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第七章 第三のお告げ

 十月十三日、土曜日。
 いつものように、朝の聖務が終わり、つづいて聖体礼拝が始まった。ロザリオの祈りを唱えるうちに、姉妹笹川の目にまた “御聖体の威光の輝き” が現れた。それは聖櫃から発して、聖堂いっぱいに拡がってゆくようであった。同時にマリア像からあの妙なる芳香が、すべてをつつみこむように、漂ってきた。陶酔のうちに、祈りの時間はたちまち過ぎ去り、なごり惜しくも聖堂をあとにする朝食の時刻となった。
 食後、修室にしりぞいたが、まだ心は上の空で、仕事も手につかぬ有様であった。
 やがて、姉妹たちが外出するため、留守番を仰せつかったのを幸い、さっそく聖堂に行き、ひとりでロザリオを唱えることにした。
 ここからまた、彼女自身の報告をみることにしたい。
 〈ロザリオを取り出してひざまずき、まず十字の印をしました。が、その動作が終わるか終わらぬうちに、マリア様の御像のほうから、あのえも言えぬ美しいお声が、わたしの聞こえない耳にひびいてきたのです。最初のお呼びかけを聞いたとたん、わたしはハッとひれ伏し、全身を耳にして聴きいりました。
 「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
 (少し間をおいて)
 「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。
 その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
 悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。
 特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
 勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから」
 ここでちょっとお言葉が切れたので、そっと顔を上げてみると、聖母の御像はやはり光り輝いていて、お顔はいくらか悲しげに見えました。それで思い切って「私の長上とはどなたでしょうか」とおたずねしたところ、いつの間にかそばに付き添っておられた天使からたしなめられました。(べつに声を出して何か言われたわけではありませんが、“このような機会に、伺うのなら、もう少し大事なことがあるでしょうに” という意見を感じたのです。わたしとしては、日ごろ司教様はもちろん、目上の三人の姉妹も長上と思っていましたから、間違いがあっては、とついお聞きしたのでした)
 けれども、御像からはすぐお声があって、
 「それはあなたの会を導いている伊藤司教ですよ」
 と答えながら、にっこりほほえんでくださいました。
 さらにつづけて、
 「まだ何か聞きたいですか。あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからはあなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。
 ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」
 とお言葉がありました。
 こんどはもう緊張のあまり口がこわばってしまい、「はい」とお答えするのが精いっぱいで、ひたすらひれ伏していました。

 しばらくして顔をもたげてみると、まばゆい光は消え失せ、粗末な聖堂の片隅に、いつもの聖母像がひっそりと立っておられるだけでした。
 光は消えても、お声は魂の奥深く刻みつけられたようで、私のような者にこれほどのお言葉を下さるとは、と恐懼と感謝の思いがあふれてきました。またひれ伏して、「汚れなき聖マリアのみ心よ、われらのために祈りたまえ」「すべての者のおん助けなる聖マリアよ、われらのために祈りたまえ」の祈りをくり返すばかりでした〉

* * *

 御像を通して聖母が姉妹笹川に与えられたお言葉は、三回にわたり、このたびが最後のお告げとなった。ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致とは思われない。
 ファチマでの聖母の予言、いわゆる “第三の秘密” は、ルチア修道女によって教皇庁に伝達されたが、その内容はいまだに公表されていない。歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、人々の好奇心を刺激している現状である。
 しかし、この “秘密” は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、と私は思う。

