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第九章 予告された耳の治癒

 さて、マリア庭園の着想を語ったついでに、その完成までを引きつづき述べたので、今ふたたび姉妹笹川に話をもどすには、造園開始の五月にまでさかのぼることになる。
 私が姉妹笹川のノートをよみ、“聖母のお告げ” に接して、まず感じたのは、医学的に全聾とされる彼女が、天使の言葉や聖母のお声を聞く、という不思議であった。それは自然の聴力の問題ではなく、霊魂の感覚を通して悟るいわゆる “霊語” に属するもの、としか考えようがなかった。だいいち、天使の言葉や天国におられる聖母のお声は、この自然の次元に住むわれわれの耳には聞きとれぬ、超自然界に属するはずのものである。姉妹笹川自身も「それは、その時だけ耳が治ったかの如く鼓膜にひびいてくる、というような普通の音声ではなく、聞こえない耳を通してはっきりと心にひびいてくる声なのです」と説明している。
 ところで、聖母が彼女に御像を介して語られた最初のお告げに「耳の不自由は苦しいですか? きっと治りますよ。忍耐してください」とのはげましの言がある。私はこの報告に接したとき、これは彼女の耳がいつか完全に癒されぬかぎり、聖母像に関する超自然の出来事の真正性もみとめられぬことになると思った。それも医療の結果でなく、超自然の力、すなわち奇跡をもって治されるのでなければ、聖母のお言葉の超自然性の証明とならぬように感じた。
 それはともかく、私としてはその治癒が、どんな方法にせよ、聖母のお約束のごとくやがて実現することは、ごく素直に信じられた。そこで、姉妹笹川にノートを返すとき、「あなたの耳はいつかきっと聞こえるようになるでしょう。しかし神がこの犠牲をよろこんでおられる上は、癒されても癒されなくても、すべて思召しのままに委せて、耐え忍びなさい」とさとした。そうは言っても、本人にとってはさぞつらい犠牲であろう、と思われ、こちらの唇の動きを読みとっているその静穏な表情を見ても、神の御手のうちに安住しつつもやはり治癒の恵みを祈らずにいられぬであろう、と察したことであった。

 一九七四年五月十八日。朝の聖体礼拝の終わったとき、姉妹笹川は私に話したいことがあると言い、次のように報告した。
 「お礼拝のロザリオから念祷に入ってしばらくすると、守護の天使が現れて、こう告げられました。
 『あなたの耳は八月か十月に開け、音が聞こえ、治るでしょう。ただし、しばらくの間だけで、今はまだ捧げものとして望んでおられますから、また聞こえなくなるでしょう。しかし、あなたの耳が聞こえるようになったのをみて、いろいろの疑問が晴れて改心する人も出るでしょう。信頼して善い心でたくさん祈りなさい。そしてあなたを導くお方にこのことを話しなさい。あなたはその日が来るまで、他に話してはなりません』と」
 のちにそのお言葉を写したメモに、彼女は書き加えている。
 「はじめはほほえみのお顔だったが、あとはきびしい表情に変わった。私は夢を見ているようだったが、きびしいお顔を見て、ハッとし、体が緊張して、ひれ伏してしまった。
 心は躍り上がるほどの歓びでいっぱいになると同時に、すべて聖旨のままに、という思いも入り交じっていた。そして聖主の御あわれみに深い感謝をささげていた。
 神父様にこのことをお知らせすると、大きくうなずかれ『八月か十月とおっしゃったのか』とくり返して、また深くうなずかれた」
 私のほうは、こうたしかめたとき、それが八月に起こるとすれば聖母被昇天の祭日の十五日か、それとも聖母の他の記念日であろうか、むしろ十月のロザリオの月のほうがふさわしいのではあるまいか、などと想像をめぐらしていたのであった。

