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第五章 その後の日々

 聖母の御像に異変が起こって以来、姉妹たちが、姉妹笹川にあらためて注目したのは、当然であった。先に姉妹笹川が手のひらにふしぎな傷を受けたのは、異常ではあるが、彼女個人の身におこった一変事に過ぎなかった。しかし今度は、その同じ十字の形の傷が、木彫の聖母像の掌にくっきりと現れた、となると……。
 長上の命もあり、それを軽々しく口にしたり意見を述べ合うような態度をとる者はなかったが、めいめいひそかに思いめぐらすにつれ、聖母への信心をあらたにし、祈りにはげむ様子であった。
 姉妹笹川自身も、聖母の御手のいたましい有様を思うたび、魂をゆるがす緊張を感じていた。と同時に、この現象の意味にもっぱら心はひかれ、それまで自分の傷にのみ囚われて、むげに己れを責めた苦しい反省から、いくらか解放されたようでもあった。
 そうこうするうち、次の木曜七月十二日になった。
 夕方の聖務日課に、姉妹笹川が聖堂に入ると、聖母像の前で他の二人と祈っていた姉妹Kが、あわただしくさし招いた。
 「マリア様の御手から、また血がにじみ出ているのよ。まだ濡れている手のひらをごらんなさい」と示す。
 いかにも、今ふき出たばかりらしい鮮血が、十字形の中心から小指のあたりまで流れて止まっている。それを目にしたショックは、前の時にまさるとも劣らぬほどだった。
 その “晩の祈り” の最中から、姉妹笹川の手の傷も、また痛みだしてきた。

 翌十三日の金曜は、車で全員町の教会のミサに出かけた。買物などもすませて山に帰り着いたのは正午ごろであった。ところが、閉ざした聖堂のカギを持ったまま、目上二人が仕事に回っており、入堂できない。やむなく食堂で “お告げの祈” を唱えた。
 夕の聖務に、帰院した姉妹Kによって扉が開けられ、たちまち聖母像の掌にまた血の流れが発見された。各人が近くから眺め入ったが、つい今しがた出たようになまなましく、やはり小指の下あたりまで赤い筋が流れてたまっていた。
 たび重なる痛ましい現象は、いや増す衝撃で姉妹笹川をおののかせた。
 一週間前の最初の時は、天使に告げられていてさえ目を疑うほどの動転で、倒れるごとくひれ伏した。こうして、二度、三度とくり返されても、そのつど魂は奥底まで震撼される。回を重ねるにつれ少しは馴れる、というような尋常一様な出来事とは異なるのである。個人の手の傷など、問題ではない。この自然界の約束をとび越えた、驚異的なお示しは、何を意味するのか……何か差しせまった重大なことがあるにちがいない! ……
 恐懼きょうくと緊張にふるえる心をおさえ、つとめて平静をよそおい、平素の務めをとどこおりなく果たしてゆくのが、せいいっぱいの日々であった。
 内心ではたえ間なく「主よ、憐れみたまえ。われらを憐れみたまえ」と祈っていた。
 ふしぎなことに、姉妹笹川の手の傷も、普通の日の間は引きつづき痛むわけではなく、木曜の夕方から金曜にかけて、烈しくなるのを通例とした。
 次の七月十九日の木曜も、夕刻から痛みだし、金曜は、好きな和裁の仕事も手につかず、台所の水仕事もできなかった。が、この日が過ぎて土曜になると、傷あとは残っているものの、痛みは消えるのであった。

司教に報告

 七月二十四日、約一ヵ月ぶりで司教が来られた。
 まず姉妹Kの挨拶を受けてのち、司教は、茶を持って来た姉妹笹川に、「お元気ですか」とやさしく声をかけた。傍らの姉妹Kから、この一ヵ月間に起こったふしぎな出来事の報告を、注意深く聞き取ると、「手を見せてごらん」と言われる。こちらは、この前お見せしそびれたことも気になり、はずかしさをこらえて掌を差し出した。
 この日は火曜で、傷はいくらか小さくなった感じではあったが、十字の形は鮮明に残っていた。司教は眼鏡をはずして入念に眺めてから、何も言わず、姉妹Kと連れ立って聖堂へ、御像を調べに行かれた。
 午後四時過ぎ、司教に呼ばれた姉妹笹川は、先日来のことをくわしく話すように命令された。そこで、自分の身に起きたことから聖母像の異変まで、一部始終をありのままに述べた。記憶がとぎすまされたように鮮明な上に、日記風にメモを取っていたため、正確な報告ができたことを、うれしく思った。メモは、何かの力にうながされたように衝動的に書いておいたのだが、このことにも神秘なお助けの手を感じずにいられなかった。

