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第四章 最初のお告げ

 姉妹笹川は、烈しい手の痛みに堪えつつ、これまでのかずかずの試練の意味と、それを通して導かれた恩恵を思い返すうち、聖旨への信頼の念が湧き起こり、ようやく一つの支えを得た心地になった。それでも、くり返し口にのぼる祈りは「主よ、あわれみ給え。わが罪をゆるし給え」であった。襲って来る激痛に、起きてみつ寝てみつ、一睡もできぬまま過ごしていた。そして夜はふけ、午前三時ごろ……起こったことは、このたびも本人の説明で追ってみたい。
 〈また新しくガーゼをとりかえて、祈っていたときでした。ふいにどこからか、話しかける声がしました。
 「恐れおののくことはない、あなたの罪のみでなく、すべての人の償いのために祈ってください。今の世は、忘恩と侮辱で、主の聖心を傷つけております。あなたの傷よりマリア様の御手の傷は深く、痛んでおります。さあ行きましょう」
 その声とともに現れたのは、あのお祈りを一緒に唱えてくださった美しい女の方でした。
 わたしの右肩に寄り添うように立たれたそのお顔を、いくらか馴れたせいか、初めて見返したわたしは思わず「お姉さん!」と呼びかけてしまいました。数年前に洗礼を受けて亡くなった姉によく似ているように見えたからです。
 するとその方は、やさしくほほえんで頭を軽く振り、
 「わたしは、あなたに付いていて、あなたを守る者ですよ」
 と言いながら、部屋を出るように促す身ぶりを見せて、ちょっと姿を消されました。 あわててねまきを服に変え、ドアから出たところで、お姿はまた現れ、いくらか先立つ感じで導かれます。まるで手を引かれている幼な児のような安心感をもって、暗く長い廊下をすばやく通りぬけ、聖堂に足をふみ入れた瞬間、頼もしい灯火のように身に添っていた導き手は、見えなくなっていました。
 わたしは、ひとりで御祭壇にむかって礼拝し、それから聖母の御像の方に進みました。“御手の傷が深く、痛んでいる” と告げられた言葉が、耳にひびいているようで、御手を拝見しなければ……と思ったからです。
 当時御像は、御祭壇の右手うしろの隅に安置されていました。私たちの居る畳敷きから一段高くなる敷居に足をふみかけようとした時、突然、木彫りのマリア様が生気を帯びて、何か話しかけられるような気がしました。見ると御像は、目もくらむほどの光につつまれています。おもわずその場にひれ伏した瞬間、極みなく美しい声が、わたしの全聾の耳にひびいてきました。

 「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう」

 そして「御聖体……」と、会の祈りを始められると、あの導き手もまた脇に姿を現して、声を合わされます。わたしは夢中で、ひれ伏したまま「……のうちにまします……」と唱えかけるのにかぶせて、御像からのお声は「……まことにまします……」とつづけられます。そして、まごつくわたしに教えこむように、「これからは “まことに” と加えなさい」とその語に力をこめて仰せになります。〔注 創立者伊藤司教の起草した “聖体奉仕会の祈り” では単に「御聖体のうちにまします…」となっていた〕
 わたしは「はい」と答えたかどうか、ともかく無我夢中で、天上から来るような美しいお声に合わせ、かたわらの優しい声に助けられて、会の祈りを唱えました。 「御聖体のうちにまことにましますイエズスの聖心よ、一瞬の休みもなく、全世界の祭壇の上にいけにえとなられ、おん父を賛美し、み国の来たらんことをこいねがう至聖なる聖心に心を合わせ、わが身も心も全くおんみに捧げ奉る。願わくは、わがこのつたなき捧げを受けとり、おん父の光栄と魂の救いのために、聖旨のままに使用し給わんことをこいねがい奉る。
 幸いなるおん母よ、おんみのおん子より引き離すを許し給わざれ。おんみのものとして守り給え。アーメン」
 唱え終えたところで、美しいお声はまた仰せになりました。

 「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ」

 お言葉が終わり、ひと息の間をおいて、こんどは傍の天使が(長上が以後そう呼ばれるのでそれに倣わせて頂きます) “すべての民の母の祈り” を始められたので、わたしもすぐ「おん父のおん子なる主イエズス・キリストよ……」と声を合わせました。 この祈りも唱え終わって、沈黙と同時にそっと頭をもたげてみると、すべての輝きはもう消え失せていました。天使の姿もなく、聖母の御像もいつもと変わらぬ様子に見えました〉

