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第六章 第二のお告げ

 七月二十八日、土曜日。
 九時過ぎ、姉妹笹川は司教の部屋に呼ばれた。その後変わったことはなかったか、と問われ、昨日の午後の出来事を報告した。聖堂で祈るうち、守護の天使の声を聞いたこと、その言葉通り手の痛みが消え失せたこと、を委しく述べた。また聖母像の御手にまた出血があったことも、お目にかけそこねた失態をお詫びしつつ、申し上げた。
 司教は注意深く耳をかたむけ、さらにいつもの例で、以前の出来事にさかのぼって、あらためて復習のように質問をくり返される。丹念にメモを取りながら聴取されるのは、何か矛盾点でも出て来ないか、との配慮からであろうか。こちらも問われるままに、何度も同じことをお答えする。最初の “聖母のお告げ” の再述を求められたときは、聖体奉仕会の祈りをご一緒に唱えた際「御聖体のうちにましますイエズスの聖心よ」の初句に「まことにまします」と加えるようにと御注意のあったことを、重ねて力をこめて申し上げた。何事にも慎重を期すなさり方から、まだその変更の指示は与えられなかったからであった。
 終わりに司教は、一つの思いがけない注文を出された。
 「こんどその方が来られたら、次のことをたずねてみなさい」といって示されたのは
 (1) 私たちの会を、神様がお望みであるかどうか。
 (2) また、このままのかたちでよいのかどうか。
 (3) 在俗であっても観想部が必要かどうか。
 という三つの質問であった。

 簡単に言い渡され、そのまま「はい」と答えたが、時がたつにつれ、引き受けたほうは荷の重さが肩にのしかかってくるのを感じた。覚えこもうとくり返すにつれ、質問の重要さがわかってくる。これはしっかり伺わねばならない。とは言っても。自分でその機会をつくれるわけではない。いつ、またあのお声をきかせていただけることか、あるいは、もうまたとあんなお恵みの折はないのかもしれない……人間があてにしても、すべては神の思召し次第ではないか……。
 こうした無力感をいだいて、できるわざといえば、しばしば聖堂にひざまずき、従順の名によって、任務をはたす機会が与えられるよう祈ることだけだった。
 一九七三年八月三日、初金曜日。
 それから一週間たった。初金曜を迎えて、姉妹笹川はいつもより長く聖体の前で祈った。午前中は平素と変わることなく過ぎた。そして午後の聖体訪問の際……起こったことは、彼女自身の説明によれば次の如くである。
 〈午後二時ごろから、イエズス様の御受難をしのんで黙想し、ロザリオを唱え、一時間余りも聖堂で過ごしたでしょうか。この日は久しぶりに守護の天使が現れ、一緒にロザリオを唱えてくださいました。その祈りの間も、わたしは司教様に頼まれた重大な質問のことが心にかかり、それを申し上げる機会がいただけるように、とひそかに祈っていました。
 その願いが通じたのか、お恵みの機会はさっそく与えられたのでした。
 守護の天使が
 「何か尋ねたいことがあるでしょう。さあ、遠慮なく申しなさい」
 と、小首を傾けてほほえみかけてくださったのです。わたしは、さっと緊張して、質問を恐るおそる口にしました。そのとたん、マリア様の御像のほうから、また前と同様に、えも言われぬ美しい声が聞こえてきました。
 「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
 これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
 世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
 おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
 祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。聖体奉仕会の祈りを心して祈り、実践して、贖罪のために捧げてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。
 在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください」
 (ちょっと間をおいて)
 「あなたが心の中で思っていることは、まことか? まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」