 十年前に私は、カトリック・グラフ誌の掲載の前に、聖母像と姉妹笹川に関する一連の出来事を、彼女の日記のメモを元に記述したことがあった。その原稿をまず伊藤司教に提出したところ、一つの疑問点として指摘されたのは、この第三のお告げの項であった。これは、巷間に流れている “ファチマの第三の秘密” のいわば “焼き直し” ではなかろうか、という疑念をもたれたわけである。
 本人の側になんら作為はなくとも、印刷物か何かの媒介による知識が深層心理に入り込み、無意識にはたらいたものではないか、という疑いは、誰にも容易に持たれるであろう。
 司教はこの点に関し、何度も姉妹笹川に質問をくり返して、たしかめられたようである。もっとも、彼女をよく識る指導者として、これは念のための公正を期す配慮であったと思われる。第一、最初にこの “第三のお告げ” の報告をしに来た時、お言葉の中にある “カルジナル” の語の意味を本人は知らず、「カルジナルって、どういうことですか」と無邪気に尋ねたことは、司教に感銘を与えたのである。「枢機卿のことですよ」と教えたところ、「ああ、そうだったのですか」とはじめて合点し「枢機卿という言葉なら公教要理で習ったことはあるけれど、こういう横文字は初めてで、何のことかと思っていました」と白状した。
 この事実をとっても、このメッセージが彼女の創作能力を全く超えるものであることは、明らかである。
 ともかく、長い十年の年月はこうした疑いも、さまよう霧のように吹きはらったのであった。
 かくて、秋田の聖母の第三のお告げが、信ずるに足るものとなるなら、これに據ってファチマの第三の秘密も、ある程度想像がつくのではなかろうか。

 これが最後と告げられた、今回のお言葉のかなめは、人々が改心せぬならば、やがて恐るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、この要請に応えて、どれほどの者が祈りと贖罪の業にはげんでくれることか、を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。
 聖母はファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、人々は無視してしまったのである。
 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を通して、瞠目すべき超自然的現象の証印をもって、この重大な警告をくり返されたのである。各人に責任を問われる何か厳粛な気が、身に迫るのを覚えずにはいられない。
 われわれもまた、聖母のこれほどの惻々たる憐れみのお呼びかけに、冷淡、無関心とまではゆかずとも、一時的な上すべりの好奇心を向けるのみで終わるのであろうか。

芳香と悪臭

 十月十五日は大聖テレジアの記念日にあたる。先に七日のロザリオの祝日に天使から告げられていたように、天来の芳香はこの日をもって終わるはずであった。事実、聖堂には一段と馥郁たる香りが朝からみなぎって、一日じゅう姉妹たちを魅了した。地上のどんなバラも及ばぬ妙なる香りに、これこそ天国の花の匂い、と口々に言い合った。どれほど嗅いでも倦きたらぬ思いであった。
 翌十六日、早朝の祈りに聖堂に入った姉妹たちを待ちうけていたのは、今度は芳香どころかものすごい悪臭であった。それも普通の臭気ではない。あの芳香が地上のものとは思えなかったように、これも何か神秘な、この世ばなれした無類の悪臭であった。さらに、ふしぎな “おまけ” まで付いていた。
 姉妹笹川の回想によれば、次のごとくである。

 〈お聖堂の戸を開けると同時に襲って来た臭いは、思わず花を蔽ったほどひどいものでした。香部屋が、その源のように、とくべつ臭うので、いそいで調べましたが、原因らしいものは何も見あたりません。それに動物の死臭ともちがう、今まで嗅いだことのない臭さですが、一同がすぐに連想したのは、タクアンの腐った臭いでした。でも漬物小屋は反対の方角にあります。
 ともかく、聖務の時間なので、むかつく気分をむりやりお祈りに集中させました。
 そして、ロザリオの祈りが終わったときKさんが聖母の御像の前のロウソクを消しに立ち上がりました。とたんに「あっ」という身ぶりで、隣りのIさんの膝の前を指さしました。こちらは、何か白い米粒のような物を示されて、つまみかけ、その手ざわりに「ワッ、蛆!」と言われたようでした。同時にわたしたちも、それぞれ隣りの人の前に、這っている一匹の蛆虫を見つけて、「そら、そこにも」「あなたの前にも」と教え合って、身ぶるいしました。
 いったいどこから出て来たものか、手分けして調べましたが、これもふしぎな臭気と同様、原因をつきとめることはできませんでした。
 この二つの出来事は、昼の食事のとき、当然にぎやかな話題となりました。
 あの悪臭は、十七日間もつづいた芳香を満喫したあとだけに、ひとしお烈しく身にこたえましたが、やはり自然の領域よりも神秘の世界に属するもの、と皆の意見が一致しました。
 蛆虫のほうは、白く光っているいやらしい姿に、わたしはおのずと、自分の醜い真実の姿をむき出しに見せつけられた気分がしていましたが、姉妹たちも、めいめい同じ思いで深く反省をうながされていた、ということでした。
 二週間以上も天来の芳香をたのしませていただいて、なんとなく良い気分にのぼせていた私たちは、たちまち冷水を浴びせられたように、身をちぢめて恐れ入ったかたちになりました。
 あの芳香こそ、いささかの罪の汚れもないマリア様の香り。この悪臭こそ、罪にまみれた私たちの臭い。聖母の御存在がみなぎらす妙なる香気が去れば、あとは臭気ふんぷんたる私たちの体臭が立ちこめる。神のお恵みが取り去られれば、われわれはいったい何者か。一匹の蛆虫に過ぎないではないか……と誰もが心から反省していたのでした。
 蛆虫はこの一回きりで姿を消しましたが、おぞましい悪臭はこのあと三日間もつづいたのでした〉