 翌日は、司教のミサにつづき一時間の聖体礼拝が行われた。
 その後、姉妹笹川はふたたび司教の部屋に呼ばれた。
 きのうと同様に、起こったことをもう一度話してみよ、と言われる。問いに応じて述べる詳細は、まったく同じくり返しになる。増し減らしなく、真正直に答えれば、当然、何度語っても同じことである。一対一で、心の底まで洗いざらい示し終えて、かるがるとした安らぎをおぼえた。
 司教からは、感想めいた言葉は聞かれず、前回の指導とほとんど同様の忠告が与えられた。「私にだけあらわれた特別な現象だ、私は特別なんだ、と思うような心をもたないように。くれぐれも気をつけて、謙遜になるように」と。
 つつしんで聴く姉妹笹川の心は、まずはずかしさにみたされた。それを説明して、のちにこう述べている。
 〈自分を特別だなんて、とても考えられたものではありません。何のとりえもないし、おまけに一人前の仕事もできない身障者です。ここの皆さんは、世間から先生と呼ばれて、それぞれ特殊な資格や技能をもっていらっしゃる。わたしはカテキスタの資格さえなくて、聖堂守りをさせて頂いたのがやっとの人間です。やはりいちばん罪深い者だからこそ、このような償いのわざがわたしに与えられたので、むしろ当然だ、とおもっていました。
 ですから、傲慢になるな、とおっしゃる司教様の前にひれ伏して「この罪びとのためにお祈りください!」としんそこから叫びたい気持ちでいっぱいになりました。
 やっとの思いで、今後もお導きとお祈りをお願いすると「はい、わかりました」と、あたたかいお言葉をくださいました。それで、平安と感謝にみたされて、おへやを出たのでした。
 もっとも、考えてみると、あの一連のふしぎな出来事に遭って以来、心はいつも自分を責めるきびしい反省になやみながらも、魂の奥底には、ほのかな光のような平安がただよっているのを感じていました。これもひとつのお恵みだったのでしょうか……〉

* * *

 あらためて指摘するまでもなく、このように、すべて自分の罪のため、と考えていた姉妹笹川にとって、聖母像の掌に同じ傷ができるなどとは、夢にも想いつかぬことであった。もしも、天使の予告によって、いささか心の準備が与えられていなかったなら、受けた衝撃はあまりに大きく、混乱におちいるほどであったかもしれない。
 その天使の予告も、今あらたに吟味してみれば、いかにも姉妹笹川個人を超えた、重大な意味をふくんでいるごとくである。「あなたの罪のみでなく、すべての人の償いのために祈ってください。今の世は、忘恩と侮辱で、主の聖心を傷つけております。あなたの傷よりマリア様の御手の傷は深く、痛んでおります。……」
 たしかに、この時までは、聖櫃からの光と言い、天使の礼拝と言い、彼女のみ与えられた示現であった。いま、天使に促されて拝しに行った聖母像から、まず思いもかけぬお言葉を耳にした。これも一応姉妹笹川なる修練女へのはげましと祈りの指導、とも受け取れるが、同時に一個人を超越した重さとひろがりをもつ呼びかけが感じられる。「……人々の償いのために祈ってください。……教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。……」
 こうした促しは、やがて来るさらに重大な警告の前おきのようなひびきをもっている。

