司祭 
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たとえば「動作と姿勢」って書いてあるでしょ?「すべての参加者が姿勢を守ることは教会の一致のしるしである」「ローマ・ミサ典書における動作や姿勢を国民性に適応するのは司教協議会の権限である」「日本では跪くかわりに合掌して深く礼をする」とか。で、こっちで書いてあるのは、「司祭が祭壇に行ったり、供え物を運んだり、信者が拝領する為に進み出たりする行為は動作の内に数えられる」。だから、その動作についての権限は日本の司教協議会の権限であるというわけさ。そして、ミサ典書の細則っていうのはこれぐらいあるわけ。いっぱい。で、これは聖体拝領に関する規定、これは教会法っていうので出て来るわけ。で、教会法っていうのは変えられないものなの、変えないものなの。だから、そこに出て来るものはもう既に、舌で聖体を受けるか手で御聖体を受けるかということについての教会法の規則なの。だから、ここに出て来るのはもう、跪くか跪かないかということはもう出て来ないの。教会法では。もう決まっているから。司教様達の権限になっているものについては、教会法にはもう出て来ないんです。だからここの出て来るのは、舌で受けるか手で受けるかについては、十分に司教様達に、またその地方の教会で、それを、十分に交流して、信仰のことについてという、そういう形の説明書があって、ということなんです。 
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私 
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でも、ここの文面を見るだけでは、具体的にはないじゃないですか。権限はあるとは書いてあるけれども。 
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司祭 
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いやいやいや、権限なんだよ、もう。具体的じゃないんだよ。その、動作、跪くか手で拝領するかということはもう「動作」なの。だから、それは、ローマは、日本の司教団に、その動作についての権限はある、と言ってるの。 
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私 
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でも、こういうのは既に知っているんで・・ 
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司祭 
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何が。だから、これ以上のものではないんだよ。ローマが、そのように決めたんだよ。 
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私 
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ただ、あの、アメリカなんかでも同じような流れがありましてですね。 
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司祭 
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うん、だから教会は、そういうことにいつも気を使うんです。 
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私 
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あの、2000年くらいに、アメリカの司教団がですね、「アメリカ合衆国においては、拝領の時に、立って受けることを標準とする」と、しかも「跪きはアメリカでは、特別な状況がない限りは合法ではない」と、そういう規定の仕方をしたんですね。で、その後に、跪きで拝領を拒否された信者というのが出て、で、そういう信者から聖座の方に嘆願書がかなり行ったらしいんですよ。で、それを受けて聖座はどういう判断をしたかというと、「こういう報告が来ているから、そういうことがないようにしなさい」っていうことを、アメリカの司教団にメッセージを出したんですね。 
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司祭 
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うん、だからどこでもそう言うさ。「注意しなさい。権限はあくまでもその司教様に・・ 
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私 
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いや、「注意しなさい」ではなく、あの、「そういうことはないようにしなさい」という言い方をしているんですよね。 
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司祭 
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だから、「ないように」とはどういうことかさ。 
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私 
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「拝領させなさい」って言ってるんですよ。 
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司祭 
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いやいやいや、違う違う、そんなこと。そうじゃない、そうじゃない。それは違いますよ。それは貴方の解釈だ。 
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私 
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でもね、解釈って・・この前お見せした『あがないの秘跡』・・ 
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司祭 
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だから、それ以上のことは日本の教会に従って下さい。 
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私 
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あの、この前お見せした『あがないの秘跡』では、「跪きたい、あるいは立って拝領したいということだけで拝領を拒否することは違法である」と。私がどう考えるかじゃないですよ。あの文言には書いてあるわけですよ。 
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司祭 
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だから、何が言いたいの、貴方は。 
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私 
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だから、整合性がないでしょ、信者から見たらね。 
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司祭 
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いやいや、だから、日本の司教様達にその権限を委ねたんだよ。 
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私 
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権限を委ねたんならどうして今になって聖座がこんなことを? 
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司祭 
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それ、いつのやつだ? さっきのその文章は。 
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私 
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『あがないの秘跡』は2004年です。 
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司祭 
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これは? もっと前よ? 
〔今迄私に示していた『総則』などの文書を指す〕  | 
私 
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だから、そうであってもね・・ 
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司祭 
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貴方はどっから全体読んだか知らないけれど、貴方は、要は、日本の教会に従って下さい。 
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私 
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それは一つ神父様のお考えとしてお聞きしておきますけど・・ 
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司祭 
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うん、それで終りさ。私達は日本の教会に従いましょうと。日本の司教様達の権限に・・ 
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私 
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はい、知っています。そういう考え方は分かります。 
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司祭 
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それでいいんじゃない? 
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私 
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だけどですね、ここに、2004年に典礼秘跡省から出た、全世界の司教に向けてね、言われたと思われる文書の中で、文面がこうあるわけですよね。それをどう解釈すればと・・ 
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司祭 
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〔声に出して読み上げる〕 
「聖体を配るにあたっては『聖務者は、適切に秘跡を求めるものに対し、そのものがふさわしく準備しており、かつ教会法上秘跡の拝領を禁じられているものでないならば、それを拒んではならない』ということを記憶しておくべきです。ですから、洗礼を受けていて、教会法上問題のない信徒はみな、聖体拝領を許されなければなりません。したがって、例えば、ひざまずいて聖体を受けたがっていたり、立って受けたがっていたりするという理由だけで信徒が拝領を拒否されるのは違法なことです。」 
うん、これがどうした? これがどうした? それから? 
