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第二章 光の中の天使群

 三日間の不思議な現象ののち一週間は何事もなくすぎた。六月二十三日土曜の昼すぎに、司教が新潟から秋田の姉妹たちを訪問された。その翌日の日曜は、聖体の祝日に当たっていた。
 この祝日は奉仕会にとっては大事な祝日であるのに、山の生活では、六月五日M師の出立以来指導司祭が不在のままであり、毎日のミサもなく、いつ代わりの司祭が来るというあてもなかったのである。
 司教は聖体の祝日にみずから捧げたミサの中で、会の創立者として、次のような言葉をもって姉妹たちをはげました。
 「この会は、聖体に奉献された集いであり、聖体の中に在すイエズスの聖心への信心を特に深めることが必要です」
 そして、一週間山に滞在して、指導に当たった。
 この聖体の祝日から三日間は、午前八時から九時まで聖体礼拝の時間が定められ、姉妹笹川をふくめて四人の姉妹が礼拝を行なった。聖歌、ロザリオ、共同の祈りをひととおり終わった後で、念祷の祈りに入る順序であった。“二、三人相集まって祈るところには、私も在る” というイエズスの言葉が思い合わされるほど、ごく少ない人数であるだけに、ただ一つの心にとけ合った深い祈りの雰囲気であった。とりわけ姉妹笹川の心は聖体礼拝の信心に没入し、「御聖体の前をはなれて、聖堂からしりぞくことが、いつも惜しまれてなりませんでした。この三日間の礼拝を通して、私の心はひたすら聖主への愛に燃え、奉献の心でいっぱいでありました」と日記に書きとめている。

 この三日ののち、イエズスの聖心の祝日の前日、木曜日のことである。この祝日は典礼の変革によって今の教会では大祝日とされていないが、聖体奉仕会にとっては、大いに祝うべき祭日であった。その前日たる木曜日には早朝のミサがあり、この日も午前八時から九時まで聖体礼拝の時間が定められた。いつもの四人で一緒に礼拝し、ロザリオの祈り、聖歌につづいて共同の祈りをとなえたのち念祷に入った。やがて起こったのは、姉妹笹川の日記と口頭での説明によると、次のようなことであった。

 〈しばらくすると、以前に三回見たのと同じまばゆい光が御聖体から放射され、その光芒を包むかのように霞か煙のようなものが祭壇のまわりにただよっていました。そして祭壇をかこんで無数の天使たちのような姿が現れ、一せいに御聖体のほうに向かって礼拝していました。(注 この “天使たち” という語は彼女がすぐ口に出した表現ではなかった。次頁にあるように司教に報告した際、この光の中に現れた無数の存在を何と説明してよいか分からず “人間ではないがはっきりと礼拝の姿勢を見せている、たくさんの霊的な…” と言葉に苦しんでいるのに対して司教が「それは天使たちでしょう」と言われたので、自分もこの語を使った、と言っている。なお小さな祭壇をかこんで「無数の群れ」が見えたのは、この時周囲の空間が無限に拡大された感じに変わっていたから、と説明している)
 私は、その驚くべき光景に引きこまれてひざまずき、その光に向かって礼拝しました。が、ふと気づいてもしや外で誰か火を焚いていてその煙が祭壇に反映しているのではないかと思い、後方のガラス戸をチラとふり返って見ました。けれどもべつにそのような様子もなく、ただ祭壇だけがふしぎな光につつまれているのでした。御聖体から射し出る威光は直視できぬほどのもので、思わず目を閉じ、ひれ伏して礼拝せずにいられませんでした。聖体礼拝の時間が終わってもそのままの姿勢で、他の姉妹たちが聖堂を出て行かれたのにも気づかずにいました〉
 外出するため留守を頼みに来た姉妹Kに背中を叩かれ、我に返ったときには、先のすべての光景は消えており常と変わらぬ貧しい聖堂があるのみであった。 彼女は留守居役として頼まれた昼食の支度にかかるまで、自分の仕事場に上がって、与えられた縫い物の仕事をしたが、先ほどの聖堂での光景が目の裏にちらついて、針を運ぶのが容易ではなかった。

