役に立つだろうか。
先ず、最も軽いところ、ヒイラギから。
ヒイラギ
Holly
(正確には、セイヨウヒイラギ)
この葉っぱは、主の御降誕とどのような関係があるのか?
あるいは、この葉っぱは、これほどサンタクロースと “セット” のようにして置かれるのだから、サンタクロースのモデルと言われる聖ニコラオ司教Laudate:聖人カレンダーと、何らかの関係があるのか?
この植物は何故、「主の御降誕の記念日」にこれほど頻出し、持ち上げられ、ほとんど「主役を張って」いるようであるのか?
次は一般に出回っているらしい説明の一つである。
ひいらぎの葉はキリストのいばらの冠、即ち受難を表し、赤い実はキリストの血を表すものとしてクリスマスに飾られるようになった。
しかし、この「説明」の言い出しっぺが誰なのか、今や誰も知らないのではないか?
確かに、ヒイラギの実は赤く、その葉はトゲに近いものを持っているだろう。
しかしながら、それでも、キリストの御受難(あるいは御苦難)を象徴するものとしてはそれはあまりにも「遠い」と、私達は気づかねばならない。
そして、「理由」は「後付け」されることもあるということも、つまり「こじつけ」られることもあるということも、知らなければならない。
歌はお上手である。しかし、何故そんなにヒイラギを飾りたいのか? その理由をご存知なのか?
もちろんご存知なのだろう。歌をぼんやりと聞いている者達(私を含む)は別として、この歌を自ら歌うほどの人達は分かっているのだろう。
いや、彼らばかりでなく、多くの人が知っているのだろう。
しかし、私はと云えば、自慢じゃないが、今の今まで知らなかったのである。それが西洋の古代宗教(ペイガニズム)から来ていることを。
次は、ペイガニズムを好意的に見ている人の文章である。
ユールの伝統
ユール(Yule)のサバトは太陽の再生を祝う祭りです。6月21日の夏至から衰え続けていた太陽も、それを境に再び力を回復し始めます。日はゆっくりと長くなってゆき、地上に対する夜の長い支配力を追い払います。このことは私達皆に、生命が再び始まることを、すべてのものが循環していることを思い出させます。
クリスマスは異教徒(pagan)の祭りを流用(adapt)したものです。初期の教会教父達は、永らく続いて来た異教徒の信仰を根絶するのは困難と見て、諸祝日を異教徒の習慣に合わせ、異教徒達に新しい方式(twist;より糸?)を与えました。異教徒の伝統の多くは今も、キリスト教の祝日の要素として生き残り続けています。
家を常緑植物で飾ることは、成長する季節が巡ってくることを思い出させるためでした。実を持ったヒイラギ(Holly)は二重の意味を持っています。赤は休息している母(Mother)を象徴し、濃い緑は夏至以降を支配して来たヒイラギの王(Holly King)を象徴しています。宿り木(mistletoe;ミッスルトゥ)もまた、強い異教的起源を持った飾りの中で使われる植物です。それは天と地の間に育ち、地面に根を張っていないことから、不思議なものと考えられていました。あなたのクリスマスの飾りの中にコマドリも置いて下さい。コマドリは異教との非常に強い結びつきを持った多くの鳥の中の一つです。
ユールはヒイラギの王の死を印すと同時にオークの王(Oak King)の誕生をも印します。両者は永久に優位を争っています。真冬にはヒイラギの王がオークの王に対して優勢に立ち、真夏にはオークの王が優勢に立つという具合に*。両者は光と闇(両方が植物の成長のために必要)の化身と考えられています。
* 訳注:セイヨウヒイラギは常緑であり、オークは日本の楢〔ナラ〕に当り、落葉樹であるらしい。だから、夏至以降はオーク(の王)は日に日に「衰える」。参照: Wikipedia 「オーク」
多くの人は12月21日の冬至の日に太陽が昇るのを見に出かけます。これはオークの王を歓迎することです。東に向かい、女神と神にあなたと共にあるように求めて下さい。太陽が昇る時、光と温かさの帰還に感謝して下さい。願を掛け、それを帰還しつつある太陽に捧げることもできます。あなたが願い求めたものをあなたが達成することができるように、あなたに力を与えてくれるよう願って下さい。もしできるなら、あなたの目を引く、石、小枝、何かそのようなものを探して下さい。あなたがそうすると決めた約束のシンボルとして、あなたが常に身につけていられるように。