 以上の説明のうち、まず注目したいのは、例の神秘な導き手の発言である。それも、姉妹笹川の想像でないしるしに、彼女の思いついた天国の姉の出現への呼びかけをはっきり否定してから、いわば自分の身分を明かしたことである。「あなたに付いていて、あなたを守る者」といえば、われわれが教理でその存在を教えられている “守護の天使” 以外の何者でもない。今後はそう名指してよい、と公認されたようなものである。
 また、姉妹笹川がようやくその出現に馴れて、相手を見返し、思わず「お姉さん」となつかしげに呼んだことも、ほほえましい。これは、瓜ふたつというような容貌の似通いよりも、保護者的な優しさの感じが、より強く連想を呼び起こしたのであろう。
 姉妹笹川の姉なる人は、彼女がこの山に来る八年前に、胃ガンで亡くなった。入院中は、彼女が母親とともに専心看護にあたった。病人の夫から頼まれて、“神様の話” を聞かせ、間もなく洗礼に導いた。幼い三人の子を残すのが気がかりな姉は、夫とも仲のよい姉妹笹川に、自分の主婦の座を継いでほしい、と願ったが、こちらは、今までの恵みを感謝するため、神に身を捧げる決心を告白した。姉はすぐ了解し、「天国に行ったら、修道院に行けるように祈ってほしい」との妹の頼みも聞き入れた。そして、「もし修院へ入れたら、天国へ行ったしるしね」と言い合ったのであった。
 もともと姉のほうは頑健なたちで、幼い時から病弱な妹をよく助けていた。しつけのきびしい両親から与えられる力仕事などは、そっと肩代わりし、陰に日なたにいたわり見守ってくれたのであった。
 このようないきさつを思えば、優しい保護者の出現に、姉のおもかげを見たのも、うなずけるのである。
 それゆえ、天使の容貌の説明を求めてみても、あまり定かではない。「姉と同じような丸顔で、やさしい感じで……」という程度のことである。
 服装も、いたって漠然としている。「雪のように白く輝くものに蔽われているような姿…」としか言えぬらしい。
 ただし、その輝きも、あの話しかけられた時の聖母の御像の光輝とは比較にならない。こちらの強烈さは射すくめるようで、威光に打たれてたちまちひれ伏し、お顔の変化など、あったとしても、とても仰ぎ見るどころではなかった。ということである。 ところで聖母のお声はどうであったか。これは最も表現しにくいらしい。神秘な美しさのほどを言いたいあまりに、たびたび「極みがたい声」などと独自な形容がなされたが、これは思うに「何とも究めがたい…」と「極みなく美しい…」との方言的混用であろう。 先ごろ、司教の紹介で訪れたある外国人との一問一答で、やはり “聖母のお声” が問題になった。「今まで聞いたこともない、この世のものとは思われない…」と言葉に迷う彼女に、相手は「天使の声と比べてどうですか」と問い直す。
 「どちらも美しいけれど、マリア様のほうがもっと神々しくて…」
 「その違いは、例えてみればどんなふうですか」
 しつこく迫られて一瞬考えた姉妹笹川は、こう言明した。
 「たとえてみれば、天使の声が “歌” とすると、マリア様のお声は “祈り” といえます」
 外人は大きくうなずき「大へん美しいたとえです。よく分かりました」と満足していた。
 さて、本題にもどり、先刻のつづきに移ろう。
 一切の輝きが消え失せ、我に返った姉妹笹川は、御像の手を調べることを思い出した。立ち上がろうとして、そばに姉妹が一人祈っているのに気づいた。時計はもう五時十分を指してしる。部屋を出たのは午前三時半ごろと思うのに、いつの間にか朝の聖務の時刻になっていて、姉妹たちが次々に入堂して来た。
 朝の祈りのあと、こんどは目上に頼んで御象を見てもらおうかと思ったが、これから教会へ御ミサに行くのに、気を散らさせることになってもと思い返した。ひと目見たい心をおさえ、自分の手の痛みをおしかくして、姉妹たちと車に乗った。
 司祭の居ない山の修院では、初金曜のミサも、町の教会か他の修道院に出向かねばならなかった。この日は市内のS修道院であずかった。聖体拝領の際、姉妹笹川は一瞬ためらったが、痛む手を包帯のまま開いて、他の人と同様に拝領をすませた。
 帰院してからも、姉妹たちの前で御像をしらべに行く勇気がもてない。それに、時がたつにつれ、何かが起こっているような胸さわぎもつのり、自分で近づくのは僭越なような、畏怖の念も増してきた。とうとうたまりかねて、目上の姉妹Kに “聖堂に行って御像の手に傷があるか、見て頂けないか” と頼んだ。司教に告げる前に他人に語ることは気になったが、姉妹Kは司教に任命された修練長であり、またのちに報告するにもまず事実をたしかめておく必要がある、と思ったからであった。
 自分の修室でしばらく待ったが、何の音沙汰もない。ついに待ちきれずに、聖堂へ行ってみた。
 聖母像の前にただひとり、姉妹Kが跪いて両手を合わせている。こちらに気づくと、涙のあふれる眼でふり返り、手招きして、御像の右の手をさし示す。
 姉妹笹川は、のぞきこんで、ひと目見るなり、電撃を受けたようにその場にひれ伏した。
 ほんとうに…あった! 木彫りの小さな掌の中央に、自分と同じ形の傷が十字に交差しており、中心の穴から血が痛々しくにじみ出ている。
 (これはいったいどうしたことでしょう)と畏れおののく思いにひしがれて、涙も出ない。
 「人々の償いのために祈ってください」とおっしゃった夜明けのお言葉が、耳によみがえる。(神に対する忘恩と侮辱をお悲しみになるあまりのマリア様の御傷か、わたしたちの改心と償いを求めてのお苦しみのしるしなのか…。今こそすべてをゆだねて聖母におすがりし、祈らねばならない! )と自分の心に言いきかせた。
 一方姉妹Kは「これはやはり目に見えている確かなことだから、ほかの姉妹たちにも、改心のために話したほうが…」と言い残して立ち去った。やがて姉妹T・Kが現れたが、御像の傷を見るなり、よほど驚いたとみえ、ひれ伏してしまった。
 夕刻には、それぞれの仕事から帰って来た姉妹たちに報告された。姉妹笹川も「手の傷をみせてあげなさい」と命ぜられ、痛む手を従順に差し出した。自分からは何も告げず、「罪深いわたしのためにお祈りください」と心から願ったのであった。

