2010.04.27

U2のボノはおそらくサタニストであろう (2)

では次に、ボノという人を少し観察してみよう。
  1. 彼は COEXISTIST、COEXISTIAN(「諸宗教共存主義者」とでも言えばいいのか)である。しかも、ご覧のように、その思想(COEXISTISM?)の積極的な宣布者である。
「COEXIST」のロゴにも色々あるが(一般に)、これがボノがデザインしたもの、あるいはボノが認証したものである。
一つの確定的な結論: 彼はこのままでは断じてカトリックの(天主様の)味方ではない。どうしてこのような者を、カトリック信者である我々が「愛する」などということができようか?「なにせアーチスト、ミュージシャンのことだから」と見逃すことは正しいだろうか? 天主様ご自身、それをお許しになるだろうか?
カトリック信者にとって、この一事だけで、この人物を退けるためには十分だ。
彼の所属はこれなのだ.. (画像にリンクあり)
次に進もう。
吐き気を催させるものだけれど。
注意: 全ては “霊的な伝導” の問題であるから、彼とその取り巻き(ファンも含めて)が主張している表面上の「理由」「説明」に関わらず、あなたはここから多少なりとも霊的に悪いものを受けるだろう。つまりは、“邪気” を。表示しておいて何だが、あなたは次のこれらの写真(↓)をあまり長く注視しない方がいいかも知れない。
  1. 彼は “冗談で”、あるいは “表現の一環として”、・・・しかしそのような「理由」はどうあれ、とにかく次のような悪魔の装いができる人である。
これが普通のことかどうかを、あるいは「アーチストらしい風刺精神から来たものだから。過激だけど、あくまでパフォーマンスだから。一つのキャラクターを演じているだけだから」とか何とかの “理屈” あるいは “説明書” でもって納得していいものかどうかを、心を潜めて考えなければならない。(否、普通の人なら「心を潜めて考える」必要など全くないに違いない。それほどのものである。論外である。論外!)
つまり、“説明書” には次のようにあるらしいのだ。
時間のある方だけお読み下さい。本来読むに値しないので。
ビデオライナーより。
 「ZOO TV」は湾岸戦争の時に、U2が身に沁みて感じたテレビ・メディアの影響力を、パロディ化して表現し、問いかけた報告書とでも言うべきものである。
 人間の命がぞんざいに扱われ、破壊される様子が画像を通して映し出され、まるでテレビ・ゲームでも見ているかのような錯覚に陥らせた湾岸戦争・・・テレビのマルチ・チャンネルが日々、我々に送りかけるイメージやメッセージは、いつしか我々の思考さえ支配するようになっている。
 後半でボノ扮するマクフィストは、ゲーテ作の「ファウスト」で、ファウスト博士が魂を売った相手の悪魔、メフィストテレスに由来する悪魔の化身。テレビ・メディアの落とし子で、堕落と邪悪のシンボルでもある。
 テレビが我々の生活で最も重要な存在になった時、信仰から政治的な意見まで影響を受け、何よりも恐るべきは他人の苦しみや痛みといったものにさえ鈍感になってしまうこと。
 湾岸戦争当時のテレビ・メディアの対応がキッカケとなり、ヨーロッパ・ツアーのステージでは、殆ど毎回、ボスニア・ヘルツェゴビナ問題を現地から生中継し、別の観点から「苦痛を分かち合う」感性を呼び戻すよう、訴えかけていた。
 マクフィストは邪悪で、横柄なテレビの本質を代表する現代のメフィストである。
ファンというものは、このような「説明」で納得し、信ずるものなのか。「アバタもエクボ」の最上級だね!