ユール・ログ(Yule Log)とは、現代のチョコレートのかかったスイスロールのことではありません。それは本物の薪です。その薪の上に、あなたの家族、あるいは集会(coven)のメンバーの一人一人を表わすロウソクを立てます。ロウソク(赤、緑、あるいは白)は、光を増し続ける日々の帰還を象徴します。もちろん、伝統的に、ユール・ログは取っておかれ、翌年に*燃やされます。灰が冷めたら、それは力強い魔除けとするために集められるか、来たるべき年の豊かさと恵みを確かなものとするために、庭や畑の至る所に撒かれます。しかし、私達の内、焚き火をすることが許されている環境に居る人はごく僅かなので、チョコレートのユール・ログで代用するのが実際的かも知れません。その時は、ロウソクが灯され、願い事がされた後、ログは切り分けられ、食されます。
* 訳注:ユール・ログは直ぐに、そして翌年に「かけて」、燃やされるのではないか? 筆者の誤認か、私の誤訳か。 Of course, traditionally the Yule Log was kept and would be burned on the following year.
ユール・キャンドルは、なるべくなら、金色、あるいは金色がかったオレンジの炎が立つようにして下さい。昇る太陽と増大する光の日々に捧げるつもりで、それを準備して下さい。その事は、太陽を視覚化しながらロウソクのセンターから端までをなでることによってされます。理想的には、ロウソクは、増す光の最初の日の日の出前に灯され、その日の内に燃え尽きさせるべきです。しかし実際的には、灯されたロウソクをそのまま放っておくことはできないので、あなたは数分間それを灯した後、消すことができます。しかし、それを吹き消さないで下さい。ロウソク消し(candle snuffer)を使って下さい。冬至以降、毎日、ロウソクを再点火して下さい。そして、祭りの期間が過ぎるまで、自分がなぜこの祭りを祝っているのかを思い出して下さい。
自由な贈り物の交換、小さなプレゼントの与え合い、そしてそこからお祭り騒ぎの気分が引き出されるという古いユールの習慣は、おそらく、冬至前後に持たれたローマのサトゥルヌスの祭り、農耕神のための祝いに由来するものです。人々は、太陽の帰還に敬意を表して、光の神と新しい生命に敬意を表して、祝い、飲み、踊りました。
クリスマス、ハヌカー、カンザ、あるいはユール、そのどれを祝うにしろ、私達は皆、家族の絆を新たにするための時としてその季節を喜び、私達の自然環境の中で楽しみ、過去の年の出来事について考え、希望をもって新しい年について考えを巡らせることができます。冬至が私達の前に自己表示する時、全ての終りが新しい始まりとなるのです。
Posted on Dec 7, 2011 by Bonnie
次は、現代のペイガン達が作っているものである。(画像にリンク有り)
Celtic Place Mats
ケルトの伝統に従ってデザインされたランチョンマット
Yule-koszorú
(Yule wreath;ユールリース)
上で取り上げたクリスマスキャロル「ひいらぎかざろう」の原詞の中にも「ユール」という言葉が出て来る。そして、上のペイガニズムを愛する人の記事。そして、上の現代のペイガン達の作る作品。これら全てを合わせ考える時、ヒイラギの尊びは、ますます、その時節が「クリスマス」ではなく「ユール」であった時代、つまり前キリスト教時代のものである。その名残りである。
だから、「ひいらぎの葉はキリストのいばらの冠、即ち受難を表し…」などというのは、表面的な、都合の良い(たとえ善意ではあっても)「後付けの理由」であるのは確実である。
そして、カトリック教会もこの種の(さすがにペンタグラムは含まないだろうが)クリスマスリースを飾ることがあるようである。
カトリック伏見教会
だが、私はこれをあまり非難する気になれない。こうやって写真を勝手に頂いた上で掲げるわけだけれども(御免)、非難したいからではない。何故なら、信者が気にすべきは、究極的には、霊魂のための実際的な益と害のみだろうからである。
たとえば、一般的な日本人の中には、正月になると玄関に次のようなものを飾る人が多いだろう。
そして、これはしめ繩を含むのであるから、神道のものであるだろう。
しかし、果してそれを意識している日本人はどれほど居るだろうか?