* * *

 この初金曜日の明け方の出来事に関しては、一つの事実を強調しておきたい。それは、姉妹笹川が手の痛みのため一睡も出来ずにいた、つまり肉体的にも精神的にも全く目ざめた状態にあった、ということである。理性も意志も充分にはたらいており、夢遊病的境地とは程遠いものであった。だいいち、時にあぶら汗の流れるほどの激痛は、そんな朦朧状態を許しはしなかった。
 出現した守護の天使とのやりとり、聖堂に導かれる有様など、実に明瞭である。
 聖母の御像の前にみちびかれ、神秘な光輝につつまれたお姿から、世にもうるわしい声のお言葉を受け、聖体奉仕会の祈りをともに唱え、“すべての民の母の祈り” を天使とも唱和する……これら一連の出来事は、夢うつつの境で起こりうるものではない。
 そして、たしかに超自然的な現象であり、神の干渉がそこにあることを示すために、マリア像の右手に十字の傷の刻印を、目に見えるしるしとして与えられたのではなかろうか。
 後日、ある神学者が、姉妹笹川のやがて受けた聖母からのメッセージを否定するために、これらすべてを、精神病的錯乱か夢遊病の発作で解釈づけようとした。聖母像の傷も “超能力による” という曖昧かつ便利な用語をもって、簡単に片付けた。
 しかし、後にさらにふれることになるが、姉妹笹川にそのような病歴はなく、秋田大学における精密検査の結果でも、過去現在将来にわたって、精神病の可能性すらない、と確証されている。

 さしあたって考えられるのは、今回の聖母からの思いがけぬ呼びかけは、姉妹笹川に対する、いわば最初のあいさつであった、ということである。重要なメッセージをつたえる前に、彼女があまり驚いて度を失ったりせぬための、準備段階であったと思われる。先ず、献身の生活に入ったことをほめ、耳の不自由をいたわり、みずから範を示して祈りにみちびく、など、いかにも天のおん母にふさわしい優しい配慮が感じられるではないか。

── 目撃者の証言 ──
(その後1年以内に記録されたもの)

