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第三章 掌の傷

 六月三十日土曜、司教は一週間の滞在を終えて新潟へ帰るにあたり、姉妹笹川を部屋に呼び、“この八月に誓願を立ててもよいから、その準備をしなさい” と告げられた。思いがけぬ指示に、彼女は耳を、というより目を疑って問い返したが、やはり同じ言葉が唇に読み取れた。
 「このお許しが出たことは、喜びの声を上げたいほど、うれしかったのです。いよいよキリストに召された者として、自分のすべてを公に主にお捧げできるということは、言い知れぬ喜びでした。司教様にお礼を申し上げるのが精いっぱいでした」と日記にその感動をしるしている。

 ところで、実はこの前々日、木曜の夕方から、姉妹笹川にはまた一つ、ふしぎなことが起こっていたのだった。
 聖務の祈りの間に、左の手のひらがなんとなく疼きはじめた。これまで経験したことのない痛さで、気になった。痛みは翌日になってもおさまらず、ミサの間もつづき、とくに聖体礼拝の際にはげしく感じた。
 礼拝を終え、聖堂から出たとき、握りしめていた左手をそっと開いてみると、手のひらの中央にくっきりと十字架の形のみみず腫れが現れていた。
 これはどうしたことか! 驚愕と同時に、自分はよほど罪深い人間なのだ、という思いに打ちのめされた。
 傷は横が2センチ、縦が3センチほどあり、人並みより小さい彼女の手のひらには、非常に大きく見えた。ただ、痛みは鋭いが、ふつうの傷と全く様子がちがう。刃物などで作れるものではない。もし小さな十字架を強く握りしめたとしても、いくらか凹みが残る程度であろう。これはむしろ十字架の刻印を捺されたように、まっすぐなみみず脹れの線が交差している。色もピンクに近く、一般の傷が呼び起こす嫌悪感よりも、一種の美しさをさえ感じさせる。
 痛みは三十日の土曜になってもつづていたが、とくに烈しくなる気配もないので、ひそかに心を痛めながらも、ひとりでひたすら耐えていた。
 ところが司教の帰られたあと、なんとなく左手をかばう様子を姉妹Kに見とがめられた。そこでおずおずと開き見せ、「どうしてこんなものが出たのでしょう。きっとわたしが罪びとだからでしょう!」と言った。姉妹Kは驚き、つぶさに眺めながら、「なんと神秘な色!」と思わずつぶやいた。そして、「なぜ司教様に、お帰り前にお見せしなかったの」ととがめた。それにたいしては「こわくて…」と答えるばかりだった。
 なぜ司教に示さなかったのか。姉妹笹川自身も、あとからいぶかり自問している。まず「こわくて」と言ったのは、とっさに適当な語が出なかったからだが、恐れではなく畏れの意味だった。超自然の力を考えずにいられぬ現象だけに、軽々しく口にすべきことではない、という畏れつつしむ気持ちが先に立っていた。またこれまでの聖堂で経験した出来事とは異なり、自分の身に起こった一些事に過ぎない、という気もあって、事々しく報告するのをためらった。さらに、昔から病苦に常に親しんできたため、すべて苦しみはひそかに耐え忍ぶくせがついていた……そんな理由が考えられる、と説明づけている。

 七月五日、木曜日。
 この日も午前八時半から十時までの聖体礼拝の間、姉妹Kと二人でロザリオの祈りをはじめた姉妹笹川のかたわらに “天使” が現れ、ともに祈りを唱えられた。おかげで、感謝と熱意をもって聖なる務めをはたすことができた。
 ついで夕方六時からの祈りの際、聖務の中ほどまで唱えたころ、急に左手に烈しい痛みが走った。こんどは錐でも揉みこまれるような激痛で、おもわず悲鳴をあげそうになった。が、大事な祈りの最中…と必死にこらえ、最後まで唱え終えた。
 聖堂で一人になってから、傷の具合を見ようとしたが、痛くて手が開けられない。外に出てようやく開いて見ると、十字形の中央に小さな穴があき、血がにじみ出ていた。
 すでに夕食の準備ができていたが、とても食事をとる気にはなれない。しかし、姉妹たちの注意をひく結果になって、何事か、という騒ぎになることをおそれ、無理に少量を口にした。食後の片付けだけは、あとを頼んで、自室に引きとった。

