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第五十三課 主祷文、天使祝詞

  1. * 祈の中で、最も優れたものは何でありますか。

    祈の中で、最も優れたものは、次の主祷文であります。
    天に在す我等の父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、御国(みくに)の来らんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。我等の日用の糧を、今日我等に与え給え。我等が人に赦す如く、我等の罪を赦し給え。我等を試みに引き給わざれ。我等を悪より救い給え。アーメン。

  2. なぜ、此の祈を主祷文と名づけますか。

    此の祈を主祷文と名づけるのは、救主イエズス・キリストが、御自らお教えになった祈だからであります。(マテオ 6:9-13)

  3. なぜ、天主を指して父と申上げますか。

    天主をさして父と申あげるのは、天主は我等をつくり、洗礼に依って、我等をその愛子となし給うたからであります。

  4. なぜ、天主を我が父と云わずに、我等の父と申上げますか。

    天主を我が父と云わずに、我等の父と呼ぶのは、天主はすべての人の父に在し、我等はみな兄弟であって、相互に祈らねばならないからであります。

  5. なぜ天に在すと申しますか。

    天に在すというのは、天主は何処にでもおいでになりますが、殊に天国でその御栄を現わし、又、天国で我等に終なき幸福を与え給うからであります。

  6. 主祷文には幾つの願がありますか。

    主祷文には七つの願いがあります。前の三つは天主の御栄のための祈で、後の四つは己のための祈であります。

    「御名の尊まれんことを」とは天主の御名が軽んじられず、すべての人々に知られ、且、尊まれるようにと願う意味であります。

    「御国の来らんことを」とは、人々がいよいよ豊かに聖寵を受け、公教会がますます盛んになって一切の人が天国の幸福を蒙るようにと願う意味であります。
    「御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを」とは、天国で天使や聖人が御旨に従っているように、此の世でもすべての人が万事を御摂理に委せ、御掟を守るようにと、願う意味であります。
    「我等の日用の糧を今日我等に与え給え」とは、我等の霊魂と肉身とに必要なものを、毎日天主より与えられるようにと願う意味であります。
    「我等が人に赦す如く我等の罪を赦し給え」とは、我等が他人から受けた不義を赦すように、天主も我等の罪を赦し給うようにと願う意味であります。
    「我等をこころみに引き給わざれ」とは、我等を誘惑から遠ざけ、或は之に堪える力を下し給うようにと願う意味であります。
    「我等を悪より救い給え」とは、すべての悪、即ち禍、罪、地獄等から免れしめ給うようにと、願う意味であります。
    「アーメン」とは「そうでありますように」又は「そうであります」という意味であります。

  7. * 主祷文の次に重んずべき祈は何でありますか。

    それは、次の天使祝詞であります。
    めでたし、聖寵充満(みちみ)てるマリア、主御身(おんみ)と共に在す。御身は女の中(うち)にて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。天主の御母聖マリア、罪人なる我等の為に、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

  8. 天使祝詞は幾部に分けられますか。

    天使祝詞は二部に分けられます。前の部分は、大天使ガブリエルと聖女エリザベットが聖母にむかって述べた挨拶で、後の部分は公教会が附け加えた願であります。(ルカ 1:28、同 1:42)

    「めでたし聖寵充満てるマリア」とは、罪の汚(けがれ)を知らず、すべての天使、聖人よりもはるかに豊かな聖寵を受け給うた聖マリアに、御挨拶申上げます、との意味であります。
    「主御身と共に在す」とは、天主は勿論一切の善人とともにおいでになりますが、特に最初から聖マリアを完全に守り給うとの意味であります。
    「御身は女の中より祝せられ」とは、天主は聖マリアを選んで、御子の母となさいましたから、聖母はすべての聖人の中で最も祝福せられた御方である、との意味であります。
    「御胎内の御子イエズスも祝せられ給う」とは、イエズスは天国でも此の世でも祝福され給う御方でありますから、その御栄が自然に聖母にも及ぶとの意味であります。
    公教会の附加えた願いは、天主の御母なる聖マリアの御取次は非常に有力でありますから、我等にとって一番大切な臨終の時は勿論、どのような場合にもお助け下さるようにと願う意味であります。

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