2012.08.13

クリスマスの中に紛れ込んでいるもの 4

司祭、子供達のために「クリスマスを台無しにする」
By David Willey
BBC News, Rome
Tuesday, 23 December 2008
北イタリアの或る市の或る司祭が、ファーザー・クリスマスは本当は居ないのだ、と子供達に話したとして、その親達から非難されている。
ノヴァーラ(Novara)の Sacred Heart Catholic Church の教区司祭、ディーノ・ボッティーノ(Dino Bottino)神父は、今月初め、子供ミサでその秘密を漏らした。
Parrocchia Sacro Cuore di Novara
或る地方紙は何十もの親達の不満を掲載した。「あなたは私の子供達のクリスマスを台無しにしたんです」と一人の母親。
しかし、後悔しないボッティーノ神父は、誤解を正すことを彼の義務と呼んだ。
「私は子供達に、ファーザー・クリスマスはキリスト教のクリスマスの物語とは無関係の発明品なんだよ、と言いました」と神父。
「そして、もし再び機会があるならば、私は同じように言うでしょう」とも。
しかしディーノ神父は、彼がミサで子供達にファーザー・クリスマスもベファーナ(Befana)と呼ばれる1月6日にイタリアの子供達にプレゼントをくれる親切な魔女も本当は存在しないのだと言った後に自分の上にどっさりと加えられることになる軽蔑を想像することができなかった。
その司祭は、自分は決して誰を傷つけるつもりもなかった、しかしイエズスに関するリアリティとシンデレラや白雪姫と同様の寓話であるファーザークリスマスの物語とを区別することが自分の義務だったのだ、と語った。
もちろん私はこの神父様の方を支持する。 信仰に無関係でない事柄(=天主様に繋がった事柄)に関しては、いかに「喜び」や「愛」や「希望」のためであろうと、基本的に、事実性を歪めるのは善くない。
例えば、人は簡単に「聖ニコラオ」と「煙突」には確かに関係があったかのように言う。
「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。
しかし「リアリティ」というものを少し考えてみよう。
聖ニコラオは「煙突から金貨を投げ入れる」ために、屋根に登ったのか?
もしそうなら、その時、梯子は使ったのか?
それとも、梯子を使わずとも手の届く低い煙突だったのか?
それとも、手は届かなくとも比較的低い煙突で、聖ニコラオはその口をめがけて金貨を放り投げたのか?
運悪く煙突の口に入らず、虚しく屋根の上に落ちた金貨もあったのか?
池田敏夫神父様の『教会の聖人たち』(中央出版社刊)によれば、彼は金貨を「二階の窓の中に」投げ入れたことになっている。こちらの方が余程ありそうなことである。
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