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第四条 ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に附けられ、死して葬られ、

第十四課 御苦難、御死去

  1. イエズス・キリストは、人を救うために何をなさいましたか。

    イエズス・キリストは、人を救うために、苦しみを受け、十字架に釘附けにされて、おなくなりになりました。(ルカ 23、マテオ 27)

  2. イエズス・キリストの主な御苦しみは何でありますか。

    イエズス・キリストの主な御苦しみは、御悲しみのあまり血の汗を流し、裁判所に引かれ、鞭(むちう)たれ、辱められ、荊(いばら)の冠をかぶせられ、十字架をになってカルワリオという所へ登り、二人の盗賊の間で釘附けにされて、おなくなりになったことなどであります。(マテオ 26、27、マルコ 14、15、ルカ 22、23、ヨハネ 18、19)

  3. イエズス・キリストは神性に於てお苦しみになり、おなくなりになりましたか。

    イエズス・キリストは神性に於ては、お苦しみになることも、おなくなりになることも出来ません。それは全く人性に於てであります。然しイエズス・キリストは天主の御子でありますから、その御苦しみの功徳は限りがありません。又、その御業は、どのように小さくとも、限りない功徳となるのであります。

  4. それならば、イエズス・キリストは、なぜそれ程までにお苦しみになりましたか。

    イエズス・キリストがそれ程までにお苦しみになったのは、聖父に対する従順と、我等に対する深い愛によってであります。また、一、罪が天主に背く大いなる悪であること、二、救霊が大切であること、三、我等も、また甘んじて苦しみを堪え忍ばねばならぬことなどを、教え給うためであります。

    「死、而も十字架の死に至るまで、従える者となり給えり」(フィリッピ 2:8)
    「誰も其友の為に生命を棄つるより大いなる愛を有てる者はあらず」(ヨハネ 5:13)

  5. 救主の御業の効果は何でありますか。

    救主の御業の効果は、一、天主たつ聖父の限りない御栄となり、二、人の罪に対して有りあまる贖(あがない)となり、三、罪によって失われた聖寵及び天国の幸福を取戻すことであります。

    一、天主たる聖父の限りない御栄となり....(フィリッピ 2:6-11)
    二、人の罪に対して有りあまる贖(あがない)となり....(ロマ 5:15)
    三、罪によって失われた聖寵及び天国の幸福を取戻す....(ヘブレオ 9:1-5)

  6. イエズス・キリストは何処で御受難になりましたか。

    イエズス・キリストはユデア国の都エルザレムで御受難になりました。(ルカ 23)

  7. イエズス・キリストを死刑に定(き)めたのは、誰でありますか。

    イエズス・キリストを死刑に定(き)めたのは、ローマ皇帝からユデア国に遣わされた大官ポンシオ・ピラトであります。(ルカ 23:24以下)

  8. イエズス・キリストがおなくなりになったのは、何曜日でありますか。

    イエズス・キリストがおなくなりになったのは、金曜日の午後三時頃であります。(ルカ 23:44-45)

  9. イエズス・キリストがおなくなりになった時に、どのような不思議がありましたか。

    イエズス・キリストがおなくなりになった時に、太陽はにわかに暗み、神殿の幕は二つに破れ、地は震い、巌は裂け、墓は開け、死人は蘇るなどのことがありました。

  10. キリスト信者の印は、何でありますか。

    キリスト信者の印は、十字架の印であります。

  11. 十字架の印は、どのようにいたしますか。

    十字架の印は『聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン』ととなえながら、右手を額に当て、これを胸まで下し、次にその手を、左の肩から右の肩へ引くのであります。

    十字架の印をする毎に、三位一体の玄義と救世の玄義とを思い起して天主に感謝し、又、天主の御恵を願わねばなりません。

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