 つづいて示されたのは、木彫りの掌のなま傷という、驚くべき、しかも信仰のあるなしにかかわらず誰の目にも見える、客観的現象であった。これはあたかも、その神秘な印章を以て、“お言葉” の超自然的な真実性を捺判されたような感がある。
 姉妹笹川が、驚愕とともに、自分の思いわずらいを忘れ、“これは対へんなことになった! ” と緊張したのも、うなずける。“罪の懼[おそ]れというせせこましい考えにちぢこまっていた心が、すこし広げられ、浄められる気がした。それに、自分ひとりの肩には重すぎる荷を、姉妹一同も負うことになったようで、どこかホッとする思いもあった” と述懐している。事実、天使と聖母のお声は、彼女にだけ聞こえた。これはいわゆる “気のせい” と、一蹴されても仕方のないところである。しかし、告げられた “御傷” の現象は、一同の目に示されたのである。

 後に、カトリック・グラフ誌にこの事実が報ぜられた際、読者の中から “偽造である” とか “捏造もはなはだしい” との批判の声があがった。それは、自然の常識の立場からみて、普通には起こりえないことと思われたからであろう。しかし、神の能力は、人知を超えるものである。聖書を引くまでもなく「神には何一つおできにならないことはない」(ルカ1・37)からである。神の力が、人間的限界を超えて、自然界に現れるとき、それを奇跡という。理知の納得を得ずとも、否みえない現実として、人の目を屈服せしめるのである。
 また、神よりの何らかのメッセージがある場合には、そこにまず聖書の教えとの一致がみられるはずである。その上で、さらにふさわしい客観的なしるしとなる奇跡が示される。
 この聖母像の場合は、人間的な働きかけは絶無という状態であった。
 それを否定するために、姉妹笹川の “超能力” という説が創り上げられた。彼女が超能力を用いて、マリア像の掌に傷をつけた、とか、自分の血液を “転写した” などという説明である。これは実地に調査することもせず、ほしいままに組み立てた、机上の論断であった。

 ここでついでに指摘しておけば、全聾の姉妹笹川が、天使と聖母の呼びかけを、はっきりと、“美しい声” として耳に聞き取ったことも、ふしぎである。
 読唇術を会得した彼女は、日常の会話に不自由はなかったが、人の音声どころか、いっさいの物音に耳はとざされていたのである。独特のカンのよさから、相手の唇をとりわけ注視することもなく、ふつうに相対して言葉を読み取るので、人はつい必要条件を忘れうしろ向きで話をつづけたりして、彼女をあわてさせたりした。唇の動きがなければ何の信号も捕えられぬ、全くの音響不在の世界に住んでいたのである。
 その耳に、天界からの美しい音だけは、はっきりひびきを伝えた。つまりは、空気や鼓膜の振動などという、物質の条件に支配されぬ世界との交流だからであろう。

 異常現象を目にした、姉妹一同の反応は、どうであったか。前回に、参考として引いた “証言” には、一様に敬虔なおどろきと、修道女らしい反省がみられる。だが、彼女らとて、ふつうの理性をそなえた人間である。まず、目を疑い、とまどいを感じたのは、自然であった。
 たとえば、会長代理の姉妹Iは、いちばんの年長でもあり、世間での生活も長く、良識ゆたかな人間である。報告を受けて、聖母像の掌を検分したとき、さほど動揺を示さなかった。が、突然両手をふり上げ、ガバとひれ伏しつつ「わが主よ、わが神よ!」と叫んで、かたわらの姉妹たちをおどろかせた。
 後日の説明によれば──(この傷は、だれかがいたずらに、マジックペンででも描いたのだろう)と思った瞬間、中央の小さい穴から血が噴き出てきた。思わず、あのトマの叫びが口から出た。御復活を疑って主に御傷を示されたあの弟子のように、畏怖の念にうたれて──ということであった。
 他にも、同様の経験を告白した姉妹がいた。
 こうなると、数人が同時に目撃した現象を、錯覚とか幻覚で片づけることはできない。しかも、一瞬の出来事ではなく、日に何回も見直すこともされたのである。また “生きている傷” のごとく、その折々に多少の変化さえみとめられたのである。

 ともかく、長上が、この異常な経験に関する語り合いを、とりあえず禁じたのは、賢明な処置であった。超自然の現象にしても、それがただちに神の御意志を意味するものとは限らぬ。他の何らかの神秘な力の干渉に由るものか…軽々しく断を下せぬ事柄だからである。
 ただ、各人がひそかに感じていたように、この現象が、これだけのこととして、一時少数の姉妹たちを仰天させただけで、過ぎ去ってしまうものとは考えられない。たしかに “何か重大なこと” が、迫りつつある、との姉妹笹川の予感は、根のないものではなかった。
 これらの過程は、やはり、一つの周到な準備とみるべき段どりだったのである。