 それはまったく、言いようもなく美しい、天よりのものとしか思えないお声でした。心の耳にひびくのか、聞こえないはずの耳を通してか、そんな区別など考える余裕もなく、ただひれ伏して身動きひとつできませんでした。そして、ひと言も聞き洩らすまいと、それこそ全身を耳にしていました。
 (主要なお告げのあと、わたしへの御注意を加えられる前、ちょっと間がありました。それはどのくらいの間であったか、といまたずねられても、無我夢中の状態で、何とも定められません。主祷文を一つ唱えるほどの間があったかも知れず、“天にまします” と言いかけるひまもないほどだったのかもしれません。どうも時間の感覚など抜け出た状態にいたように思われます。
 それでは、お声がとぎれた以上、もうお話は終わったかと顔を上げてみたか、などとも聞かれますが、依然神秘な力に圧倒されていて、頭をもたげるどころではありません。それに、たとえすばらしい歌に聞き惚れていても、ちょっとの沈黙が休止符か終止符かはおのずと聞き分けられるように、まだ終わりでないことははっきり感じられます。それで、最後のお言葉も、そのひびきが消えるとすぐ、まるで強烈な光が失せたかのように、“終わり” と感じました。そして頭を上げてみたら、そばの天使のお姿ももうなかったのでした。
 ついでに、今のお言葉のうち、よく人から念を押して質される一句のことにも、ここで触れておきたいと思います。それは「あなたが心の中で思っていることは、まことか」とのお問いかけは「まことですか」とおっしゃったのではないか、という質問です。たしかにそのほうが、次の「覚悟がありますか」とも釣り合いがとれるようです。けれども、これははっきり申せますが、たしかに「まことか?」と仰せられたのです。語尾をすこし上げて、いかにも優しくしかも権威あるお質しの口調は、忘れられません。)

 ともかく、この世のものならぬうるわしいお声が消え、わたしは身を起こしたものの、まだその余韻につつまれて、しばらく祈っていました。それでも、この大事なことを司教様に正確にお伝えしなければ、という思いにうながされ、いそぎ修室にもどりました。
 先ごろからの一連のふしぎな出来事以来、すべてを “霊魂の日記” として記録しておきなさい、と司教様に命じられて書きとめていた大学ノートをひらき、さっそくペンを走らせました。
 一字一句もあやまらず、正確に、と心して、祈りながら書きましたが、あの長いお言葉が、ふしぎなくらいすらすらと、出てきます。すこしも記憶をさぐることもなく、胸に一語一語くっきり刻み込まれているように、あるいはそばから口述されているかのように、なんのためらいもなく、そのまま写しとることができました。これは自分の自然の能力ではとうてい考えられないことでした。
 書き取りながら、あらたな感動とともに、この中に司教様の質問へのお答えも全部ふくまれていることに、ひそかな感謝と感激をおぼえたことでした。
 その後、この報告は、八月十五日に私の初誓願のためおいでくださった司教様に申し上げましたが、この時も、ノートの必要もないほど、口頭で全部お伝えすることができました〉

 この重要な出来事の検討に移る前に、些細なエピソードではあるが、この同じ八月三日の夜に起こった一事件にふれておこう。
 真夜中ごろ、姉妹笹川は突然「起きなさい、起きなさい」と呼びさまされた。まぎれもない守護の天使の声であった。
 とび起きてドアを開くと、何か焦げくさい異様な臭いが廊下にたち込めている。臭いをたどって階下に降り、台所に入った瞬間、火の玉のように真赤に燃えさかっているヤカンが目についた。ねむ気も吹きとび、かけ寄って反射的にガス栓をしめる。水を汲んで、今にも火を発しそうな灼熱の塊に遮二無二うちそそぐ。ようやくうすらいだ湯気の中にヤカンは無惨な姿でしずまる。底にはまっ黒に焦げた煎じ薬が、まだ異様な臭気を立てていた。
 あとで聞けば、ひとりの姉妹が、煎じ薬をつくりかけたまま、忘れて寝てしまったのであった。まったくもう一歩で、火災の大事になるところであった。
 一同が胸をなでおろし、あらためていましめ合った次第であった。「笹川さんが気づいてくれなかったら……」と、真相を知らぬ姉妹たちは彼女の鼻のよさにでも感謝するふうであったが、実は守護の天使にこのように実生活の上でも助けられることは、以後もたびたび起こるのである。

* * *

 今回のお告げは、メッセージの核心となる重要な主題を呈示されたものである。ここには聖母像の御手の出血現象の奇跡に劣らぬ、刮目すべき重大な教示がみられる。
 その中心主題は、“世の多くの人々は主を悲しませている” というお嘆きに始まっている。聖主を悲しませているのは、いまこの世に生きている人々であり、現にこの世界を舞台にしておかしているわれわれの罪によってである。聖母は世界を眺めわたして、“主を慰める者” を求められる。それは、“天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもって償う霊魂” を望まれるからである。
  “おん父が天罰をくだそうとしておられる” という警告は、以上を敷衍して、切迫した事態への憂慮を訴え、具体的な要望へと導くためのものである。