 十一月四日。司教が来られ、例によって、何か変わった事があったかと訊ねられた。姉妹笹川は、十月十三日の聖母の第三のお告げと、先の芳香が十五日までつづいたこと、その翌日から三日間悪臭になやまされたことなど、一部始終を報告した。
 翌朝、司教の捧げるミサにあずかり、聖体拝領を終えたときいつもの守護の天使が現れ、「あなたの長上は、前から考えていたこの会の創立のために、ローマへ正式な願いを出そうとしておられます。多くの困難があるでしょうが、マリア様が “貧しさを尊び贖罪にはげむように” 望まれている会として、パパ様のお心を喜ばせ、正式な認可がおりるでしょう、とお告げなさい」と語って姿を消された。
 このことは、ミサが終わってすぐ、司教に報告された。

 年があらたまって、一月三十日にまた一つ、変わった出来事が起こった。
 この年は、秋田気象台始まって以来という大雪に見舞われたことで、人々の記憶に残っている。とくに一月三十日は、一日中烈しい雪が降りつづけた。
 その夜、姉妹笹川は、真夜中過ぎと一時半と三時四十分に目をさましたが、三回とも、雪の重みで屋根がつぶされそうになっている夢におびやかされた。夢の中で、つぶれかかってくる天井を両手で懸命に支えていたので、目がさめると、肩はこり胸は苦しく汗びっしょりになっていた。夢でよかった、と思いながらも、なおも降りつづいている雪が気になった。夢の中では、落ちかかってくる天井の重みに、さし伸べた腕が堪えられなくなるたびに、守護の天使が現れ、代わって支えてくださった。三回とも、そうして助けられた。
 どうもこの降りようでは、相当に雪が積もって、ほんとうに屋根に危険な重圧がかかっているのではなかろうか。朝になったらすぐ雪下ろしの作業を願わなければ……と夜の明けるのが待ち遠しかった。
 四時半の起床では外はまだ暗いが、降りつづいている雪を透かして、向かいの司祭館の屋根に白いものが二メートルほども積もっているのが、みとめられた。これはあぶない、と思ったが、自分は力仕事など手も出せぬだけに、そういうことに口を出すのも常々遠慮がちであった。
 朝の祈りが終わり、朝食になるのを待って、管理を受け持つ姉妹に、心配を話してみた。危険を暗示するような夢を三度も見たことを告げ、一刻も早く雪下ろしを、と願った。ところが全然相手にされない。この家を建てる時、太い柱を充分に使っているから、このくらいの雪ではビクともしない、と自信たっぷりである。こちらは、妙高での雪の猛威の経験を持ち出し、重圧で二階家もおしつぶされる恐ろしさを、しつこく説いてみたが、てんで受けつけてもらえない。
 それでも不安で居たたまれず、他の姉妹に訴えて、口添えをたのんだ。一応念のためと外に出て見た責任者の姉妹は、二階の屋根の上を見上げて、色を失った。
 すでにかなりの垂木が折れたとみえ、母屋の屋根の大部分が窓がまちの上十センチ位まで落ち込んでいる。しかも、ふしぎなことに、姉妹笹川の部屋の上だけは元の高さに保たれているので、凸字形に左右になだれ落ちている。
 夢の話の真実性をまざまざと見せられて、この目上の姉妹は
 「ほんとに、これこそ神通力で助けてくださったのね。まったく大したものね」
 と感にたえて皆に告げた。
 それから、早く手を打たねば、と大さわぎになった。思わぬ大雪で、家々はどこも雪下ろしに忙殺され、働ける人はすべて動員されていた。ようやく、下の村人が二人救援にかけつけて、大屋根にのぼり、軒先に白い崖をめぐらすほどに雪を落としてくれた。
 なおも降りしきる雪空を仰いで、姉妹笹川は、もしもあのまま誰も何も気づかずに過ごしていたら……と想うだけで慄然とした。目前に迫っていた惨禍を免れさせて頂いた恵みを、心から感謝したのであった。
 もっとも彼女自身には、夢の中での奮闘が、現実の身にひどくこたえていた。両腕の筋肉は固くこわばり、足全体は登山でもしたように萎え、胸は苦しく、体中の力が抜け、まさに疲労困憊の極にあった。何事にもがまん強いがんばりやが、とうとうその午後は目上に願い出て、休養を取ることにした。
 その後、屋根は春の雪どけを待って修復されたが、大工は被害におどろいて、垂木が四十二本も折れている、と告げた。一同愕然として、あらためて感謝の祈りをささげたのであった。

