2008.10.03

近年の「シスター・ルチア」は『替え玉』である 2

1992年のカルロス・エヴァリスト氏たちのシスター・ルチアとの「二時間」のインタビューについて、教皇座空位論者が書いていたものよりもニュアンスに富んだものが 2ch に落ちていたので、ここに転載しておきます。出典は「聖グリニョン・ド・モンフォール出版の月刊誌『クイーン・オブ・オール・ハーツ』1995年7-8月号」であるということです。2ch の投稿者の方に感謝します。
管理人挿入
左から右へ: パチェコ神父、パディヤラ枢機卿、シスター・ルチア、ミカエラッパ司教、修道院長。
パディザラ枢機卿──「1984年3月25日に教皇ヨハネ・パウロ二世によって奉献は果たされたのでしょうか。」
ルチア修道女──「まさにそのとおりです。奉献は、1942年10月31日に、教皇ピオ12世によってすでに行われていますが、それは、世界の全司教と一致して行われたものではありませんでした。教皇ヨハネ・パウロ二世が、ついにそれをなされたのです。教皇パウロ六世もまた、第二バチカン会議が閉幕するときに、ローマで奉献を行われました。そのときには世界のすべての司教が出席していました。このとき、私は、聖母の求めは果たされたのですかとある方から聞かれて、『いいえ!』と答えました。どの司教も、一つの場所に結束するのではなく、おのおのの司教区にいなければなりません、それは、奉献は神の民全員の結束を求めているからです、と私は説明しました。
 1982年に、パパ様は、ファチマにおいて奉献を行なわれました。私も出席しましたが、全司教の結束が欠けていました。最後に、1984年に、パパ様は、その年の3月25日に行なわれる奉献に共に加わることを求める書簡を、世界の全司教に送付したのです。パパ様はまた、奉献式のあいだ、サンピエトロ広場に安置するため、ファチマの聖母の聖堂の御像をローマに移送するよう要請なさいました。司教たちは、この奉献式において、パパ様に加わったのです。」
カルロス・エバリスト──「しかし、司教のなかには、パパ様からの招待が間に合わなかった人もいますし、これに何の注意も向けなかった人、参加を決断しなかった人もいたのではないでしょうか。」
ルチア修道女──「加わらなかった司教が誤っていたのだと言えるでしょう。しかし、大部分の司教がパパ様の招きに結束したのです。全世界の人々が、教区ごとに司教と心を一つにし、司教はパパ様と心を一つにしたのです。奉献が神の民の結束の大いなる証言であるというのはこのためです。つまり、聖母は奉献をお受け入れになったということです。」
カルロス・エバリスト──「聖母に受け入れられたとおっしゃるのですか。」
ルチア修道女──「そのとおりです。」
カルロス・エバリスト──「しかし、ロシアが名指しされることはありませんでした。聖母はこのことを要請なさっていたのではありませんか。」
ルチア修道女──パパ様は、1984年の奉献文の中で『この人々』と言われたときに、ロシアを思っておいででした。ロシア奉献の要請に馴染んでいる司教たちも、パパ様が誰を指して言われているのかを知っていたのです。神はパパ様の思いがロシアにあり、ロシア奉献を意図されていることを知っておいででした。大切なことは何を意図しているかということです。
カルロス・エバリスト──「しかし、聖母はロシアを特に名指しするよう求めておいでだったのではありませんか。」
ルチア修道女──「聖母は、ロシアという名前を特に口に出して言いなさいとは、まったく言われてはいません。また、当時、私はロシアが何であるのかさえ知りませんでした。私たちは、それを邪悪な女のことなのだと考えていたのです。パパ様と司教様たちが、ロシアを奉献する意図をもつということが、大切なことなのです。」
ミカエラッパ司教──「とすると、ロシアをふたたび奉献する必要はない、ということでしょうか。」
ルチア修道女──「ロシアを奉献しなおす必要はありません。しかし、どの司教も、望むならば、自分の司教区を聖母の汚れなき御心に奉献してよいのです。」
カルロス・エバリスト──「では、聖母は奉献に満足され、それを受け入れられたと考えてよろしいのですね。」
ルチア修道女──「そのとおりです。」
私個人の結論は「このような “ニュアンス” と共にあってさえ、なお、この『シスター・ルチア』の言葉は明らかにおかしい」というものです。
その理由についてはグルーナー神父様たちのグループがよく説明してくれていると思いますが、しかし一番簡単明瞭、一発で理解できる理由は「ロシアは未だ “回心” はしていない」ということでしょう。
他方、何故このようなものが「シスター・ルチア」の言葉とされているのかという点については、グルーナー神父様たちのグループでなく教皇座空位論者(Holy Family Monastery)の言うことの方が正しいと思います。即ち、「実際そこにシスター・ルチアの詐称者がいた」ということです。
その「シスター・ルチア」の言葉を伝えるものとして──
1992年のカルロス・エヴァリスト氏たちの「二時間」
それ(奉献)は、1984年3月25日にヨハネ・パウロ二世教皇様が行なったことで達成されたのですか? ...「はい、そうです、そうです。」... つまり、その奉献は聖母によって受け入れられたということですか? ...「はい。」... 聖母はそれに満足され、それを受け入れられたと? ...「そうです。
1993年10月11日のヴィダル枢機卿とのインタビュー
 一九九三年十月十一日、ルシア修道女は、ヴィダル枢機卿との対談で、このように言った。
 「人々は自分の生涯のうちにことが起こるのを期待しています。しかし、ファティマはまだ “三日目” にあるのです。勝利は進行するプロセスなのです。」
 彼女は繰り返した。「ファティマはまだ “三日目” にあるのです。私たちは今、、奉献後の時期に生きているのです。御出現の次期が第一日目でありました。奉献前の御出現後の時期が第二日目です。ファティマの週はまだ終わってはいません」
2000年の教理省『ファチマ 第三の秘密』の中にある言葉
シスター・ルチアは、荘厳で普遍的なこの奉献の祈りが、彼女から見ても聖母マリアの望みにかなうものであることを認めました。『はい。1984年3月25日は、聖母が望まれたように行われました』(1989年11月8日付の手紙)。したがって、これ以外にどのような議論や要求にも根拠がありません。
中央協議会刊 p12
──これらのどれもが、おそらくシスター・ルチア詐称者の言葉として「事実」だったのだと思います。
シスター・ルチアはこのように、1984年3月25日のヨハネ・パウロ二世教皇様による奉献以降、機会があるごとに(機会は多くはなかったとしても)「ロシアの奉献はあの日に正しく行われた。それは天国に受け入れられた」と、実際に言い続けていたのでしょう。それは詐称者だったけれども。
また、彼女はソダーノ枢機卿の第三の預言の解釈に対して明示的な表情によって同意を与えた、という教皇座空位論者の観察も、おそらく正しいのでしょう。
後日の加筆
私はその後、その時の彼女の表情を捉えた動画を見つけました。そして、他の場面とつなぎあわせ、一本のビデオを作りました。下がそれです。
ヤシンタとフランシスコの列福式の場面で、黄色に見える祭服を来ているのがソダーノ枢機卿のようです。そして、教皇座空位論者の言う通りに、「シスター・ルチア」はソダーノ枢機卿のファチマ解釈に拍手をもって同意しているようです。表情にも特に影はありません。
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