つよまる異常現象

 七月二十六日、木曜日。
 この日は聖母マリアの母聖アンナの祝日であった。午後五時からのミサで、姉妹Y・Iの誓願更新が行われるはずであった。その喜びにともに胸をはずませていたのは、かねて相談相手に任じられていた姉妹笹川だった。
 午後三時過ぎ、姉妹Y・Iが姉妹笹川の部屋に来て、目上を探しているがどこにも見あたらない、という。
 こちらはすぐ思いついて、聖堂に行ってみた。目ざす当人は聖母像の前にひざまずいて、司教と姉妹Iの間で熱心にロザリオを唱えていた。ちょっとためらったが、そばに行き、探しあぐねている人のことを伝えた。ふり向いた姉妹Kの眼に、涙があふれている。「またマリア様の御手から血が流れているの。きょうのは、前よりたくさん出てきて、濃くて、ほんとに痛々しいの。あなた、わたしのかわりに祈っていてね」と言いおいて、席をゆずるように出て行かれた。
 のぞいて見るまでもなく、おん手のくぼみに、鮮血が、こんどは流れの筋でなく、小さな溜りをつくっているのが、目を打つ。司教のそばに進むどころか、思わずあとずさりして、自分のいつもの座にひれ伏してしまった。こんなにまで、おん血を流されるとは! ……
 ようやく頭を上げると、姉妹Iが顔をふり向けて、唇の動きを示されたので、心を引きしめてロザリオの祈りに加わった。
 とたんに、自分の左の掌の傷も、うずきはじめるのを感じた。これまでは毎木曜日の夕の聖務の時から痛み出していたのに、今日は少し早いが、といぶかりながら、祈りに心を向けようと努力した。
 五時過ぎ、ミサが始まった。ちょうど姉妹Y・Iが誓願更新の祈願文をとなえているとき、手の傷は突如、これまでにない烈しい激痛を姉妹笹川にもたらした。それはあやうく悲鳴を上げかけたほどの痛さであった。掌の傷口から手の甲に向けて、ふとい錐でもさし込まれるような、おそろしい疼痛であった。痛みにつれて血もふき出てきた。全身の力をふりしぼって、やっとこらえたが、額にあぶら汗がにじんでくる。…… “マリア様、助けてください! ” と思わず胸のメダイに取りすがる気持ちで、イエズスの十字架のお苦しみを必死に思い偲んだ。
 最も堪えがたかった激痛の時は、時間としては一瞬のものであったかもしれないが、痛みの烈しさからは、とても長い忍耐のひとときに感じられた。
 聖体拝領の際は、そのころの習慣で、姉妹たちは手でお受けしたが、彼女はどうにも手を開くことができず、直接口に拝領した。
 晩の聖務は、彼女が先唱の担当であったため、人知れず苦しい努力をつづけた。イエズスの御受難の思いを支えに、ようやくつとめたが、終わった時は全身汗びっしょりになっていた。
 夕食は姉妹Y・Iを祝って、ささやかなパーティーであった。楽しい雰囲気をこわさぬよう、人に気づかれぬよう、手をかばいつつ食事をしたが、聖堂にいた時ほどの痛みはなくなっていた。
 食後、司教に呼ばれ、その後の様子をたずねられた。さっそく、手のあらたな痛みと今のミサ中のことをお話しした。傷をお見せしようと手をさし出しても、指をわずかに動かすにも、とび上がりそうな痛みが走る。ようやく、半分握った形に開けた手を、司教はのぞきこんで、「ああ、痛そうですね。これは、手の甲まで突き抜けるかもしれませんよ」と、いたわりの眼を向けられた。
 この晩は、さきの初金曜の夜と同様に、痛みで一睡もできなかった。寝床にすわってロザリオを唱えたり、手をかばいながら部屋を掃除してみたり……。体を動かすことでもしてまぎらさなければ、居たたまれないくらいであった。
 ようやく夜が明け、何かにすがるように聖堂にいそいだ。よく声の出ないまま、一心に聖務を唱えた。
 七時から始まったミサが “聖変化” にまで進んだとき、手の痛みはまた耐えがたい烈しさを加えた。血がふき出てきたようで、疼痛は手の甲まで突き刺さってきた感じであった。
 はてしなく長く思われたミサが終わり、聖堂を出て手を開いてみると、血がかなり出ていた。拭き取ることをせず、すぐそのまま司教に示した。通りすがりの姉妹Y・Iも、痛ましげにのぞきこんだ。