意識しない人にとって、それは「宗教行為」ではないことだろう。
それと同様、「ユール」の時代の習慣を引き継いでいるキリスト者にとって、その主観にとって、クリスマスリースは必ずしも「宗教」ではないことだろう。彼らの「生活」にしみ込んだ「習慣」であることだろう。
「だからいい」とは言わないが、また同時に「目くじら立てるほどのものでもない」とも思うのである。
けれど、またまた反転させるようで申し訳ないが、一応は知っておいた方がいいと思う。そのような習慣を持つ「ペイガン」の中には、確かに「ウィッカ」なども含まれるということを。
そして、次のような説もあることも。
(セイヨウヒイラギは)常緑で真冬に目立つ赤い実をつけることから、ヨーロッパではキリスト教以前にもドルイドにより聖木とされた。また古代ローマではサトゥルヌスの木とされ、その祭の直後に当たる12月25日の冬至祭で用いられたため、後にクリスマスにつきものの装飾となったといわれる。
「これらの事を思う時、どうも気持ち悪くて飾る気になれない」となった方が、どちらかと言えば良いだろう。
なお、12月25日という日付だが、それは冒頭でも書いたように飽く迄「主イエズス・キリストの御降誕の記念日」であって「主イエズス・キリストの御降誕日」ではない。
では何故12月25日に設定されたかだが、それは上のペイガニズムに好意的な人が書いていた通りだろう。つまり「初期の教会教父達は、永らく続いて来た異教徒の信仰を根絶するのは困難と見て...」云々。
Yahoo!知恵袋
解決済みの質問
どうして、イエス・キリストの誕生日(一応12月25日になっている)を、西暦1年1月1日に、しなかったんでしょうか?
ベストアンサーに選ばれた回答
キリスト教がローマ帝国で布教を行っていたときのライバル宗教としてローマで広く信仰されていたのがミトラ教でした。実は12月25日を祝っていたのはミトラ教でした。ミトラ教では12月25日が、ソル・インウィクトゥスの誕生日とされ、ソル・インウィクトゥスとはミトラ教の主神ミトラを意味しました。この祭りの名前はナタリス・インウィクティと呼ばれ、12月25日の冬至を境に、短くなり続けていた昼の時間が長くなっていくことから、太陽神ミトラスが冬至に「生まれ変わる」という信仰があったのです。
キリスト教が布教を進めていく過程で、このミトラ教の存在は邪魔なものでしたが、逆にミトラ教の様々な祭典や儀式をキリスト教に取り込むことで、ミトラ教徒がキリスト教に改宗しやすくしたのです
おそらくそんなところだろう。教会の採ったその方策が「適切」なものであったかどうか、また基本的に「善」に基づいたものであったか、それとも単なる「勢力争い」と見られるべきものであるかは別として。(それは見る人が何を「真理」と見るかに依る。)
それ故、ネット上に「12月25日は古代バビロニアのニムロドという悪魔的人物の誕生日であって、従って、キリスト教界は実のところその日にキリストではなくその人物を拝んで(あるいは、騙された上で拝まされて)いるのだ」という論調が見られるけれども、仮に「12月25日はニムロドの誕生日」というのが正しかったとしても(しかし確かめ難いことである)、なお全体の物事の捉え方としては正しくないだろう。
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