 傷は痛みつづけ、とくにえぐられるような激痛がおそう時は、穴から鮮血が吹き出てくる。それを見るたび、自分の罪の深さを思い、キリストの十字架のお苦しみを偲ぶことで、痛みに耐えようとした。が、ともすればくじけそうになる弱さをおそれ、思いついてビーズのバッグ編みの手仕事を持ち出し、いくらかでも気を紛らそうとした。やっと伸ばした左の指にレース糸をかけ、ひと針ひと針に祈りをこめて編みはじめた。祈りといっても、「主よ、あわれみ給え! わが罪を許し給え!」という程度のくり返しであったが。
 どのくらいそうしていたか。ふいに肩をたたかれて、彼女は、とび上がるほどおどろいた。立っているのは姉妹Kで、この夜は姉妹Iと出かけて外泊のはずの人であった。

 その時のことを、姉妹Kは次のように語っている。
 「あの晩は町のある婦人から夕食に招かれ、支部に泊るつもりで出たのですが、どうも笹川さんのことが気になって、山に帰ることにしたのです。すぐ部屋に行ってみると、彼女はベッドに腰をかけて編み物をしていました。わたしの問いに、手をやっと開いて見せて『あまり痛いので編み物をしています』と涙をいっぱいためています。『こうなったのは、わたしの罪が深いからかしら』と心を痛めている様子でした。わたしは、それが聖主からのおくりものであることを直感しましたが、『痛いでしょうけど、聖主のお苦しみを思ってがまんしてくださいね。わたしたちの分まであなた一人に負わせてごめんなさいね』といたわりなぐさめて、目上のIさんを呼びに行きました。
 それから二人でガーゼと包帯で傷の手当てをして、夜中にあまり苦しいようだったら、わたしたちを起こすように、といって部屋を出たのでした」