司教の導き

 やがて午後三時になり、お茶の盆をもって司教の部屋に向かった姉妹笹川は一瞬思案した。
  “今がちょうどこれまでの異変について、司教様にお話して、正しい指導を得るよい機会ではなかろうか” と。“もしこのまま放っておけば、自分の頭がおかしくなるのではないか……あるいは、もうすでに幻覚を見るほどどうかしているのではないか、という心配さえある。もしも何か錯覚にとらわれて、自分を見失ったり、病気なって、姉妹方に迷惑をかけるようなことがあってはならない。この際勇気をふるってありのままを、見たことそのままをすべて打ち明けて司教様の賢明な判断を仰ぎ、指導していただこう” と即座に決心がついた。
 そこで彼女は、おそるおそる司教に語りはじめたが、司教が終始真剣に耳を傾けられる態度に、内心救われたようにほっとし、すべてを打ち明けることができた。語り終えたときには、重い肩の荷を一気におろしたような気分になり、心がはればれとして嬉しくなった。
 この打ち明けにたいして、司教は次のようにさとされた。  「あなたの見た現象が何であるのかはまだはっきり分からないことだから、誰にも話してはいけません。そしてそのことのみにとらわれないよう十分気をつけてください。いちばん気をつけなければならないことは、わたしにだけ見える現象だ、特別なんだ、と傲慢な心を起こしてはいけないということです。これからますます謙遜になるように努力して、そのことにこだわらないで平常通り、他の姉妹方と何ら変わらない生活をしてください。今あなたの話をきいていても頭がおかしくなった者の言葉でないようですから、心配しないようにしなさい。このような例はありうることですから、心配しなくてもよいのです。
 ファチマの牧童たちにもいろいろなお現れがあったでしょう。
 でも、あなたの場合はまだ何かよくわかりませんから黙って平常通り変わりない生活をしてください。御聖体についてよい黙想と祈りをしてください」  このようなさとしと導きを受けて、彼女は、慰められ、安心して引きさがったのであった。

“女の方” の出現

 翌六月二十九日、金曜日は、イエズスの聖心の祝日であった。ミサは司教によって立てられ、御聖体に関する信心の説教があった。先に述べたごとく、姉妹笹川の耳はまったく聞こえないので、唇の動きから説教を読み取っていたが、心はおのずとイエズスの聖心の愛に引きつけられ、深い祈りを捧げつつミサにあずかっていた。
 朝食ののち、交代で行う聖体礼拝の時間になり、姉妹笹川は目上の姉妹Kと組んで午前九時から十時まで礼拝することになった。彼女は三十分前から聖堂に入って念祷しながら交代の時を待っていた。やがて姉妹Kが現れ、二人だけで、扉の開かれた聖櫃の前に跪いた。姉妹Kの唇に「あなたがロザリオの祈りを先唱しなさい」という命令をよみとった彼女は「はい」と答えて、いつもの例によりまず御聖体への賛歌の一つをえらんで歌った。ついでロザリオの祈りに移ろうとしたとき、不思議な現象が起こった。
 彼女の後日の日記と補足の説明によれば、次のようなことである。