* * *

 今回の “事件” は、直接マリア像に結びつくものではなく、姉妹たちの間に起こった二つの出来事である。
 その一は、十七日の間めぐまれた天上の香りに代わって、堪えがたい悪臭に三日間なやまされたことである。芳香はあきらかに聖母像から発散していたが、臭気の根源はつきとめられなかった。もしやネコかネズミの死骸でも、と手分けして探してみたが、何もみつからない。各自の前に忽然と現れた蛆虫も、どこから這い出たか、ついに分からずじまいであった。
 悪臭も何かこの世ならぬ神秘なものを感じさせただけに、このふしぎな蛆も、象徴的な意味を荷って出現したように思われた。そういえば、まるで腐臭の溜り場のように、いちばん臭気の甚だしいのは香部屋で、ここは皆の告解場に使われている。誰からとなく、私たちの罪の臭いだ、と言いだし、頭を垂れてうなずき合った。タクアンの腐ったような汚臭は、“まさに私たち日本人の罪の臭いだ” とたびたび強調したという姉妹Kの感想は、なかなか穿った指摘といえる。「芳香はマリア様の体臭で、この悪臭は私たち本来の臭いだった。良い香りのお恵みにいい気になっていたから、真実を思い知らされた」という姉妹笹川の告白は、一同の思いを代弁するものである。さらに、目の前につきつけられた蛆虫に、各人が自分の姿を見るごとく、おぞ気をふるって、「本来お前は何者か。神の尊前には一匹のみにくい蛆に過ぎないではないか」と反省をせまられていたという。
 それにつけても、最初は自分の前の虫に気がつかず、めいめい隣人の蛆が目についた、というのも、意味深い。「己れのあさましい姿は、自分からは目につかないものなんですね」という彼女たちの述懐は、まことに当を得ていると思う。
 それに、蛆虫というものは、聖書にも罪の汚穢と苦渋の象徴として用いられている。地獄のおそるべき却罰の状態を「その火は消えず、その蛆は死なず」と、キリストも描写される。
 われわれの生きているこの現実の世界は、神の祝福と恵みのゆたかに薫る場ともなれば、また、至聖なるおん者の不興と呪いを受けて悪臭をはなつ場ともなりうる。前者は神の恩寵のはたらきのもとに、やがてその光栄の充ちみてる天国へと導かれる前庭と考えられ、後者は神に唾棄されて自他ともに憎悪と絶望の底なき淵へとひらく断崖を想わせる。
 これらは、イエズスの言葉にどのように従うか、世の人々に示された分かれ道の道標のように、くっきりと明暗を現している。
 そして、聖母像を通じての第三のお告げの直後の出来事であるだけに、とくに意味を含み、真摯な反省をうながす契機と考えられるのである。

 その二は、天使に扶けられた姉妹笹川の夢の世界での “奮闘” によって、豪雪の被害を免れた事実である。彼女の弱い身体を盾として、聖体奉仕会の全員が自然の猛威から守られたことも、一つの象徴として見ることができよう。守護の天使の超自然的援助によることも含めて、聖母のお告げを遵守する者に、神の加護が約束されることを示しているごとくである。