痛みと反省

 その後の長い夜をどのように過ごしたか。姉妹笹川は回想する。
 〈お二人が “おやすみなさい” と出てゆかれたとき、ちょうどもう九時の就寝時間になっていました。なんとか寝支度をして横になりましたが、痛くてとても眠るどころはありません。床の上にすわってロザリオをにぎりしめ、聖母にお助けをねがい、罪の許しを乞う祈りを一心に唱えました。ときどき、いわば間欠泉のように、烈しい痛みを伴って噴き出てくる血のため、ガーゼを取りかえます。ふき取ればその血がしばらく止まってしまうのも、ふつうの傷とちがうふしぎな感じでした。
 すこし横になって休もうとしても、また痛みにとび起きて、すわって祈らずにいられません。
 そんなことをくり返すうち、次第に、心にうすら明かりがさすように、ひとつの反省がひろがってきました。──
 いったい、何をそんなに心をさわがせているのか。
 だいたい神さまの下さることに無意味な試練があるだろうか。これまで何かにつけて思い知らされてきたのは、お恵みに馴れて調子に乗った生活をしていると、思いがけぬ冷水を浴びせられることだった。うまく行って得意になった仕事や、とくに執着しはじめた対象は、かならず取り上げられる。……
 あの妙高教会で、急に耳が聞こえなくなったときも、ちょうど万事が軌道に乗って、得意の絶頂といわぬまでも、いよいよ発展を目ざして張り切っていた最中ではなかったか。……  聖堂守りとして赴任したはじめは、どうなることかと不安だった。病院を出たばかりで、社会経験もなけらば、カテキスタとしての勉強もしていない。けれども周囲の援助で、何一つ困ることはなかった。長い病床生活で、ごはんの炊き方さえ知らぬからと、母が二週間つきそってくれたあとは、近所の親切な奥さんたちが三度々々の食事をひと月もはこんでくれた。歩いて三分ほどの病院へは、毎日のようにお風呂をもらいに行き、内の者同様の待遇をうけた。瀕死の患者から次々に呼ばれては神様の話をし、洗礼をさずけ、医師や看護婦たちから喜ばれた。
 ひとりで教会にいても、きびしい務めは何もなく、“聖堂守りとしてマリア様のはしためになり、神と人とに奉仕させて下さい” と祈るだけが仕事だった。ある日聖堂でその祈りをささげているとき、戸が叩かれ、“ここで神様のお話を聞かせて頂けるでしょうか” と、求道者第一号が現れたときは、とび立つ思いで迎え入れたものだった。それからは、口伝えでひろまり、常に七・八人の求道者があった。
 神学的知識など何もないのに、公教要理の小さな本をたよりに皆を満足させる話ができたのは、聖霊のお助けとしか考えられない。“理屈よりも信仰の喜びそのものを伝えたい。わたしの胸を開いてみせることができたなら、あふれている大きな喜びは、こういう文字の説明とは比較にならないと分かってもらえるのに” とくり返し訴えた。やはり言葉の力より、相手のために祈る心が通じたのか。あの小さな教会で、七十人も洗礼を受けるほどになった。
 これは自分の力によるものではない、とよく承知していたつもりでも、いつか満足感がふくらんでいた。このやり甲斐のある仕事への執着もつよまっていた。だからこそ、あの突然の耳への打撃が、鉄槌のようにくだされたのではないか。
 あのとき、突然音の無い世界に落ち込んで、聖堂で呆然とロザリオを握りしめているうち、あのあらゆる苦難のどん底でのヨブの言葉が、光のように心にさし込んで来た。“主与え、主取り去り給う。主の御名は讃むべきかな! ” ほんとうにそう言うべきところではないか。このくらいの試練で打ちのめされている、信仰の弱さと信頼の乏しさがはずかしくて、涙があふれてきた。思いきり泣いたあと、いつか深淵の底に足がしっかり着いたかのように、動揺のおさまった心に、静かな思いがひろがっていた。聖旨ならば、音があろうとなかろうと、なんであろう。今お求めになることを、すべてよろこんでお捧げするはずではないか。……この力づよい反省に照らされ、あえて言えば殉教者の気持ちさえわかるような、心の高揚を感じた。それからは、もう何にも動ぜず、親兄弟がふびんがって泣いても、自分は涙一滴こぼさずにすんだのだった。
 いよいよ妙高教会に別れを告げた日のことも、忘れられない。向こう三軒にあいさつ回りをすませ、もう一度教会をふり返ったとき、ちょうど降りはじめたぼたん雪が、自分の足跡をもうすっかり消し去っているのに、心を打たれた。ああ、ここの仕事はほんとうに終ったのだ。以後、なつかしい人々のために祈ることはしても、ここでのわずかな業績を誇りにしたり、人に語ってはならない。自分の足跡さえ消え失せるのに甘んじるべきなのだ、としみじみ悟ったことだった。
 いまこの山の生活にようやく馴れ、人手の少ない中で何かと活動しはじめたところで、神様はまたこうして試練をくださった。つまりは、仕事よりも御自分のほうに目を向けさせ、ひそかな祈りへと招いてくださったのではなかろうか。
 すべては神の愛の御はからいから来ることと信じているのに、そして、今まであらゆる苦しみを乗り切る力を与えていただいた恩恵は身に泌みているのに、何を心をさわがすことがあろうか。──
 どこからか湧き出てくるようなこれらの静かな思いに、いつか心の波立ちは鎮められていました。そして、相変わらず襲ってくる痛みの烈しさにたいしても、とりすがる支柱を得た者のように、ずっと耐えやすくなった気がしたのでした〉