 またここに、司教が先に提出した三つの質問への答えが、明らかに示されている。
  “この会を神はお望みであるか” との問いに対しては、“あなたの会にも私は望んでおります” の一言で応じられた。この会を肯定のかたちで認められるとともに、すべての人にも呼びかけておられることがわかる。
 第二の “このままの形でよいか” の質問には、“形にこだわらず、熱心をもって、ひたすら聖主をお慰めするために祈るよう” と指示される。これは、観想的修道会、活動的修道会、あるいは在俗修道会などの区別に重きをおく態度を排し、神に奉献された身分に優劣をつけるような考えがあってはならぬことをも、示唆されるごとくである。とかく世間的な目での比較による順位づけに影響されて、会の形態で差別をつけようとする幣を、聖母はいましめられ、要は “形ではなく、神の聖意にかなうことである” と強調されるようである。
 第三の “在俗であっても観想部が必要か” との質問には “在俗であっても祈りが必要” であり、“すでに、祈ろうとする霊魂が集められている” とのお答えが与えられる。これは、在俗であろうがなかろうが、また一般の信徒においても、祈りが生活の最も大切な中心となるべきことを示している。
 もともと聖体奉仕会の当初の集まりには、修道会らしい規則も戒律も、生活の整った形態もなかった。ただ善意にみちた人々の、心からの祈りを捧げようとする貧しいささやかな共同生活があるのみであった。
 司教の当面の関心事であった三つの疑問点にたいして、姉妹笹川の問いかけも待たずに与えられた、以上の応答を検討するにつけ、たしかに人間の知恵によるものでなく、天よりのもの、聖母御自身より賜ったお言葉である、と、わたしは深く感銘させられたのである。

悪魔の攻撃

 これまで、姉妹笹川に現れて何かと助けられる守護の天使について、再三述べてきた。
 このような事柄は普通一般にみられるものでないだけに、この種の話となると、現代人は聞く耳をもたず苦笑であしらうか、あるいは耳をかたむけても、精神障害の症例として片づけようとする。たしかにいわゆる幻視・幻聴の類ならば、病気が原因であって、治療の対象となり、それによって解消されるべきものである。姉妹笹川も、やがてある神学者から、病的幻視幻聴のレッテルをはられ、多くの試練と誤解になやまされることとなる。しかし、今さら指摘するまでもないが、精神病の場合には、本人の言動が異常なだけであって、客観的なしるしや奇跡をともなうことはないのである。
 超自然の存在がわれわれの日常生活に介入してくることは、聖書はもちろん、神秘家の伝記等にしばしば記載されている事実である。それも、天使のような善い霊ばかりではない。妬みの霊、悪しき霊である悪魔も、働きかけずにはいないのである。
 八月四日。典礼暦が変わって今は聖ヨハネ・マリア・ビアンネの記念日であるが、当時は聖ドミニコを祝う日であった。
 夕の聖務に聖堂へ入ろうとした姉妹笹川は、突然背後からグイと肩をつかんで引き戻されるのにおどろいた。呼び止めるにしてはあまりに烈しい仕草に、(なんと乱暴な……)と、左うしろを見返ると、何か黒い影が蔽いかかっている。あわてて手を上げて肩のあたりを払いのけようとしたが、磐石のような力がわしづかみにしていて、身動きもできない。ゾッと身ぶるいしながら、とっさに「アヴェ・マリア!  守護の天使、お助けください!」と心に叫んだ。
 たちまち、いつもの天使が姿を現し、聖堂に導くように、先立たれる。とたんに肩にのしかかっていた力は消えた。彼女はふだんのように聖水を指につけ、十字の印をして入堂し、自席につくことができたのだった。
 一瞬のこととはいえ、あきらかに人為的な域を超えた、異様なおぞましい襲撃であった。
 その後も同じようなことが、同じ場所で再度起こったが、こんどは「主よ、お助けください。憐れみたまえ!」と祈り、即座に助けられた。
 これが悪魔の攻撃とは、本人もすぐ気づいた。なぜなら、神の恵みとの出合いは、心の甘美さと深い平安を残すのに反し、こうした経験は、まことに気味のわるいあと味と、恐怖を残すからである。