 こんにちの文明世界におけるキリスト教は、カトリックにおいても科学偏重にかたむいて、現実の世界にはたらく超自然の干渉を軽視しがちである。秘跡における超自然の有効性はみとめても、それ以外の分野では軽くあしらうきらいがある。現代人は、天上界に属する天使のはたらきや干渉が、この地上の人間社会に及ぶことを嫌うかのようである。とくに人文科学として心理学を尊重し、それによって宗教的超自然や天使の存在なども片づけようとしている。
 今の場合、姉妹笹川の超自然的夢の世界とわれわれの現実の世界が、雪害との戦いを通して、まぎれもなく結びついていることをさとらされる。これは、天上界とこの地上界とが、天使のはたらきと仲介によって緊密に結ばれている真理の、一つのあかしではなかろうか。
 聖母マリアが神の “みことば” をやどす神秘は、大天使ガブリエルのお告げによってはじまる。
 天上界の至聖なる三位一体の神と、この地上の現実に生きるひとりの人間おとめマリアとのまじわりが、天使の仲介によってはじめて成立した。それを思えば、こんにちも神の聖旨の仲介者として守護の天使のはたらきかけがあることは、一向ふしぎではない。むしろ、神がすべてをしろしめしたもうという真理の一端を示すもののようである。
 以上の一見ささやかな出来事にも、聖母像を通して与えられた “お告げ” の重要な意味を理解する助けが含まれているのではなかろうか、と思うのである。