 〈ロザリオを取って祈りを始めようとした瞬間、一つの姿が私のすぐ右に現れました。
 まずおことわりしておかなければなりませんが、四年前に私が妙高教会でカテキスタをしていたとき、風邪の高熱で倒れ、意識不明となって妙高病院に入院いたことがありました。四日間というもの意識はもどらず、外部の世界から完全に遮断されたかたちだったそうです。体温計いっぱいの高熱がつづき、二日目の夜とかに病油の秘跡が授けられたとき、ふしぎなことに、何も意識しないような私が感謝の祈りとして主祷文、天使祝詞、栄誦、使徒信経までを、はっきりとラテン語でとなえたそうです。後日、その時の神父様から、ラテン語をいつ覚えたのか、と問われ、私は答えに困りました。ラテン語を自分で唱えられるほど勉強したこともないし今でも唱えられないのですから。これは、居合わせた人々の証言がなければ自分でも信じられないようなことです。
 付添いの母の言では、私はどこからか光に照らされているような顔で、胸に手を組んだまま、たえず何か祈っていたそうです。私自身の記憶では、きれいな野原のような所で美しい人に手招きされているのに、ガイコツのようにやせこけた人々にすがりつかれて、そちらへ行けないでいたり、清水を求めて争い、人をおしのけて濁った河に落ちる哀れな人々の姿に胸をいためたりして、そんな人のためにも祈ったりしていました。とくにロザリオの祈りを唱えつづけていました。ところが、そのうち、ふいに、ひとりの見知らぬうるわしい女の方がベッドの右側に現れてきて、一緒にロザリオの祈りを唱えて下さったのです。そして一連の終わりに、わたしの知らない祈りを加えられるので、おどろいてあとをついて唱えました。すると、“ロザリオの各連のあとにこの祈りをつけ加えなさい” と教えられました。それはこうです。
  “ああ、イエズスよ、われらの罪を許し給え。われらを地獄の火より守り給え。またすべての霊魂、ことに主のおん憐れみをもっとも必要とする霊魂を、天国に導き給え。アーメン”
 あとから聞くと、このときKさんという友人が見舞いに来ていて、母が「もう遅くなるから」と帰宅をすすめたところ「今きれいなお祈りが始まったから、いっしょに祈りたい」といって、そのまま、母とふたり、わたしのロザリオに声を合わせ、この聞き馴れぬ祈りに耳を傾けたのだそうです。私としては、この時おぼえたこの句は、意識が回復したのちも心に深く刻みつけられていて、以後ロザリオの祈りには欠かさず加えるようになりました。
 また、しばらく後のことですが、たまたまそれを唱えていた時、サレジオ会のK神父様のお耳にとまり、その美しい祈りを教えてほしい、どこで覚えたのか、とたずねられて、お教えしたことがありました。しばらくたってお手紙があり “あの祈りはファチマで聖母が三人の牧童に教えられたもので、まだ日本語に訳されていないが、訳せばこの通りになるそうです” と教えて下さいました。それではじめて私も貴い由来を知ったわけでした。
 ところで、前おきが長くなりましたが、今私の右手に現れた姿というのが、まぎれもなく、あの時のお方だったのです。私は夢中になってロザリオをにぎりしめ、珠の一つ一つを繰りながら、その方に合わせてゆっくりと祈りを唱えました。もうとなりのKさんの存在も忘れて、夢見ごこちの状態でしたが、意識は、はっきりしていました。最後に「いと尊きロザリオの元后、われらのために祈り給え」と結びを唱えたとき、その方の姿はもうありませんでした。
 その後念祷に入って、暫くたつと、昨日と同様に御聖体からの烈しい光を感じました。思わずひれ伏して礼拝し、目をあげてみると、また霞か煙のようなやわらかい光線が祭壇を包んでおりました。その中に無数の天使たちが出現し、光り輝く御聖体に向かって「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と賛美する高く澄んだ声が私の聞こえない耳にひびいてきました。その声が終わると同時に、私の右側から祈りの声が聞こえてきました。
 「御聖体のうちにまことにましますイエズスの聖心よ、一瞬の休みもなく全世界の祭壇の上にいけにえとなられ、おん父を賛美し、御国の来たらんことをこいねがう至聖なる聖心に心を合わせ、わが身も心も全くおんみに捧げ奉る。願わくは、わがこのつたなき捧げをうけ取り、おん父の光栄と魂の救いのために、聖旨のままに使用し給わんことをこいねがい奉る。
 幸いなるおん母よ、おんみのおん子より引き離すを許し給わざれ。おんみのものとして守り給え。アーメン」
 これは司教様のつくられた、“聖体奉仕会の祈り” でしたので、私もその言葉に引きこまれて跪き、その声に合わせて唱えました。これに引き続いて「すべての民の母」の祈りが聞こえました。
 「おん父のおん子なる主イエズス・キリストよ、おんみの霊をあまねく全世界につかわし給え。しかして聖霊がすべての民の心に宿り退廃と凶災と戦争から彼らを守らしめ給え。すべての民のおん母が、われらの擁護者ならんことを。アーメン」
 この声は、例の女の方のものでしたが、こういうお祈りの時の声は、先の「各連の終わりに唱えなさい」というような指示の場合よりも一段と美しくきよらかで、まったく天上的なひびきをもってきこえました。その声に合わせて一生懸命に祈るうち、ふと、前に跪いておられる司教様の服の背に紋章のようなものが現れました。そして私を含めて七・八人の会員が、司教服の両脇の赤いひもを同時につかんでいる姿を一瞬、幻のように見ました。
 そして祈りが終わるとともに、それらの光景はすべて消え失せていました。そのあともどのくらい跪いたまま祈っていたか、Kさんに肩をたたかれて我に返り、ともにルルドの聖歌をうたって礼拝を終えたのでした。
 この時のこともあとで司教様に、“変わったことは報告するように” と先にご命令を受けていたので、すべてお話しましした。
 ついでに、司教服の背に紋章をつけておられるか、と伺うと、つけていません、とのお答えに、“Mの字の上にカリスと御聖体のある模様で……” と説明したら、それは私の紋章です、と驚かれました。七・八人の会員と思われる人たちと、お服のひもにすがっていたことを申し上げると、何か考え深い面持ちをしておられました〉