 姉妹笹川にとって、この山にきてからはじめての忌まわしい経験であったが、悪魔の攻撃を受けたのはこれが最初というわけではなかった。今でも身ぶるいの出る悪夢のようなその思い出を、彼女はこう語る。
 〈この時より九年前、妙高の病院で療養していた時のことです。一月二十日ごろだったと思います。そのころ大分元気になっていたわたしは、温泉療法をすすめられていたので、毎朝、検温のあと入浴することにしていました。
 その日は、患者のひとりのおばあさんと連れだって行きました。ひと気のない浴場へ入り、脱衣室で支度をしかけたとたん、目の前に思いがけずTさんが立っているのを見ました。
 Tさんというのは、重症の男子患者です。以前は熱心な信者だったのに、いつの頃からか教会を離れていました。もう先は長くないのに、とその霊魂の状態を心配する信仰厚い人たちが改心をうながしても、宗教の話にはてんで耳を貸そうとしません。そこで、病人同士なら心を開くかもしれないからと、わたしが頼まれて、たびたび見舞っていました。はじめはかたくなな態度でしたが、次第に心がほぐれてきて、祈祷書やロザリオなども受け取ってもらえるようになりました。そして、その頃は病院を出て、奥さんの実家で療養中と聞いていました。
 そのTさんが目の前に立っているので、わたしはあきれて目を見はりました。何か苦しそうな感じでうつむいていて、眉間に深く皺をよせています。思わず「Tさん、どうしたんですか。ここは女湯ですよ」と声をかけた、その時です。Tさんのうしろから蔽いかぶさっていた黒い影がヌッと伸びあがりました。そして、彼の両肩をわしづかみにしていた気味のわるい鉤型に曲った長い指を離し、大きな蝙蝠のような黒い翼をひろげて、わたしのほうへフワーッと飛びかかってきました。……あと、どうなったのか。つかみかかろうと迫る鉤なりの指を見たきり、わたしはあまりのおそろしさに気を失ってしまったのです。
 のちに聞けば、仰向けに倒れようとするところを、そばにいたおばあさんが受けとめてくれたので、コンクリートの床に頭を打ちつけずにすんだとのこと。すぐ病室にはこばれ、それから十日間、意識不明で過ごしました。
 体はもう死人のようにこわばったままで、こんどこそもう絶望とみられて、三日目に病油の秘跡をさずけられ、医師からは、万一生命がたすかっても、知脳障害か失明のおそれがある、と言われたとか。事実、眼にはもう白い膜がかかっているのを見て、母は、今までさんざん苦しんできた者をこれ以上そんな哀れな目にあわせたくない、と思ったそうです。
 それに、意識不明の本人は、子供のように安らかな顔をしており、ふしぎなことに、呼べば五、六歳の幼児の時の声で答え、問いかければあどけない返事をしたりする。「うち行く、うち行く」と言うので「何しに?」と聞くと「ボボサン(ままごと)やマリつきするの」などと答える。こんな罪のない状態で召されれば、まっすぐ天国に行けるだろう、と母は周囲の人たちと語り合ったそうです。
 わたしのほうは、もちろん周りのことなど何も分かっていません。ただ、今でも記憶に残っているのは、行けども行けども果てしない広い野原を歩きつづけ、疲れ切って座りこんでいたことです。でも、あたりにはきれいな野花が咲いていて、退屈はしませんでした。
 ともかく、意識不明がつづいた十日目、当時わたしがまだ籍をおいていた長崎の純心聖母会から、ルルドのお水が送られてきました。それをひと口飲まされたとたん、手足の硬直がとけたのです。マヒしていた手をひろげ、ねまきのボタンがちぎれるほどの力で胸を掻き上げ、ハーッと長い眠りからさめた伸びのように両手を頭上にさしのべ、「ああ、きれいだ!」といいながら目を開けたそうです。見ていた野原の花のことか、枕元に見た花瓶の花のことか、それはおぼえていません。
 その日から点滴を受けはじめ、体力もつき、ぐんぐんと回復に向かったのでした。
 つい自分のことで横道に手間どりましたが、こうして元気をとり戻した二ヵ月後に、例のTさんの奥さんが見舞いに来てくださったのです。「主人は亡くなる前に、笹川さんのお祈りのおかげで救われた、と感謝していました」とお礼を言われます。そこで、あの浴場での出会いを憶いだして、話し合ってみると、ちょうどTさんが病油の秘跡を受けられたその日時であったことがわかり、お互いに深く感動したことでした〉

