* 人祖は聖寵を保ちましたか。
人祖は悪魔の誘惑に従い、天主の誡(いましめ)に背いて聖寵を失いました。(創 3、ロマ 5:19)
* 人祖は聖寵を失っただけでありますか。
人祖は聖寵を失っただけでなく、その上、智慧はくらみ、心は乱れ、楽園から追出されて、苦しむことも、死ぬことも免れないようになりました。(創 3, 智 9:15-16, 集 40:1)
* 人祖のこの罪は、人祖だけに留りましたか。
人祖のこの罪は子孫にも伝わりました。それ故、人は生れながら、この罪とその結果とを受けて居るのであります。
「然れば一人によりて罪此世に入り、又罪によりて死の入りし如く、人皆罪を犯したる故に死総ての上に及べるなり」(ロマ 5:12)
* 人祖から伝(つたわ)った罪を何と申しますか。
人祖から伝(つたわ)った罪を原罪と申します。(ロマ 5:12-14、同 5:18-19)
人は各自に罪を犯したのではありませんが、人祖の罪の結果として、聖寵を失ったままの状態で生れて来ます。この罪の状態を原罪と申します。従って、人は生れたままの状態では、天主の愛子、天主の世嗣(よつぎ)とは云われません。しかも心は悪に傾いて、たやすく罪を犯すように弱められています。
人は自分で罪を贖うことができますか。
人は自分で罪を贖うことが出来ません。限なく尊い天主に背いた罪でありますから、之にふさわしく贖うことは、限りある人の力には及ばないのであります。
* 天主は人をお見棄てになりましたか。
天主は人を憐んで、救霊(たすかり)のために救主をつかわし給うことをお約束になりました。
「汝とかの婦(おんな)との間に、また汝の裔(すえ)と婦の裔との間にわれは敵対(はむかい)をあらしめん。かれは、汝の頭(かしら)を打砕き、汝はかれの踵(くびす)を傷(いた)めん」(創 3:15)(マテオ 9:13、チモテオ前 1:15)
* そのお約束の後、救主は間もなくおいでになりましたか。
救主がおいでになるまでには長い間の準備がありました。その間を旧約時代と申します。
教会は、旧約時代の善人が旱天に雨を望むように救主を待望んでいたことを記念し、御降誕祭前四週間を待降節として、信徒に御降誕祭の準備をさせます。