2008.02.02

「どうしてこんなに似ているのだろう」と疑問を持つべき

以上、全てルター教会の情景です(画像にリンクが貼ってあります)
そしておそらく、似ているのは儀式の形だけではないでしょう。次はルター派の牧師の言葉です。
主の晩餐としても知られる Holy Communion はルター教会の礼拝式の中心です。それにおいて私達は主の御からだと御血を、私達が見て感じて味わうことのできるパンとぶどう酒の形で受けます。Holy Communion は二つのサクラメントの内の一つ、あるいは神の愛と恩寵のしるしです。
私達は、Holy Communion において神が私達を訪れると信じています。人は主の御からだと御血を受けるために、完全である必要はありませんし、罪のない状態である必要もありません。何故なら、私達は皆不完全であり、神の愛と赦しを必要としているからです。
洗礼を受けたクリスチャンは皆、主の御からだと御血を受けることができます。神は私達の主であり、あらゆる人達を、このテーブルにつき、元気づけられ、新たにされるようにとお招きになっています。
あなたは言うかも知れません、「カトリックは『人は主の御からだと御血を受けるために罪のない状態である必要はありません』とは決して言いません」と。その通りです。
しかし、私が「カトリックの人は覚えた方がいい」と思うのは「口では何と言おうと」という台詞(発想)です。
すなわち、口では何と言おうと、心の内では、「秘跡」について、また「罪」について、上のルター派の牧師のようにしか思っていないカトリック司祭も多いのではないでしょうか?
似た情景の中にはこんなものも。
ルター教会
カトリック
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