 この手の傷について、聖母像の御手に現れた傷と、全く同様なものであったかどうか、実際に見比べなかった者には、もう少し説明がほしいところである。姉妹笹川は次のように補足する。
 〈傷が十字架の形をして、中央の穴から血が出ることは、まったく同じでした。ただ、御像の御手は人間の手よりずっと小さいので、十字形も小型になります。中央の穴も、ちょうど木綿針のメドぐらいの大きさでした。わたしのは、錐で開けられた穴の大きさで、ひどく痛む最中は、あのギザギザのある錐を手の甲に向けて揉み込まれる感じで、たまらない痛さでした。すると穴から血がふき出てきますが、あまり痛くてふき取ることもできず、半分握った形の指の間からそっとガーゼをさし込んで、吸いとらせるのがやっとでした。
 マリア様の御手に流れ出た血は、ふしぎなことに、一度も下にしたたり落ちたことはありませんでした。『見るみる噴き出てきた』とKさんが、司教様とIさんとひざまずいて、涙ながらに告げられたあの時も、血は御手のわずかな凹みに溜まっていて流れ落ちませんでした。御像は手のひらを下に向けて開いておられるのに。……そういえばわたしの場合も、お聖堂で祈っているとき、掌の中に血がたまったことは感じても、それがしたたり落ちてゆかをよごすようなことは、一度もありませんでした。
 また、この傷が、木曜と金曜にだけ口を開けて痛みだすのもふしぎなことでした。二十六日のいちばん痛かったときも、司教様は、これ以上ひどくなるようだったら病院に行ったほうがよい、とおっしゃったのですが、土曜になると治っていました。傷口は、中央の穴のところが、気のせいか、うす赤い色が残っている程度でした〉

 このように、キリストの御受難にゆかりのある木曜・金曜にだけ神秘な傷が現れるのは、いわゆる “聖痕” の現象によくある例である。土曜になれば、幻のように消え失せるが、それがどこから来たにせよ、傷の痛みそのものは、おそるべき現実感をもって襲うのであった。「あの痛さは、とうてい忘れられません」と、この話になると彼女は今でも身ぶるいを抑える顔になるのである。

 ともかく、この金曜の午前中も、部屋にもどって気をまぎらそうにも、好きな編み物はおろか、読書もできぬ有様だった。ただ十字架を仰ぎ、ひたすら聖主の御苦難の黙想に、時をやり過ごした。
 午後の自由時間に、前夜一睡もしなかった体を少し休めようと、横になってみた。が、痛みは一層増してきて、寝ても起きてもいられぬほどになった。
 午後二時半、もの凄い激痛がおそってきた。もはや居たたまれぬ思いで、逃げるように、何かにすがるように、夢中で聖堂に走り込んだ。
 堂内では、一人の姉妹が祈っていた。
 痛さに押し倒されるように、姉妹笹川は床にうつぶした。
 そのとたん、あの守護の天使の声が、心の耳にひびいてきた。
 「その苦しみも、今日で終わります。マリア様が御血を流されるのも今日で終わりますよ。マリア様の御血の思いを大切に、心に刻んでください。マリア様が御血を流されたのには、大事な意義があります。あなた方の改心を求め、平和を求め、神様に対する忘恩、侮辱の償いのために流された尊い御血です。聖心の信心とともに、(主の)聖血の信心も大切に。すべての人たちの償いのために祈ってください」
 苦痛をこらえて挙げた顔に、いかにも優しいいたわりのまなざしがそそがれている。が、畏れおののきに口がこわばったようで、返す言葉も出ない。
 つづいて、
 「御血が流されることは今日で終わることを、あなたの長上に話しなさい。あなたの痛みも今日で終わりますよ。今日のことを長上に話しなさい。長上はすべてのことをすぐ解ってくれます。そしてあなたは長上の御指示に従いなさい」
 と、ほほえみのうちに語り終えて、姿を消された。
 姉妹笹川は、あわてて、何か申し上げればよかったと心残りを感じたが、そのお姿と同時に手の痛みも消え失せたことに気づいた。あれほどの激痛が、まるで嘘のように去り、傷口の血も、別の手のように影もとどめていない。
 いそぎ聖母像のほうを眺めると、その御手にはまた傷口から血が流れているようであった。あらたに畏れの念と申しわけなさに胸がつまり、近く寄って検分するほどの図太さがもてない。ちょうどまだ傍で祈っていた姉妹にそれを確かめるよう依頼して、ひとまず自室へ戻ろうとした。
 玄関の通りすがりに、かねて注文してあった絨緞が届いた、と知らされる。係の姉妹とともに二階へはこび、部屋に敷いているところへ、先の姉妹が聖堂からきて手を貸してくれた。やがて二人になったところで、御像のことをたずねてみた。やはり、御血があらたに出ていた、という。
 「その血を、司教様にお見せしようとおもって、人さし指につけてきたけど、ここで手つだっているうちになくなってしまったから、行かないでおくわ」
 との気軽な報告に、こちらは唖然として、返す言葉もなかった。
 司教様に御血をお見せしそこねたことにも、気がとがめた。が、部屋にこもって書き物をしておられる様子に、自分と姉妹の失敗などの報告でおさわがせするのもはばかられ、心のうちでお詫びしつつ、この日はそのまますませた。