 この経験談によっても明らかにされるように、一般に悪魔は、善を行う者、とくに自分の手中から霊魂を助け出す者を、はげしく憎むのである。なんらかの形で敵意を示し、妨害や仕返しをたくらむ例は、聖人伝のエピソードにもよく見られる。
 ひとつ注目しておきたいのは、姉妹笹川が、そういう悪魔のはたらきに関して何の予備知識ももたなかったことである。悪魔の存在は、信仰個条として知っていたが、なぜ自分がこんなにこわい目にあうのか、全然合点が行かなかった。またその現れ方も、まったく想像を超えたものであった。それに興味深い暗合として思い出されるのは、アルスの聖司祭ビアンネ師が悪魔につけたあだ名である。多くの霊魂を救ったため、しばしば悪魔から有形無形の攻撃を受けたことは有名だが、師は一向にめげず、寝室を焼かれるような被害に遭っても、「またあの “鉤指のやつ” めが…」と苦笑し、「鳥が捕れぬから鳥籠を焼きおった」と言われたと伝えられる。聖画などでも、悪魔は黒いコウモリの翼と、長い鉤型の爪や指をもつ魔物として表現されるが、姉妹笹川は、この種の画を見たこともなければ、前者の伝記も読んだことはなかったのである。

 何にしても、このように忘れがたい怖ろしい経験を再三与えられたのは、彼女が祈りの生活において油断することなく、常に聖主、聖母、また天使のお助けに、信頼をもって寄りすがるべきことを、身に泌みてさとるためであった、と思われる。

光と汗と芳香

 九月二十九日。大天使聖ミカエルの祝日にあたり、姉妹一同は山を下り、町の教会でミサにあずかった。
 帰って昼食後、姉妹笹川はひとりの姉妹と聖堂に入り、ロザリオの祈りをはじめた。最後の第五玄義を唱えかけたとき、聖母像全体が白く輝いているのに気づいた。となりの姉妹の袖を引いて注意をうながし、口祷をつづけながらも、二人して眼をこらした。とくに御衣が白く輝き、両の御手からまぶしい光がさし出ている。……
 五連目を唱え終えて、近づく。まず拝礼する姉妹笹川に、連れの姉妹が「あ、おん手の傷がなくなっている」と指し示した。
 七月二十七日を最後に、御血が流れることはもうなかったが、十字の傷痕はずっと残っているのが、まるで拭われたように消え失せている。三ヵ月前と同じまったく無傷の掌となっているのに、おどろかされた。けれども、このことは司教様に報告するまでは皆には語らずにおこう、と二人で約束し合い、聖堂を出たのであった。
 ところが、その夕方、数人の姉妹が聖堂で晩の祈りを唱えていた時、次の異変が起こり、掌の変化もおのずと皆に知られることになった。祈りが終わりに近づいたころ、御像がテラテラと光りはじめたのである。そのうち、最前列の一人が、汗のようなものが流れはじめたことに気づき、他の姉妹にも知らせに出て行った。
 姉妹笹川は、まだ気づかずうつむいていたが、ふと人のけはいに目を上げると、守護の天使がかたわらに現れ、
 「マリア様が、おん血を流されたときよりもお悲しみになっておられますよ。お汗をふいておあげなさい」
 と言われた。
 そこで脱脂綿の袋を持ってきた姉妹たちに加わり、五人ほどで、新しい綿を手に、おそるおそる御像をぬぐいはじめた。全身をしとどにぬらす汗という感じで、ことにひたいとお首のまわりは、ふいてもふいてもとめどなく、あぶら汗のようなものが滲み出てくる。愕きとともに、心は名状しがたい痛みをおぼえる。目上の姉妹Kは涙をこぼしながら「マリア様、こんなにお悲しみとお苦しみを与えて申しわけありません。わたしたちの罪とあやまちをおゆるしください。わたしたちを守り助けてください」と言いつつ手を動かすのに、だれもが同じ心で、ひたすら強懼のうちに、思い思いの個所をふき取っていた。脱脂綿は、しぼれるほどに濡れていた。
 夕食後、一同が聖堂に行ってみると、御像はまた汗びっしょりになっていた。あわてて皆で拭いにかかった。いつも口数のすくない姉妹Oがこの時になって思いあまったように「わたしの綿はちっともぬれない。わたしがふくと汗は出ないようだ……」と悲しげにつぶやいた。とたんに、まるでその不安げな言葉への応答のように、彼女の手の綿は、水に漬けた海綿のように、したたるばかりに濡れたので、びっくりし、つよい感銘を受けたようであった。
 そのうちひとりが「この綿からよい匂いがする」と言いだした。めいめい嗅いでみると、バラともスミレとも百合ともつかず、それらを合わせたようななんともいえぬ芳香が感じられた。生まれてはじめてと言えるすばらしい香りに、一同恍惚とした。姉妹Oの「この世の最高の香水も、こんな匂いは出せない!」との断言に、皆うなずき、まったく天国での香りとはこういうものだろうか、と言い合ったのだった。
 翌三十日の日曜、聖堂に入った姉妹たちは、またその芳香にうたれた。目上はそれが御像から発することをたしかめに行き、姉妹は各自の席で身をつつむごとき香気に魅了されていた。昨夜の御汗にうちのめされた悲しみに引きかえ、だれの表情も明るさと平和にみたされていた。
 その後も芳香はつづき、聖堂に入るたび、一同の心をおのずと天上へ引き上げるようであった。

