2005.10.30

人間はいつの時代も御聖体を軽視する

アシジの聖フランシスコの言葉
この手紙を受け取る小さき兄弟たちの全長上に、神である主におけるあなたたちの僕で、小さき者である兄弟フランシスコは、天と地における新しいしるし〔御聖体〕と共に、挨拶を送ります。
この新しいしるしは、神の目には偉大で、最も卓越したものであるのに、大勢の修道者やその他の人々からは全く取るに足りないものと見なされています
私は全身全霊をこめてあなたたちに願います。
ふさわしいことであり、また、あなたたちが有益だと考える時には、私たちの主イエズス・キリストのいと聖なる御体と御血、およびキリストの御体を聖別する書きしるされた聖なる御言葉が、すべてに越えて尊ばれなければならないことを、聖職者の方々に謙遜に願って下さい
聖職者はカリス・聖体布・祭壇の飾り、その他ミサの犠牲に関わりのあるすべてを貴いものと見なさなければなりません。
また、主のいと聖なる御体が極めて粗末に置かれているならば、聖職者は、公教会の定めに従って貴い所に移し、錠をかけておくべきです。
そして、深い尊敬をこめて御聖体を持ち運び、人々には識別したうえで拝領させなければなりません。
書きしるされた主の御言葉がどこでも清くない所にあるのを見つけたなら、拾いあげて、ふさわしい所に置くべきです。
あなたたちの行うすべての説教において、悔い改めなければならないことと、「主のいと聖なる御体と御血を拝領しなければ、だれも救われない」ことを(ヨハネ6.54)、人々に諭して下さい。
司祭によってミサの犠牲が祭壇上で捧げられ、パンまたはぶどう酒の形色のもとに運ばれる時には、すべての人がひざまずいて、生ける真の神なる主に賛美と栄光と誉れを帰さなければなりません
神を称えることについて、すべての民に次のように告げ知らせ、説教して下さい。「各時間毎に、また、鐘の鳴る時に、常に全地で、あらゆる人が全能の神に賛美と栄光と誉れを捧げるべきです」と。
私の兄弟である長上たちがこの手紙を受け取り、写しを作って、手もとに置き、また、説教の務めや他の兄弟たちを治め導く務めを持つ兄弟にも与えるなら、そして、ここに書かれているすべてのことを終わりまで教えるなら、神である主と私との祝福を受ける、と知って下さい。
長上たちはこれらすべてのことを真の聖なる従順によって受け入れ、実行すべきです。
つまり、聖フランシスコの時代にも、
「御聖体」が「主のまことの御体」だということが十分に信じられず、
結果、それを不適切に扱う司祭達が居たということだろう。
ポルト・マウリチオの聖レオナルドの言葉
その同じ体、同じ血、あの時カルワリオで御自身を捧げられた同じイエズスが、今ミサ聖祭の中で、御自身をお捧げになるのです。
教会は、『贖罪の業が行われる』と言います。そうです、『行われる』のです。十字架上で捧げられたのと同じいけにえが、ミサの中で捧げられ、絶え間なく繰り返されるのです。
おお、畏るべき、厳粛な、驚くべき業!
では、私に話して下さい、あなたはミサに与ろうとして教会に入るとき、いわば、贖い主の御死去に臨席すべく、カルワリオに上って行くのだ、ということを徹底的によく考えているかどうかを。
同上
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