* * *

 右の反省にみられるように、この出来事が姉妹笹川の霊的生活の上で大きな意味をもつことは明らかであるが、それはそれとして、これも彼女が聖母のメッセージを受けるまでの長い準備期間の、一つの段階であったと思われる。
 長い病苦とのたたかい、天使のような女性の出現、突然の聴力消失、ふしぎな光との出合い、天使の群れの幻視、ふたたび守護の天使らしき女性の出現……すべてこれらの意外な出来事には、超自然的とはいえ、筋道の立った一貫性がみとめられる。
 とくにこのたびの手の傷には、いわゆる “聖痕” の現象に似たものが見られる。
 周知のごとく、カトリックの信仰の世界においては、多くの聖人聖女がキリストの御受難のなまなましい傷あとである “聖痕” を身に受けている。アッシジの聖フランシスコやシエナの聖カタリナは、その最も有名な例である。しかし、聖人の名に値しないような者でも、この十字架の傷を受けることがある。そこで、教会はきびしくこうした現象を吟味し、何か特別なしるしとして軽々しく尊重せぬよういましめている。
 とくに近代では、心理学的に、ヒステリー症のたぐいの患者に多くみられる事例とされ、一般に警戒あるいは軽視する風潮になっている。
 ただ、一つの弁別のしるしとして言えるのは、ヒステリー症の人がこの種の傷を身に受けた場合は、それを特別な名誉として誇るのが特徴である。あたかもキリストから勲章でも受けたかのように、見せびらかす態度になる。
 姉妹笹川の場合は、あらためて指摘するまでもなく、およそ反対の態度がみられる。神秘な傷を目にした瞬間、反射的に自分の罪深さを思い、畏れつつしんで、人の目からかくそうと努めている。
 後日、聖痕という言葉が念頭に浮かばなかったか、と試みにたずねてみたが、“とんでもない。聖痕という言葉は知っていた。けれどもあれは、聖フランシスコのような大聖人が、十字架のキリストの御出現に会って、脱魂状態の中でそのお傷を身に受けるものではないか。自分などにそのような大きなお恵みをチラとも思い合わせようがない” という単純な返事だった。
 傷を見た姉妹Kのほうは “聖主のおくりもの” と直感した、と言っているが、当人がひたすら罪を思って心を痛めているので、なんとかなぐさめ力づけようとしたのであった。
 ヒステリー症の場合は、傷が痛めば痛むほど、一種の満足をおぼえ、他人に誇示するようである。そして人が認めてくれることによって優越感と信心の愉悦に充たされるらしい。
 姉妹笹川にはこのような自己満足はいささかも見られず、不可解な現象の前に、自分の罪のせいかと畏れの念を起こしている。どんな罪のせいかと思うのか、と聞いてみても、ただ、“信仰の弱さや感謝のうすさ” など、こまやかな良心を証するだけのごく一般的な弱点しか述べられない。およそ病的な思考など、みとめられないのである。
 もちろん、一つの異常な現象を解明する場合、そこに神よりの干渉をみとめるか否かは、慎重に検討されねばならない。驚異的事柄に、直ちに神のおん手のわざを見るのは、軽率であろう。しかし、解釈のつけにくいケースには、簡単にヒステリー症のレッテルをはって片づけようとするのも、これまた軽率と言わねばなるまい。

 姉妹笹川のこれまで辿って来た道を、丹念にふり返ってみるにつけ、この現象にも超自然的な干渉をみとめざるを得ない。
 この手の傷も、やがて聖母マリアのメッセージを受ける一つの前徴と思われる。
 次々の試練によって、彼女の心が清められ、メッセージを受けるにふさわしいものに調えられていくようである。
 聖母のメッセージがいかに重要なものとされているか、この念入りな準備によっても、推量されるのである。

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