  1. 彼は “冗談で”、あるいは “表現の一環として”、・・・しかしそのような「理由」はどうあれ、とにかく次のように悪魔の角を象徴して(あるいは “誇示” して?)みせることのできる人である。
  1. 彼は次のような種類のアクセサリーが好きな人である。
(これはまあ、「情報が確かならば」の話だけれど。そして、比較的小さなことではあるけれど。)
これは「牙」であって「角(ツノ、horn)」ではないだろうけれども、しかし「イタリアン・ホーン (Italian Horn) 」に類するもの、それに通じるものだ。つまり、嗜好のメンタリティ(感性)は同じだ。つまりは獣(ビースト)的な感性なのである。
Italian Horn(あなたにはもちろんこれを信じない自由がある)
そしてまた、
(同じく、あなたにはこれらを信じない自由がある)
  1. 彼が自らのコンサート・ステージに採用したデザインがこれである。
お子ちゃまであると同時にグロテスクである。異様であり異形である。まるで甲虫の足だ。
彼はこのデザインをガウディのサグラダ・ファミリアの写真を見て思いついたらしい。そうして、このセットは「Claw(爪、鉤爪)」というニックネームで呼ばれ(牙の次は爪というわけである)、彼ら自身によると「近未来的な四足の宇宙船のよう」であるらしい。お子ちゃまだ。私も十分にお子ちゃまだが(こういう記事をせっせこと書いていることからも分かるように)、それ以上にお子ちゃまだ。(そして勿論それ以上のものだ。)
セットの頂上からは眩い光が放射される。そしてボノは、「音楽は礼拝だ」と言う(時間のある方だけ参照。本来見るに値しないので)。つまり、おそらくは、参照の動画が言うように、彼にとってはこの異様なセットは「カテドラル」なのであって、それ故、その頂上から放射される眩い光も単なる飾りや趣向ではなくて、おそらくは彼流の「人々への希望の光」なのだ。
ちなみに、サグラダ・ファミリアのことを内心「醜い」と思っている人は意外と多いだろうと思う。私もその一人である。あれはじめじめした虫の巣だ。異様でしかない。
サグラダ・ファミリア
U2のアルバム「The Unforgettable Fire」
あなたはこれらがキリスト教のスピリットから来たものだと思うか?
The Unforgettable Fire? 何の火だろう。
「芸術(本当はこの言葉は使いたくないが)に騙される人」というのが常に一定の割合で存在する。その人達は少しばかり深遠なふうな表現に行き当たると、それが見かけばかりでなく本質においても「深いもの」なのではないかと錯覚する。
(この指摘の単純さを笑うなかれ。インテリであるあなたもまたその通りなのだ。もしあなたが美術史やら美術理論やらの「説明の海」にあまりに溺れているならば。)
  1. 彼はその路線の人である。
ボノ
マドンナ
つまりはこれである。
  1. 彼は要人に接触する。(これ自体、何の証明でもないが。)
  1. 彼は要人に感じの悪いサングラスをプレゼントするのが趣味である。
    (これは何かの証明である。彼は自分のトレードマークを人に渡して嬉しい奴なのだ。人間が安っぽいのである。)
教皇様にまでも。
私の親の年代にとっては、サングラスは「黒メガネ」と言って、まともな男のするものではなかった。要するに「チンピラ」のするものだった。私もまた、「目を紫外線から守るため」などの実用目的以外は、その通りだと思っている。だいたい、人から自分の目を隠すなどということが外道である。自分の目は人にきちんと見せるべきだ。
  1. 彼は教皇様の真似さえする。
「理由」 は、「俺は教皇様を敬愛してるんで」というところだろう。
ベネディクト16世の時代には決してやらないだろうけどね(笑)
これはコラージュだそうである。お詫びする。
  1. 彼は、アル・ゴアとも、ビル・ゲイツとも、小ブッシュとも、大ブッシュとも、クリントンとも、仲良しである。彼は福田首相のところにビル・ゲイツと共に押しかけ、「金を国連にも回せ」と言ったようだ。彼は国連が大好きである。おまけに彼はルシス・トラストに誉められるような人である。
  1. 彼は、本当はただのチンピラである。
本当はわざわざ取り上げるほどの人物ではない。ただのチンピラである。けれども、それでも、彼に魅力を感じ、惹き付けられる若者が居るのだ。そればかりか神父の中にも、前回見たように、「彼の歌詞には愛がある。間違いなくキリスト教的なものだ」と言ってしまう人が居るのだ。
しかし、
もう十分だろうか?
わかった?
いくら何でも。
彼の言う「愛」に騙されるな。
言われた「理由」「説明」に騙されるな。
「行動」も「動機」とワンセットで見られるべきものだ。
私は、彼のことを、ただ「敵視」し「攻撃」したわけではないよ。彼にだって、誰にだって、悔い改めるチャンスはある。恵みを受けるチャンスはある。けれど、現在の彼の行状に関して、現在の彼の内面に関して、人はシビアに醒めていなければならない。
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