 その後、姉妹笹川には、その恩寵の準備のように、意外な内的外的の試練がつづいていたようである。
 一方、八月八日の木曜の朝、私がミサの最中に突然腹痛におそわれて倒れ、緊急入院という事故が起こった。すぐ開腹手術を受け、生命はとりとめたものの、九月四日まで病院生活を余儀なくされてしまった。この期間中にはおそらく彼女の耳の治癒は起こらないであろうと、私はベッドで考えていた。
 やがて退院して、ほぼ元通りの生活に復帰した九月二十一日(土曜)の朝、聖体礼拝のあと姉妹笹川が近づいて来て、次の報告をした。
 「お礼拝中、念祷に入ってしばらくたったとき、いつもの天使が現れておっしゃいました。『今朝の食卓で、夢のことが話題になったでしょう。心配することはない。今日からでも明日からでも、あなたの好きな “九日間の祈” をつづけなさい。九日間の祈を三回つづけている間に、御聖体のうちにまことにまします主のみ前で、礼拝中のあなたの耳が開けて、音が聞こえ治るでしょう。まっ先に聞こえてくるのは、あなたがたがいつも捧げているアヴェ・マリアの歌声ですよ。その次に、主を礼拝する鈴の音が聞こえるでしょう。
 礼拝が終わったら、あなたは落ち着いて、あなた方を導いてくださるお方に、感謝の賛歌を願いなさい。そこで皆は、あなたの耳が聞こえるようになったことを知るでしょう。この時、あなたの体も癒され、主は讃えられます。
 これを知ったあなたの長上は勇気に満ち、心も晴れて証しをするでしょう。しかし、皆がよい心をもって捧げようとすればするほど、多くの困難と妨げがあるでしょう。外の妨げに打ち勝つために、内なる一致をもって、より信頼して祈りなさい。きっと守られるでしょう』
 ここでちょっと間をおいて
 『あなたの耳が聞こえるのは、しばらくの間だけで、今はまだ完全に治らず、また聞こえなくなるでしょう。聖主がそれを捧げものとして望んでおられますから……。
 このことを、あなたを導く方に伝えなさい』
 深いまなざしでじっとみつめられたあと、そのお姿は消えて見えなくなりました」
 この報告を聞いた私は、それほどはっきり言われたのなら、九日間の祈を今日からでも始めなさい、とすすめ、このことは誰にも語らぬように、と念を押しておいた。
 (なお、お告げの冒頭に指摘された “今朝の食卓で話題になった夢” については、次章で述べることにする)
 それから、その治癒の恵みはいつ与えられるのであろうか、と考えた。アヴェ・マリアの歌声と鈴の音が聞こえる時、とあれば聖体降福式の場合であるから、それの行われる日曜日であることはまずまちがいない。次に、“三回の九日間の祈をつづける間に” ということであったが、私は三回の祈の、と思いちがいをして、では十月末の日曜であろうか、と見当をつけた。まったく、こんなにはっきり告げられた言葉でも、人間の知恵はすぐ取り違えをしてしまう。いかにも愚かなものだと思わずにいられない。

 十月十三日
 この日は晴天に恵まれたので、私はレクリエーションを兼ね久しぶりの釣りに男鹿半島の入口天王まで出かけた。夕方五時からの聖体礼拝と降福式に間に合うよう早目に帰り、少し休んでから聖堂に入った。
 聖体顕示を行い、香を焚くとき、私の胸に “今日は何かありそうだ” とかすかにひびく思いがあった。償いの祈りののち、席にもどってロザリオを共唱する。つづいてアヴェ・マリアの歌……。その終わりごろ、姉妹笹川が畳にひれ伏して、泣いているらしい様子が目にとまった。念祷、聖務の晩の祈りを終え、いよいよ聖体の祝福の時になった。姉妹のひとりの手によって鈴が高らかに振り鳴らされる。私は顕示台をかかげて十字の印を描きながら「主よ、思召しのままにお恵みを与えたまえ」と祈った。
 次いで顕示台にむかってひざまずき「天主は賛美せられさせ給え……」と、賛美の連祷の先唱をはじめた。その祈りが終わり、聖歌の指定をしようとしたとたん、姉妹笹川が背後から「神父様、聖歌十二番のテ・デウムをお願いいたします」と声をかけてきた。私はすぐふり返り「耳が聞こえるようになりましたか」と聞くと、「はい、今そのお恵みをいただきました」と私の唇の動きを見ることなく答える。
 そこで列席の人々(日曜の式なので、外部からの参列者もあった)に向かい「皆さん、五月と九月の二回にわたって天使から姉妹笹川の耳が聞こえるようになるお約束がありまして、そのことが今日実現しました。今これからそのお恵みを感謝してテ・デウム(神への賛歌)をうたいましょう」と告げた。
 人々は大そう驚いたようで、それこそ自分の耳を疑う態であったが、賛歌はすすり泣く声もまじえての感動的なものとなった。

 耳が癒されたときの模様を、彼女自身はこう述べている。
 「降福式の礼拝中に、前もって天使に教えられていたとおり、まっ先にアヴェ・マリアの歌声が、夢の中のように、遠くから耳に聞こえてきました。歌声だけで、ほかには何も聞こえませんでした。それから少し念祷の時間があって、つづいて晩の祈りになりましたが、その時には皆さんの声は少しも聞こえませんでした。神父様が御聖体で祝福された瞬間、鈴の音がはっきり聞こえてきました。つづいて神父様の声が『天主は賛美せられさせ給え』と聞こえてきました。それは、初めて聞く神父様の肉声でした。
 最初にアヴェ・マリアの歌声がひびいてきたとき、この取るに足らぬ者の上に神の御憐れみが与えられようとしていることをさとり、ああ有難いこと、もったいないと思ったとたん、感謝で胸がいっぱいになり、泣き伏してしまいました。声が出そうになるのをこらえるのに必死で、祈りの言葉さえ思いつきませんでした。
 音を失って一年七ヵ月、両親を悲しませ、神経をつかい、緊張の連続の毎日でした。でも今与えられた聴力も、また捧げものとして失われるはずと思うと、もっと心して祈らなければ、と気をとり直したのでした。
 ついでながら、天使はお告げの中で “この時あなたの体も癒される” と言っておられましたが、たしかに、そのころ内臓や体のあちこちに感じていた苦痛も、同時に癒されたことにはっきり気づきました。……」