 十月七日はロザリオの祝日である。姉妹笹川は、とくにロザリオの珠の一つ一つに心をこめて祈っていた。芳香はことのほか聖堂にたちこめ、さながら聖母の慈愛につつまれているごとく、心はおのずからキリストへの愛に引き上げられるようであった。よろこびに酔うあまりに「この香りはいつまでつづくかしら。ロザリオの月いっぱいつづいてほしい……」という思いがうかんだ。たちまち、守護の天使が右に姿を見せ、ほほえみながら首をかるくふって、
 「十五日までですよ。それ以上は、この世にあって、この香りをかぐことはないでしょう。かぐわしい香りのように、あなたも徳を積んでください。一心に努力すれば、マリア様の御保護によって成し遂げられるでしょう」
 と言って姿を消された。
 芳香は、その予告どおり、十月十五日までつづいた。とくに小さき花の聖テレジアを記念する三日と、最終日の十五日には、強烈に感じられた。
 姉妹たちにとっても、この恵みは大きななぐさめとなり、今後どのような困難に遭ってもくじけぬほどの励ましを与えられたように思われたのであった。

* * *

 このたびは、天使の訪ればかりではなく、悪魔まで登場することになった。これはとりわけ驚くべき奇異な事柄でもない。前に述べたごとく、神のはかり知れぬ摂理によって、天使の良き助力のほかに、悪霊の邪悪な働きかけも、時として許されるのである。とくに、われわれが何らかの霊的賜を受ける場合、“霊魂の城” の著者大聖テレジアの言うように「悪魔もだまっていない」のである。悪しき霊のはたらきは、無論天使のそれと正反対であって、神の思召しにそむく方向へ持って行くのである。聖堂に入ることを妨げるなどは、神に祈る行為を何より嫌悪するその性質をよく表している。
 キリスト信者でも、精神分裂症の傾向がある者は、幻視を見ることがある。しかしその場合、前後にあきらかな病的現象がともなう。また、冷静な客観的判断を欠くゆえに、人が反対すれば、かたくなな自己主張にかたむく。さらに、その精神に内的静謐さがない。一方、一時的に悪霊の働きかけを受ける者は、その影響が去れば、以前の平安が光のごとく霊魂をみたし、神への信頼の心が一層強まるのである。
 姉妹笹川の場合も、この基準によって判断さるべきであろう。