隣人愛

 二月二十五日、月曜日。
 夕の聖務に先立つロザリオの祈りの時であった。二連が終わり、第三連目に移る瞬間、姉妹笹川に守護の天使が現れて、こうささやかれた。
 「いま悩み苦しんでいるひとりの姉妹がいます。あなたはこの姉妹の身につけている物を一つ借りてきて、初金曜日まで身代わりになってあげなさい。その日になったら、その人への返事をしましょう」
 そして姿を消されたので、彼女はロザリオの祈りからそっと脱け出て、まっすぐ台所へ行ってみた。ちょうど当番で働いていた一人の姉妹にかけ寄り、身につけている手ごろな物を考える間もなく、首のメダイに目が行き、いきなり鎖をはずし「これをちょっとわたしに貸してください。お話はあとでするから」と言うが早いか自分の首にかけ、聖堂の祈りのグループに戻って行った。それは自分でもおどろくほどの早業であった。
 ところがそのあと、もっと驚くべきことが起こった。聖堂に戻って、祈祷のつづきに加わってみると、まるで今までの自分がどこかへ行ってしまったように、全然祈りというものができない。
 いま神の尊前にいる、心をこめて祈りを捧げねばならぬ、と理性は命じるのに、精神の集中がまったくできない。思考は散漫となり、心には雲のごとき雑念が去来する……。
“祈りができない” とはこういうことだったのか、とはじめて覚らされた気がした。
 これまでもこの姉妹から「気が散って祈れない」との打ち明けを聞かされてはいたが、その訴えが理解できず、「なんで?」と問い返すばかりだった。「気が散るって、どういうこと?」とほかの姉妹たちにもたずねたりするうち、だれでも常に祈りに没入できるとは限らず、多かれ少なかれ心の散漫とたたかっているのだ、とわかり、自分の例外的恩恵をひけらかすごとき質問をつつしむようになっていた。
 たしかに姉妹笹川は “祈りの人” としても稀な特典的恵みを受けていた。もともと幼い時から集中力に秀で、何をするにも一心に没頭するため、勉強も稽古事も上達が早かった。そのような具合だから、信仰に入ってからは、まっすぐに祈りに沈潜するようになった、という。
 祈るのはどのようにするのか、と問いただしてみると、答は実に単純明快で、洗礼を授けた指導司祭が、祈りとは神様とお話することだ、と教えたので、以来その通りにしているだけ、という。相手から返事がなくてもかまわないのか、と問えば、そんなことは問題でない、という。もともと父親にかわいがられた父親っ子だから、神様にも父に対するようにお話する。マリア様には、やはり母に向かう気持ちでお話ししている……と天真らんまんである。“幼な子のごとく” と言われるのは、こういう心根をさすのであろうか。それでも、祈りの途中でほかの考えが起こることはないのか、と念をおしても、神様の前に出てお話ししているのに、どうしてほかのことを考えられるのか、と不審そうである。それに口祷の時は、その祈祷文の意味を思うし、また今とくに祈ってあげるはずの人々の顔がずらりと見え、そのひとりひとりに心をとめてゆけば、時間がたりぬほどで、余計なことを考えるひまなどない、という。またそれがだれでも当然、と思っているらしい。
 そういう恵まれた境地にいただけに、この経験は大きなショックだった。考えが右往左往するばかりか、周囲のすべてが気になる。今まで “人前をつくろう” とか “気どる” とかいうことは、言葉としてしか知らなかったのが、はじめてわが身に実感された。
 そんな心の状態のむなしさ、苦しさというものに、ようやく合点がゆき、深い同情をもって身代わりの祈りを捧げようとつとめたのであった。
 一方、当の姉妹は、「こんなにお祈りに集中できるなんて、はじめて!」とあかるい笑顔ではしゃいでいた。
 一日おいて二十七日は、四句節の灰の水曜日に当たり、大斎・小斎を守る日であった。かねて福音書に学んだ通り、この種の悩みには断食を伴う祈りが効力をあらわすことと思い、姉妹笹川はとくにきびしい断食をした。胃の具合を口実に、水一滴とらず一日を過ごし、ただ心をこめて、祈れぬままに「主よ、憐れみたまえ」を連発し、聖母に向かって「お助けください」と、言葉にならぬ射祷を必死にくり返していた。
 その夜七時半から “十字架の道行” の祈りがあった。暗く閉ざされた精神をむち打って、苦しい信心業を終えたとたんに、暗黒のかなたから魂にサッと一条の光がさし込んできた思いがした。心の片隅に一点の灯がともったようなたのもしい感じであった。同時に、われに返ったように、いつもの祈りの精神がもどってきた。そうして翌日もそのまま静朗な朝をむかえた。
 ところが、例の姉妹のほうはすっかりふさぎ込んでおり、人ともろくに口をきかず、ついに一日部屋にとじこもってしまった。その内心の苦しさというものを今は身に泌みて知る姉妹笹川は、たびたび見舞ってなぐさめ「お互いの弱さ醜さをみんなマリア様にさらけ出して、いっしょにお助けを願いましょう」と、同病相憐れむ態度で力づけた。かげでは、できるだけ断食と祈りをつづけていた。
 ようやく月が替わり、天使に約束された初金曜日が来た。朝、例の姉妹と出会うが早いか「お祈りありがとうございまいた」とあかるい笑顔であいさつされた。そのおかげをはっきり感じた、という。こちらはなおも気をゆるさず、祈りをつづけた。
 その夜の “十字架の道行” のあと、暗い聖堂にちょうど二人で残っていると、守護の天使が姉妹笹川に現れた。「信じなさい、委せなさい、祈りなさい」と隣りの姉妹への忠告のように言われる。そのままをくり返して伝え、その姉妹が「信じます、委せます。祈ります」と答えると、天使の姿は消えた。とたんに姉妹笹川は、前に借りたメダイを無意識に手に持っていることに気づき、それを隣りの姉妹に返した。彼女はすぐに首にかけ、聖母像の前にすすみ出てひれ伏した。「マリア様、私は信じます。委せます。祈ります」と声をあげて祈ったとあとから言っていた。
 こうしてこの姉妹は、十字架として与えられていた苦しみから一挙に解放されたわけではないが、やがて遠い将来にせよ、試練をのり超えられる信頼と希望の光を、恵まれたのであった。

* * *

 今回の出来事は、だれの目をおどろかすこともない、純然たる内面の世界の話である。ただ、一姉妹の内心の苦しみにともにあずかって祈った友情ものがたり、ともみえるが、実は姉妹笹川自信にとって、一つの予備的な恩恵であった。
 三つの忠告をもって信・望・愛の重要性を示し、これから起こるかずかずの困難にたいする見通しと心がまえを与えられたものとおもわれる。