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私 
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いや、その文面はどういう現実に適応されるのですか? ということです。 
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司祭 
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はい、これは当り前でしょ。日本の教会では、日本の司教様達は、信者に、聖体拝領に対してね、立って口か手で拝領するという権限を委ねられているということで、それを日本の司教様方はお決めになった。だから、その中で信者さん達は聖体拝領をするということですよ。だから、これはローマが全世界に対して出している文面であってね、日本の教会に対して、「跪いた信者に聖体を授けなさい」とか、そういうことじゃないんだよ、これは。違いますよ。 
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私 
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どういうことですか? もしね、文面を素直に見ればですよ、跪いている信者がいて、あるいは跪かなければ御聖体を頂きたくないという信者がいて、そういう信者に御聖体を与えない「説明」はどうあれですよ、実際に与えないという「結果」になった時に・・ 
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司祭 
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いや、それは当り前でしょ。日本の司教様の権限に・・ 
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私 
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つまり、あれですか、司教団の作った方針、教皇庁の典礼秘跡省が考えた文面・・ 
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司祭 
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これは世界の教会のありとあらゆるところで、そういう形があるところがあるんだよ、きっと。そういう形で許されているところが。何百年の歴史の中で、まだ跪いて聖体を受けるという。そういうことについて、司教様の文面は出せるわけ。そこでまた・・ 
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私 
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これがもし、全世界のどこかの国、特定の国を例外として対象から外して書かれたものではなくて、全世界のすべてに等しく向けられている文書だとしたら・・そうだとしても日本には適用されないという・・ 
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司祭 
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そうそう。されない。 
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私 
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そういう解釈なんですか? 
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司祭 
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もちろん。それは当り前。そんな文書がローマから出たとしても、その権限はローマから日本の司教様達に・・ 
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私 
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これがね、典礼秘跡省として「日本も対象外ではないんですよ」ということだったとしても? 
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司祭 
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じゃない。日本にはその、ミサの権限があるの。司教様達に。 
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私 
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だから、「典礼秘跡省がそのことを知っているわけだから、この文章は日本に向けられたものではない」ということですね? 
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司祭 
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全世界に文章は行くんだよ。でも、日本の司教様達は「その文章はその文章」。日本の司教様達は日本の権限の中で、日本の一致のためにこういう方向を定めて、ローマに認可〔の申請〕を出して、ローマがオーケーすれば、どのような文書が出て来ても、それは日本の司教様の方向に日本の教会は動くんです。 
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私 
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でも、認めてる、認可している教皇庁がね、こういう文章を日本に出すでしょうか。 
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司祭 
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いや、世界中に出すさ。 
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私 
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もし、そういうことがあって、聖座もそのことを了解しているとするならば、これを日本に向けて発信することはあり得ない・・ 
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司祭 
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あり得ます。世界中に出します。 
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私 
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世界中に出すかも知れないけれども、そこに日本が含まれているものとしては聖座は考えていない・・ 
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司祭 
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それは分からない。ローマの考えは、私は分からない。あなた分かる? ローマの考え。分からないでしょ? 
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私 
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私はおそらくこれは対象は全世界であって、日本も例外ではないと思います。 
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司祭 
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うん。でも、日本の教会では日本の司教様達に権限があるから、それで動くんです。日本の司教様の権限なんだよ。司教様のところに手紙を書いて訊いてごらん? これで終わりましょ? これで、私、もう話さないから。私達は日本の司教様達の権限で動くんです。それで不平や文句があるなら・・ 
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私 
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文句とかそういうのじゃなくて、神父様御自身ね、たとえば、言葉をほんとに素直に受け取ればですよ、「整合性がない」と思いませんか? 
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司祭 
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いやいやいや、全然思わないよ。 
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私 
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どうしてね、聖座は今になってこういうことを言うんだろうと、思いませんか? 
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司祭 
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思わないよ。 
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私 
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日本に対して発信されたものだとしたら、「聖座はなんでこういうことを言うのだろう?」と思いませんか? 
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司祭 
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思わない、思わない。 
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私 
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思わないんだ・・。これが日本に向けられたものであったとしても? 
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司祭 
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思わない、思わない。 
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私 
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だって、一つの教会じゃないですか。 
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司祭 
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どこが。 
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私 
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バチカンと日本の教会は。 
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司祭 
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だって、それはここに書いてあったでしょ? それは、その国の長い習慣があるし、風土もあるし、文化もあるし・・ 
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私 
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だから、そうであるならばね、聖座はこんなことを出さなければいいんですよ。 
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司祭 
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それは向こうに問いかけて下さい。私達、どうしていいか分かりません。 
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私 
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だから、そこにコミュニケーションの断絶があるじゃないですか。「日本の教会は教会です。聖座が何を言って来ても分からない」と・・そういう断絶があるじゃないですか。 
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司祭 
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断絶じゃないでしょ。何が断絶なの。全然断絶じゃないでしょ。断絶だとは全然思わない。 
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私 
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神父様は何故ね、日本の司祭としてとは別に、カトリック信仰者として、「日本のこれと聖座のこれ、整合性がないのではないか」とお思いにならないんですか? 
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司祭 
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思わない。全然思わない。 
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私 
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普通に信者がこれとこれを見れば、悩みますって。 
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司祭 
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いやいやいや、悩まないよ。大抵の、沢山の信者さん達は、私達の教会の一致を大事にしようということでやっているんだ。 
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