 つぎに、日本の保護者と仰がれる大天使聖ミカエルの祝日にあたって、聖母像にあらたな奇跡的変化が起こったことも、注目にあたいする。七月以来三ヵ月近く見られていた掌の傷あとが、輝く光とともに一瞬にして消え去ったのである。
 その夕方、御像からおびただしい汗が流れ出た不思議も、姉妹全員が目にし、夢中でぬぐい取った、まぎれもない現実である。のちに秋田大学の法医学教室において脱脂綿が鑑定された結果、人間の体液と認められた。これは疑いをさしはさむ余地のない科学的な実証である。
 さらに、この “汗” をふくんだ脱脂綿から、また御像自体から、えもいわれぬ芳香が感じられたことも、超自然のしるしとなるであろう。
 私自身は、この出来事より半年後に湯沢台に来ることになり、姉妹たちから報告を聞いたのであるが、即座には何とも判断のつきかねる話であった。性急に真偽をたしかめる必要もみとめず、いずれ時とともに何らかの形で判定がくだされるであろう、と思っていた。 その後、たまたま私への訪客に、姉妹の一人が話題の脱脂綿を持ち出して、香りをかがせることがあった。客の驚嘆する様子に、私も(若い時に鼻の手術を受けたので嗅覚に自身はなかったが)同じく綿を嗅いでみて、衝撃を受けた。たしかに、バラにも優る甘美な芳香が馥郁とたちのぼっている。同時に、私のそれまでのためらいと疑惑は一返に消え失せ、“出来事” の真実性を明確に把握したのであった。
 われわれはみな、あの使徒トマのように、目で見、手でふれ、自分の感覚でたしかめなければ信じない、という弱点を有しているのではあるまいか。
 私もこの後、徐々に、マリア像のふしぎな現象に、自身立ち会うことになるのである。

守護の天使たち

 ここで数日あともどりして、一つの挿話的出来事にふれておきたい。
 十月二日は守護の天使にささげられた祝日である。姉妹笹川がだれよりも実感をもって、この感謝と祝賀の日を迎えたことは想像にかたくない。耳が不自由になってから、どれほど守護の手をまざまざとさしのべられたことか。時には姿を現してまで、導き、はげまし、護られたのである。その主な舞台であった此処の聖堂で、司教の捧げるミサにあずかって祈れるのは、ことさら感謝を表明できてうれしかったにちがいない。
 そのミサ中の新たな経験を、彼女は次のように述べている。

 〈朝六時半からはじまった御ミサが、“聖変化” にまで進んだとき、急にまばゆい光があらわれました。それは前に(六月十二日から三日間)御聖櫃から放射されるのを見た、あの威光の輝きのような光でした。それが、まぎれもなく御聖体からさし出る、イエズス様の御存在の尊い光輝とさとらされて、まるで射すくめられたように、「わが主よ、わが神よ」と心にくり返しました。
 その瞬間、輝く御聖体に向かって礼拝している天使たちの姿が見えました。御祭壇を半円形にかこむかたちで、こちらに背を向けてひざまずいている感じで、八人並んで見えます。(霊的存在である天使は、一位二位…と数えるようですが、目前に姿があると、人間のように八人と言いたくなります。もちろん、現実の人間ではありませんし、ひざまずくと言っても、足の様子まで見えているわけではありません。衣服もはっきりせず、なんとなく白い光につつまれているだけです。人間に似た姿ではあるけれども、大人とも子供ともつかぬ中間的…というか、年齢を超越した存在です。それでいて、幻影ではない実体感をもっています。しかも、翼などべつになくとも、人間と見まちがえることのない、一種の神秘な光を身に帯びているのです)
 わたしはおどろいて、目の錯覚か、とまばたきしたり目をこすったりしましたが、八体の姿は依然うやうやしく御聖体を礼拝しています。
 その神秘な光景を見ているうちに、感動のあまりか、威光にうたれてか、祈りの言葉も唱和できぬほど、われを忘れてしまいました。なにぶん小さな聖堂で、おまけにわたしの席は最前列のすこし左手でしたから、すぐ目の前に展開される輝かしい光景に、いやおうなく引き込まれてしまった感じでした。立ったりひざまずいたりの祈りの動作を、一同と合わせることも、出来ない、というより忘れていたような気がします。
 やがて御聖体拝領の時になっても、なお呆然と居すわっていると、いつもの守護の天使がうながすように寄って来て、御祭壇のほうへ導かれました。その時、ありありと認めたのは、前に進む姉妹たちの右肩に寄り添うようにして、それぞれの守護の天使が(本人よりいくらか小柄な感じで)付き添っていたことです。わたしの天使と同じように、いかにも身近に、やさしく守り導いておられる様子です。これを目撃して、どんな委しい神学的説明よりも、ひと目で守護の天使の存在の意義を深くさとらされた思いがしました。
 この一部始終は、夕食後の機会に、司教様に御報告しました。
 今考えてみると、あの時天使たちはたしかに八体のお姿で見えました。私たちも、七人の姉妹と司教様とで八人。……守護の天使の祝日にちなんで、それぞれの天使が、礼拝の手本を示し、貴い導きの姿をかい間見せてくださったのでしょうか〉

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