 ここでひとつ、注釈を加えておきたい。
 聖母像の掌の出血現象にたいして、姉妹たちのとる態度は、当然、各人各様であった。同じ信仰をもっていても、まず神秘への畏敬の念に打たれて平伏する者もあれば、実証的精神にかられて、御手の部分をにぎり近々とのぞきこむ者もある。目上の姉妹Iなどは、大きなルーペをかざして、丹念に検査する。こういう態度は、責任者として義務感から取られたもの、と解釈されるが、姉妹笹川には到底できることではない。まして、御血を指につけて取るような、無邪気というか、大胆な仕草は、彼女には思いもよらぬことで、「とてもできない、こわくて」と身をすくめて言う。
 ついでながら、彼女の口ぐせの「こわくて!」は、恐怖の意味ではない。誤解を招かぬため再言するが、これは生地の方言であって「畏れ多くて」の意味である。たとえば、高貴な人に近づく場合、「私など、とてもこわくておそばへなど…」というふうに用いる。
 姉妹笹川がこの口ぐせを連発するのは、それだけ神秘への畏敬の念が深い証左であろう。一姉妹の指につけて来た御血が、部屋の敷物の手つだいの最中になくなった、と聞いて以来、“こわくて” いまだに絨緞の掃除は心して行う、という。
 聖霊の七つの賜の第一に “敬畏” が挙げられている。姉妹笹川が、まずこの賜を充分に受けていることはたしかと思われる。

 〔参考〕
 《姉妹Y・Iの “出血現象” に関する証言》
 一番印象に残っているのは、七月二十六日(木曜日)、午後二時過ぎ、祭壇の花を飾り、ミサの準備をしているときに気がついたのですが、今までになく大きな血のかたまりみたいなもの、黒みがかった赤色が像の手に見られたことです。すぐに台所にいたT・Kさんに知らせ、確かめてもらい、三時頃には司教様をお呼びして見ていただきました。
 七月二十七日(金曜日)の朝、玄関で司教様に、こんなふうに血が出るんですよ、と言って手のひらをお見せしている笹川さんを見ました。偶然の通りがかりだったので、ちらりと脱脂綿ににじんでいる血を見ましたが、それは鮮血でした。七月中、特に木曜日の晩から金曜日にかけて傷が痛み、それもキリで刺されるような痛みで、血が流れていたようです。そのため、食卓の後片づけを彼女は免除されていました。