 この報告はさっそく電話で司教につたえられた。姉妹笹川自身がよろこびにはずむ声で、報告し、問いに答えた。また、故郷の両親や兄弟たちとも、感激の声を交したのであった。
 司教の指示に従い、私は翌日彼女を伴って、日赤と秋田市立の二つの病院へ行き、耳の検査を求めた。そして両病院から、診察の結果、聴力正常との証明書をもらった。
 その二週間後、私は彼女の郷里の教会に講話を頼まれ、姉妹三人を同伴して出かけた。彼女も加わっていたので、両親はじめ身内一同が教会に来て待ちうけており、耳が聞こえるかどうかと一心に話しかけた。まことに、はた目にも涙ぐましい光景であった。
 しかし、この耳の治癒も、天使の予告どおり、五ヵ月間だけのことであった。翌年の三月十日には再び全聾となった。
 本人は「しばらくの間だけ」との天使の予告を忘れず、一週間で元に戻るか、九日間か、それとも四十日間か、と日々覚悟をあらたにしていたが、やがて半年近くつづいたのを、予想外の恵みと感謝していた。二月の灰の水曜日あたりから、頭痛と耳鳴りが烈しくなり、ついにまた耳は全く閉ざされたのであった。

 ともかく、一時的とはいえ、この予告通りの奇跡的治癒に、司教は大いに勇気づけられたようであった。それまでに私が姉妹笹川のノートを調べて書き上げた百枚ほどの原稿を持参して、神学者たちに検討を願うことにふみ切られたのである。
 こうして、この治癒は、湯沢台の聖母の出来事が世間に知られる導火線となった。ここにも神のはからいの不思議を感じさせられるのである。

奇跡的治癒の意味

 天使の予告どおり、姉妹笹川のこのたびの耳の治癒は一時的であって、五ヵ月間だけの恵みであったが、それなりに深い意義をもつものであった。
 彼女の手記をまとめた私の原稿について、司教から疑問点が指摘されたことは、前にちょっと述べた。それは、御像を通じての聖母のお告げのうち、第三のメッセージは、いわゆる “ファチマの第三の予言” によく似ているので、あれの焼き直しではないか、という疑いであった。彼女が妙高の教会でカテキスタをしていたころ、ガリ版刷りでも読んで、無意識に頭に入っていたのかもしれぬ、という指摘であった。そこで私も、司教とは別に、その点を彼女に問いただしたが、そういう物を読んだことはない、とのきっぱりした否定が返された。それでも司教は、彼女の思いちがいを懼れ、この章をはぶいてはどうか、とまで言われたのであった。
 そこへ、あたかも十月十三日に、天使の予告どおり耳の治癒が起こったことは、この第三のお告げの信憑性を裏書したのであった。
 何もこの日に限らず、治癒の恵みはいつ与えられてもよかったであろう。なぜわざわざ十月十三日が選ばれたのか? 先にも述べたごとく、私はその恩恵の日は十月末の日曜か、などと予測していた。事が起こってからはじめて、この日の意味に思い当たったのである。
 カトリック信者なら周知のごとく、十月十三日といえば、ファチマに聖母が出現された最後の大きな奇跡の行われた日である。この出来事は今や全世界に知れわたっているが、ルチアたちに告げられた怖るべきメッセージは “第三の秘密” としてまだ非公開のままであり、ただ推測的コピーが世に出回っているだけである。
 そして、一九七三年、聖母像からのお声が姉妹笹川に怖るべき天罰の警告を与えたのも、まさに同じ十月十三日であった。その時の御像は、光り輝くなかにも、すこし悲しげな表情に拝された、と記録されている。
 この警告の真実性を立証するためには、やはり何か超自然的なしるしが必要とされるわけである。そこで、まず天使の予告を先立て、次にわざわざこの二重の記念となる日を選んで、奇跡的治癒を行われたのであろう。
 姉妹笹川に托された聖母の第三のメッセージを、あらためて読み返してみると、いかにも警告の内容はほとんど一致している。ファチマで与えられてもまだ正式に公布されず重視もされぬ警告の重大性のゆえに、この東洋の一隅でふたたびくり返され、奇跡をもって証明されたのではないか、とやはり思われるのである。“疑いが晴れて改心する人も出るであろう” と天使も告げられた。前述のごとく、司教自身もこの奇跡のしるしによって疑念をとき、“第三のお告げ” の部分を省くことをせず、原稿をそのまま神学者たちの検討に委ねられたのであった。

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