 《七月六日に関する姉妹Kの証言》
 あの日笹川さんはいつもより早く起きたようで、わたしが聖堂へ行った時にはすでにマリア像の前にひれ伏していました。その後町の修道院の御ミサに与ってから帰ってくると、玄関で笹川さんが次のように申しました。「マリア様の御像に何か変わったことがないか、見て頂けないでしょうか。今朝、マリア像について言われたことがあり、心配なのです」
 わたしはそれを聞いてすぐ聖堂へ行き、聖母の木彫の像の前に立ってみると、右の手のひらに黒々とした十字の印がついていました。それは細いマジック・ペンで描いたようにも見え、タテ一・五センチ、ヨコ一・三センチくらいのものでありました。〔注 身長七十センチほどの像の小さい掌には、かなり大きく見える傷である〕わたしはとっさに自分の罪深いことを考え、ひれ伏して涙を流し、声を出してゆるしを請いました。
 わたしがあまり戻らないので不審に思った笹川さんが入ってきました。早速その状況を見せましたら、おそれ驚いた様子でした。暫くたってから、わたしはT・Kさんを呼びに行き、その事実を見せ、沈黙を守るように言いました。
 わたしはそれから何回もお参りし、午後三時ごろには、マリア様の御手の十字の印から流れた血が乾いているのを発見し、笹川さん、T・Kさんにも教えました。
 Iさんが町から帰ってこられましたので、ことの成り行きを知らせ、御像の前に案内しました。「これ(十字形の傷)は前からあったのではないか」と聞かれましたのでわたしは「マリア像を二ヵ月かかってデッサンしていましたので、御像のすみずみまでよく知っておりますが、以前にはありませんでした」と証言しました。
 初めて見る人たちは、T・Kさんを含めて、すこし疑い、ためらっているようでした。かわるがわる姉妹たちは見ている様子でしたが、互いに話し合うことは厳禁されていたので、その日の食卓では話題にのぼりませんでした。これが神のお恵みであり奇跡であるとすれば、軽はずみなおしゃべりによって神秘が汚されることを恐れましたし、また司教様によって禁じられていることでもあったからです。

 《姉妹T・Kの証言》
 「聖堂の聖母像の、右の手に十字形の傷ができている。司教様にはまだ話してないけれども、時を移さず見るように」とKさんに言われて、わたしはすぐ聖堂へ行き、聖母の御像の右手を拝見しました。十字形の傷が手に、確かにありました。タテ、ヨコそれぞれ一・六センチから一・七センチ程度、黒のボールペンで記しでもしたかのようなもので、線上に二ヵ所ほど、ちょっと濃い点がありました。いかにも暑いときボールペンのインキがむらになって出てしまったというふうなのです。Kさんが「針の穴のようなところから、血の吹き出るのを見ました」と言われたのは、この点からのことだったのではないか、と思いました。
 自然の目で見ればまるでボールペンで書いたようなものですが、信仰の心でみつめる時に、深くまた遠くから満ちてくる静かな感動がありました。一般に物理的観察の意識が強く働く私ですが、それはそれとして、そのときは信仰の心でひれ伏して、祈らせていただきました。
 いったん食堂に戻り、三十分か一時間くらいたってから再び聖堂に行き、マリア像の前に跪いてみました。今度は御手の傷がはっきり変化していました。十字形の大きさは前と同じでしたが、単にボールペンのにじみのような感じはなく、肉体に彫られた傷のそれでした。十字形の周囲は人間の肌そっくりで一ミリくらいの指紋のような、皮膚の目さえ浮き彫りになっています。この時、手が生きている、と思いました。そして深く驚くとともに、この変化は、信じきれないでいる自分への聖母の忠告ではないか、と強く感じました。
 この日、御手は何回も変化しました。Kさんから「御血が流れました」と知らされ、急いで聖母像を見に行きましたが、血はあたかもその傷口から流れ出たように下方に流れており、まわりにまでにじんでいました。やはり木に血がにじめば、このようなものかと思われるほどでありました。

 《姉妹Y・Iの証言》
 七月の初金曜日午後六時頃、勤め先の学校から帰宅すると、Kさんがマリア像の手の傷について教えてくださいました。近寄って拝見してみると、木像の右手のひらの真ん中に、二センチから一・五センチくらいの長さで、はっきりと十字架の形に鋭利な刃物のようなもので傷が刻まれていました。以前、その手の部分に十字架の印がなかったことは確かです。私は五年くらいずっと香部屋の係を担当していましたので、マリア像を布でふいた経験もあって、間違いはないのです。
 その晩、また聖堂で、笹川さんの左手の傷を見せてもらいました。それは赤く十字架の線で、痛そうに思われました。

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