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左から右へ: パチェコ神父、パディヤラ枢機卿、シスター・ルチア、ミカエラッパ司教、修道院長。
パディザラ枢機卿──「1984年3月25日に教皇ヨハネ・パウロ二世によって奉献は果たされたのでしょうか。」
ルチア修道女──「まさにそのとおりです。奉献は、1942年10月31日に、教皇ピオ12世によってすでに行われていますが、それは、世界の全司教と一致して行われたものではありませんでした。教皇ヨハネ・パウロ二世が、ついにそれをなされたのです。教皇パウロ六世もまた、第二バチカン会議が閉幕するときに、ローマで奉献を行われました。そのときには世界のすべての司教が出席していました。このとき、私は、聖母の求めは果たされたのですかとある方から聞かれて、『いいえ!』と答えました。どの司教も、一つの場所に結束するのではなく、おのおのの司教区にいなければなりません、それは、奉献は神の民全員の結束を求めているからです、と私は説明しました。
1982年に、パパ様は、ファチマにおいて奉献を行なわれました。私も出席しましたが、全司教の結束が欠けていました。最後に、1984年に、パパ様は、その年の3月25日に行なわれる奉献に共に加わることを求める書簡を、世界の全司教に送付したのです。パパ様はまた、奉献式のあいだ、サンピエトロ広場に安置するため、ファチマの聖母の聖堂の御像をローマに移送するよう要請なさいました。司教たちは、この奉献式において、パパ様に加わったのです。」
カルロス・エバリスト──「しかし、司教のなかには、パパ様からの招待が間に合わなかった人もいますし、これに何の注意も向けなかった人、参加を決断しなかった人もいたのではないでしょうか。」
ルチア修道女──「加わらなかった司教が誤っていたのだと言えるでしょう。しかし、大部分の司教がパパ様の招きに結束したのです。全世界の人々が、教区ごとに司教と心を一つにし、司教はパパ様と心を一つにしたのです。奉献が神の民の結束の大いなる証言であるというのはこのためです。つまり、聖母は奉献をお受け入れになったということです。」
カルロス・エバリスト──「聖母に受け入れられたとおっしゃるのですか。」
ルチア修道女──「そのとおりです。」
カルロス・エバリスト──「しかし、ロシアが名指しされることはありませんでした。聖母はこのことを要請なさっていたのではありませんか。」
ルチア修道女──「パパ様は、1984年の奉献文の中で『この人々』と言われたときに、ロシアを思っておいででした。ロシア奉献の要請に馴染んでいる司教たちも、パパ様が誰を指して言われているのかを知っていたのです。神はパパ様の思いがロシアにあり、ロシア奉献を意図されていることを知っておいででした。大切なことは何を意図しているかということです。」
カルロス・エバリスト──「しかし、聖母はロシアを特に名指しするよう求めておいでだったのではありませんか。」
ルチア修道女──「聖母は、ロシアという名前を特に口に出して言いなさいとは、まったく言われてはいません。また、当時、私はロシアが何であるのかさえ知りませんでした。私たちは、それを邪悪な女のことなのだと考えていたのです。パパ様と司教様たちが、ロシアを奉献する意図をもつということが、大切なことなのです。」
ミカエラッパ司教──「とすると、ロシアをふたたび奉献する必要はない、ということでしょうか。」
ルチア修道女──「ロシアを奉献しなおす必要はありません。しかし、どの司教も、望むならば、自分の司教区を聖母の汚れなき御心に奉献してよいのです。」
カルロス・エバリスト──「では、聖母は奉献に満足され、それを受け入れられたと考えてよろしいのですね。」
ルチア修道女──「そのとおりです。」