* * *

 今回は、聖母像の掌の出血が、ほそい筋ではなく、血の溜りとしてみとめられたこと、また姉妹笹川の手の傷も、ほとんど堪えられぬほどの痛みと、それに伴うかなりの出血があったことに、注意をうながされる。
 この現象は、傷が十字架の形をもってすでに暗示しているごとく、キリストの受難との深い関連を強調するものと考えられる。十字架の奉献に、単なる感傷ではなく、実際にわが身に痛みをおぼえるほどの同感(Com−Passion)をもってあずかる重要さを、示唆するごとくである。日常生活のすべての苦しみを、キリストの苦難に合わせて献げる意義を、あらためて教えられるようである。
 姉妹笹川が痛みに堪えかねて、聖堂で伏して祈っていた際、力づけるごとく現れた例の守護の天使は、聖母像から流された血の意味に注意を向けさせ、「マリア様の御血の思いを大切に、心に刻んでください」とさとす。「マリア様が御血を流されたのには、大事な意義があります。あなた方の改心を求め、平和を求め、神様に対する忘恩、侮辱の償いのために流された尊い御血です。…」と念入りな説明がつづく。
 神は、木彫りの像の出血という奇跡によって、原罪の汚れなきマリアの御心の深い痛みを、血を流すほどの苦悩として、表明されたのである。
 二千年の昔、聖母マリアは、生後四十日の幼いイエズスを神殿に奉献されたとき、義人シメオンから「この子は逆らいのしるしとして立つ人であり、あなたの心も、剣で貫かれるでしょう」との予言を受けた。(ルカ2・34)
 その言葉通り、聖母の心が剣でさし貫かれて血を流すほどの苦しみを味わったのは、言うまでもなく、十字架のもとに立って、御子イエズスの死苦をともにされたときであった。
 神の子キリストの十字架上の苦しみを招いたのは、世界開闢以来の人類の大いなる罪であった。現代においても、われわれの犯す罪とキリストの磔刑の死と聖母の御心の血を流す苦痛とには、一つの三角形をなす関連性がある。それゆえに天使は “マリア様の御血の大事な意義” に、あらためて注意をうながすのである。
 しかも姉妹笹川は、手に刻印された傷のかつてない烈しい痛みに、感銘も身に泌みて焼きつけられている。錐の穴ほどの傷でも、あぶら汗を流す痛さであった。“小指ほどの太さ” と伝えられる釘を両の手足に打ち込まれる十字架上の激痛は、どれほどであったことか……。
 姉妹笹川の体験を通じて、われわれも、キリストの十字架の死苦と聖母の御心の苦痛を、身に泌みて思いしらねばならぬ、と教えられているのである。われわれも、心を改めて、キリストの贖いとそれに参与する聖母の血を流すほどの心痛に、感謝と遷善の決心をもって応えねばならぬ、とさとること、そこにこのような現象を示された意義がみられるのではなかろうか。
 聖母像の出血は “神に対する忘恩、侮辱の償いのために流された尊い御血” であるとも、天使は解説している。これは、キリスト信者以外の人々の罪ばかりではなく、まず、神の恩恵をもっぱらほしいままに蒙っているわれわれ信者の罪過にかかっている事柄であろう。
 だが、この御血が流されるのも今日で終わる、と告げたのち、天使は姉妹笹川をいたわるように、彼女の痛みも今日で終わる、とほほえんでくり返した。
 そして事実はその通りになった。マリア像の手の傷痕は、あと二ヵ月ほど残っていたが、もう血の出ることはなかった。姉妹笹川の手の傷も、七月二十七日を限りに治り、痛みも消えた。治ったあとは、何の痕跡も残らなかった。
 イタリアのカプチン会のピオ神父は、二十世紀の聖痕者として有名だった。彼の場合は、キリストさながらに貫かれた両手足と脇腹の傷から出血する痛ましいものであったが、その五つの傷口は、死後たちまち消え失せて人々をおどろかせた。息を引き取って十分後にとられた写真の手や足のうらは、全く白くすべすべしている。姉妹笹川の傷ははるかにささやかなものであるが、人の意表をついて現れかつ消滅するところに、同じ神秘の特徴をみるのである。

 ともあれ、マリア像の “出血現象” は、いたずらに人の好奇心を煽るためのものだったはずはない。これから与えられるメッセージの重大性にかんがみ、そのためまず心の準備をととのえさせるための、視覚を通じての強烈な訴えとして、はじめて意義が了解されるのである。

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