2012.05.10

大阪梅田教会のリングの意味

「へだての壁をとり壊す」ため
カトリック大阪梅田教会(サクラファミリア)
何のことはない、またアレだ、例の「へだての壁をとり壊す」ということのためなのだ。彼らは意外と、考えることはいつも同じだ。気づいてみれば、すこぶる分かり易い話だったのだ。
私達は驚きのあまり、ついこのオブジェばかりに目をやり、「これは何だ」と考えるわけだが、これ、つまりこのオブジェには、さして重要性はなかったのだ。彼らの真の目的は、ただ「磔刑像の排除」だったのだ。磔刑像のない空白に彼らが「あてがった」のが、たまたまこのオブジェだったというだけの話だ。
もっとも、彼らにしてみれば「善意による排除」ということになるのだろう。いや、「排除」というより「置かない」ということだろう。しかし同じだ。
新しい聖堂ができるのを機に、そこに「あからさまにカトリック的なもの」は「置かない」ことにしたということなのだ。何故なら、彼らはおそらく当初から、それを「他宗教・他宗派との交流の場」の一つとするつもりだったから。
そして、このオブジェは、カトリック信者から非難されないための「言い訳」も含んでいる。むしろ言い訳そのものである。(後述)
以下(上もだが)、人々が求めてやまない「証拠」はなくても、私として確信していることを断定調で書く。断定調で書いても、それは私の「推測」と言えば推測である。
大阪梅田教会の献堂式は2011年3月6日だった。その約二週間後の2011年3月19日に、さっそくのようにして「大阪宗教者9条ネットワーク結成1周年記念集会」なるものがそこで開催された。
 
(画像はリンクされている)
参加者
聖公会  大阪聖ヨハネ教会牧師  鍋島守一氏
浄土宗  呑海寺住職  鈴木弘純氏
浄土真宗  本願寺派瑞松寺住職  念仏者九条の会  野村康治氏
金光教  羽曳野教会会長  渡辺順一氏
日蓮宗  本澄寺住職  お題目9条の会  三好龍孝氏
2011年11月12日には、「カトリック大阪大司教区社会活動センター・シナピス」主催による「入国管理センターに収容されている人たちを忘れないために」と題された「シナピス・入管面会ボランティア研修会」が開催された。
池長潤大司教
 
時間が前後するが、東日本大震災からちょうど半年後の2011年9月11日には、聖公会プロテスタント諸派と合同の「3・11東日本大震災 - 追悼と慰めと再生のための祈祷礼拝」が持たれた。(左写真: 池長大司教さま)
今年の3月11日にも同じ祈祷会が持たれた。参照
(私は、そこで捧げられた人々の祈りそれ自体が無価値だなどとは言わない。言えるものではない。しかし、それと同時に、それにも拘らず、このような合同には明確に反対である。そしてとにかく、今は別のことを話している。)
開催された行事をこれ以上探すつもりはない。それなりに大変なので。が、他にもあるだろう。
そして、私はこれをもって、このような催しは大阪梅田教会以外では持たれていない、と言いたいのではない。もちろん他の教会でも持たれているだろう。
しかし、大阪梅田教会が「特に」そのような目的のためにデザインされたものであることは確かだろう。まあ、言ってみれば「シナピス製の教会」だろう。
その教会は、他宗教者ばかりでなく、上で「入管問題」があったように、宗教的・非宗教的を問わず、あらゆる「困難にある人々」を招くだろう。しかし「聖堂」には、彼らは他宗教者を入れる。そのため、あからさまにカトリック的なもの、つまり主イエズスの磔刑像は邪魔だったというわけだろう。
「『邪魔』とは何だ。言葉が悪過ぎる」という声が聞こえる。しかし、結局はそういうことだ。
その声は続いて言う、「それはただ、他者に対する “気遣い” なのだ」。
そうだ、それはアシジの諸宗教平和祈祷集会と同じだ。同じ発想だ。アシジでは「他者への気遣い」のために、磔刑像を取り外したり、取り外せない場合には磔刑像の上に布を被せたりした。(参照: 平和のためにイエズスを隠す
しかし、磔刑像を取り外したり布を被せたりしたのでは、具合が悪いのである。アシジは非難された。それと同じことをするわけにはいかない。それで、彼らは「適当なものはないか」と思案した。
そして、採用されたのがボナノッテのこの作品である。
これについて、以下の記事たちが説明している。(全てイタリア語)
イタリア語なので、私にはよく分からないが、しかしとにかく(自動翻訳によれば)、それは救いの神秘な事跡を、円環の上下左右、四箇所に配置しているようだ。
これは元々は、必ずしも祭壇の上に吊すことを目的に作られたものではないだろう。しかし、彼らはこれを「適当なもの」として採用したのである。(本当にテキトーだ)
(しかし)うまく出来ている。
  1. この作品は確かにキリスト教に関係する。だから、「どうして磔刑像ではないのか」と非難されても、彼らは「ええ、しかし、これだって救いの歴史を表わしているのです」と言える。何とか「言い訳」が立つ。
    (必要なら、こうも言える。「彼は一般にも名声ある彫刻家で、更に彼の作品は教皇大使館にもバチカンにもあるのですよ」)
  2. 且つ、これは一般の人々、あるいは非キリスト者、あるいは非カトリック者から見て、パッと見では何なのか分からないのである。それらの人々に「抵抗」あるいは「違和感」を抱かせない。それ故、大阪大司教区の彼らとしても、これを取り外したり布を掛けたりする必要もない。
それが、これである。
カトリック大阪梅田教会(サクラファミリア)
しかし、見るだに異形である。私としては、これで何とか言い訳が立ってしまうというのが不思議だ。即ち、大阪の信者さん達は何故、これに大騒ぎしないのか。非難しないのか。
そして、菊地司教様も、他の大阪以外の司教様方も、そして教皇大使も、彼らのこのような形の「他者への気遣い」を評価なさるのか。それを認めるのか。主イエズスに対して「申し訳ない」と、少しも罪悪感はないのか。
「磔刑像を隠す」ということは「主の御受難を隠す」ということと同じだ。
それで神の御心に適うと思うのか。
ちなみに、小聖堂も大聖堂と似ている。その祭壇の背後に磔刑像はなく、代りに天井からボナノッテ作のぼんぼり(ランプのようだが)がぶら下がっている。十字架あるいは磔刑像は、祭壇布に申し訳程度にあるだけだ。
小聖堂にだけ磔刑像を普通に掛けるわけにもいかないのは勿論である。
こんな表示はおよそ意味がないけれども、参考までに。
 
左上が大阪梅田教会の小聖堂にあるもの、そして上が教皇大使館の聖堂にあるものである。
そして、それらのベースになったのが左のものらしい。ボナノッテの公式サイトの説明には「Votive Lamp(奉納ランプ?)、1976年、ブロンズ、直径33cm、教皇儀典室、バチカン市国」とある。参照
どうやら彼も、バチカンとは長い付き合いのようだ。70年代からのようだ。
そして70年代といえば、ファッツィーニ、スコルツェッリ、ボディーニなどといった悪しき芸術家達が居た時代である参照。そして、その時代に芸術家達を選んでいたのは(今もそうかも知れないが)フリーメイソンである参照
・・・「おそらく」と付けなければなりませんでしたか???
 
写真の色合いがずいぶん違うが、どちらも主聖堂の信者席を撮ったもののようだ。これらの信者席は跪きの可能性をまったく排除しているように見える。
カトリック大阪梅田教会(サクラファミリア)
とにかく「異常」である。
ほかに言うべき言葉を持たない。
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