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2回目の御出現

日付: 1944年5月14日(日)
時刻: 18:00
その場に居た者: アデライデ、少女と少年
ヴィジョン: 聖家族

アデライデの日記から:

私は遊び友達たちと一緒に教会の oratorio訳注1にいましたが、6時頃、聖母が私を招いた場所に走って行きたいという大きな衝動に駆られました。それで、お友達の何人かと一緒に駆け出しました。その場所に着き、本能的に上を見た時、二羽の白い鳩が通り過ぎるのを見ました。そして更に、光の点が上から降りて来て、はっきりと、威厳のある聖家族のお姿になってゆくのを見ました。

彼らは初め、私に向かって微笑みました。それから聖母が、昨日おっしゃったことを繰り返されました:「あなたは、いい子で、素直で、真面目でなければなりません。そして、よく祈って、みんなに親切にしなければなりません。14歳か15歳になった時、あなたは聖体修道女会のシスターになるでしょう。あなたはたくさん苦しむことになるでしょう。でも、泣かないで。あなたはあとで、私と一緒に天国に来ることになりますから」。それから彼女は、前の日と同じように、ゆっくりと遠ざかり、消えてゆかれました。

私は聖母のその短いお言葉に心から喜びを感じ、彼女の甘美な印象が私の心にはっきりと、そして深く刻まれたのを感じました。私はお友達たちと一緒に oratorio に帰り始めました。途中、一人の感じのよい男の子に出会いました。私が彼に、私は聖母に会ったと請け合うと、彼は少し心配げにこう訊きました:「戻ってくれない? 聖母がまたお現われになるかも知れないから。そして、お現われになったら、彼女に、僕が司祭になって彼女に人生を捧げることができるかどうか訊いてみて」。私は急いで元の場所に戻り、聖母が戻って来て下さることを望みながら空を見上げました。果たして数分後、聖母の甘美なお姿が再びお現われになりました。私は、私と一緒に来ていたカンディド〔その少年〕の望みを聖母に申し上げました。すると聖母は、お優しい、母らしいお声で、こうおおせられました:「はい、戦争が終わったら、彼は私の汚れのない心に捧げられた宣教会の司祭になるでしょう」。そうおおせられてから、彼女はゆっくりと消えられました。訳注2

幻視が終わった時、私は私のエプロンが少年に引っ張られるのを感じました。少年は心配げに、聖母が何とお答えになったかを私に尋ねました。彼に聖母のお言葉を繰り返すと、彼は喜びながら走って家に帰り、そのことを自分の母親に話しました。私もお友達たちと一緒に家に帰りましたが、心に大きな喜びを感じていました。聖母は、お消えになる前、今後の7日間、夕方にその場所に来るようにとおおせられました。

彼女に関する予言の後半〔「あなたはたくさん苦しむことになるでしょう」〕が現実になるまで、そう長くはかからなかった。実際、その晩、家で、彼女は厳しく叱責された。A・テントーリ神父は、この日の御出現で聖母は「そのことに微笑まれながら」カンディドの召命を請け合われたが、アデライデはその時、その理由を言いたがらなかったが、短い叫びを挙げ、自分の顔を手で覆った、と書いている訳注3。おそらく彼女は、彼女の友達の召命がどれほど苦しみ多いものになるかを知ったのではないか。一方、御出現のニュースはギアイエ・ディ・ボナーテの境界を越えて広がっていった。


[訳注1] 「oratorio」という言葉はここでは「小礼拝堂」とでも訳すべきではないかと思うのだが、このサイトの英語版では「recreation centre」となっている。はてな。

[訳注2]  その少年、カンディド・マリア・マフェイス(Candido Maria Maffeis)は、のちに、聖母の予告通り、「マリアの汚れなき御心の息子たち(Figli dell’Immacolato Cuore di Maria)」という名の宣教会の司祭になったようだ。参照

[訳注3]  その神父様は現代の神父様のようだ。たぶん、Angelo M. Tentori 神父様。彼は多筆家で、その著作の一冊はボナーテの聖母に関するものである。amazon.it

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