 現代の風潮では、宗教家でも神や仏をただ信じるというより、信仰の対象を学問のそれのように究明して、知的に把握することを重んじる傾向がある。カトリック界でも、神学的知識がむやみともてはやされ、求められている。しかし、研究して理解したことだけを信じるのでは、信仰といえるであろうか。それは知識に過ぎないのではないか。
 だいいち、いくら人知をつくしたところで、神の神秘の深淵をきわめられるものではない。いくらかでも探りたければ、神から与えられる信仰の恵みにたよるほかない。
 人はよく、まず知らなければ、神に祈ることもそのはからいに身を委せることもできない、などという。そのように考える人は、自分の能力を信じ、自分にだけ頼る傾きがある。全くの他者であり、およそ計り知れぬ神という存在に祈る心にはなれないわけである。
 目にみえる世界からして、そこに充満する神秘はわれわれの知識の遠く及ばず、理解をはるかに超えるものである。目にみえぬ精神界のふしぎにいたっては、人知の微かな光では何もつかめず、信仰の光によってのみ無限の神秘をさぐりうるのである。知識万能主義の人には、精神界の苦しみとその身代わりの事実など、およそ荒唐無稽の夢ものがたりとして、一笑に付せられるだけであろう。

 姉妹笹川が、天使のすすめに従って、一姉妹の精神的苦痛にともにあずかってあげたことには、更に、隣人愛の模範を見ることもできる。
 こんにち、このような種類の隣人愛は、あまり顧みられぬようである。教会史上に残る聖人たちは、自分自身苦しみに身をゆだねて、隣人を愛する人々であった。わが身は安らかに保って、ただ宣教に従事しても、神のみ言葉は安易に実るものではないのである。
 姉妹笹川を通して天使が教えたものは、目に見えぬ業とはいえ、具体的な隣人愛の実行にほかならない。現代は物質的なやりとりのみを、それも懐ろの痛まぬ程度の応酬を、隣人愛の実施としているようであるが、真に神の聖旨にかなう業であろうか。キリストはきびしいことを言っておられる。「自分を愛してくれる者を愛したからといって、あなたがたに何の報いがあろうか。自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、何か特別なことをしたのであろうか」

 この試練に際して「信じなさい。委せなさい。祈りなさい」と教えられたことは、その後の十年間の苦難のかずかずを思うとき、他の誰よりも、姉妹笹川にとって貴重な恵みであったと言えよう。司教委嘱による二度の調査委員会から受けた心身の打撃──真相糾明という大義名分も先入見に牛耳られると、しばしば毒ある針をふくむことになる──に加えて周囲の疑惑の目──姉妹たちも弱い人の子であり、権威筋の断言には動揺せずにいられなかった──などの苦悩の嵐の中で、ひたすら信じ、委ね、祈ることに支えを見いだしていた。ここにも神の慈愛のはからいを見るのである。

 以上、書きつづけてきたことは、私がここに来る前の一年ほどの間に起こった事象である。自分で見聞したわけではないから、詳述するについては、姉妹笹川の日記をもとに、その折々の事情をあらためて本人に問いただして正確を期した。
 一九七四年の三月十日、まだ雪深い湯沢台にひっそりと住む姉妹たちの許に、私は身を寄せることになった。私にとっては社会での宣教生活に一年の休暇を許された形であったが、今思えばこれが半生の長い宣教活動にピリオドを打つものであった。
 ここで聖母像をめぐるふしぎな出来事に出合ったことは、私個人の予想や希望と全く関わりのないめぐり合わせであり、天の配剤の前に頭を垂れるのみである。

 次章からは、私が直接見聞きした事柄を報告することになろう。
 思えば、若いころ司祭職にあこがれたのは、神のみことばの宣教のつとめに惹かれたからであった。念願の司祭となった以上、わき目もふらず宣教ひとすじに生きるつもりであった。みちのくの山深い里の一修道院に、姉妹たちとかくも長期間生活をともにすることなど、毛頭考えもせず、意図せぬことであった。
 今にして深まるのは、聖母の御心に惹かれるまま、まさに摂理の霊妙な糸にあやつられて来た、という感慨である。

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