* * *

 この礼拝で、姉妹笹川が、ふしぎな出現者とともにロザリオを唱えたとき、傍で祈っていた姉妹Kは「いつも早口の彼女が、非常にゆっくりロザリオを唱えたのがふしぎで、あとでその理由を聞いてみたら、天使がそのように唱えるから、と言いました」とその折の記憶を語っている。
 先回にあったごとく、姉妹笹川はまた、聖体を中心とした、天来の光に打たれるのであるが、このたびはさらに、その光の中に天使の姿を目にしたのであった。これには何の意味が含まれているのか。われわれにとって、天使の礼拝といえば、美しい場面を想像させられるが、それはべつに神学的に新奇な事実を教えるものではない。聖書にもこのような、神秘な存在が神の玉座をかこんで、“聖なるかな、聖なるかな、……” と昼夜讃える光景や、天使たちと人間との交流の記事は、珍しくない。
 つまり、これらの出来事は、後に来る聖母のメッセージの前ぶれのようなものであった、と考えられる。
 彼女が以前妙高病院に入院したとき、美しい女性が現れて、ともにロザリオの祈りを唱え、ファチマの牧童に聖母が教えられたその祈りを口うつしに教えたという。これは天使でなくてだれができることであろうか。この女の方は、こののち、まる九年間にわたってしばしば姉妹笹川に現れ、何かと教え導き、ときには、忠告や叱責さえ与えることになる。
 私自身は、先に述べたように、これから間もなく、思いがけずこの修道院に着任することになり、姉妹笹川に親しく接して、指導も受け持つようになった。以後の所見によれば、“女の方” が現れて来るのは、夢の中ではなく、おもに彼女が祈りのうちにある時である。またその教示や導きなども、彼女の希望とか意志になんら関係をもたない。そのかずかずの教えや警告は、私の長い経験から見て、天使でなければなしえないものと思われる。
 姉妹笹川自身は、自分から先に “天使” と表現することはつつしんでいたが、司教に「天使でしょう」と明言されてから、次第に安心して、直感通り天使と呼ぶようになっている。それに、実はその出現者自身が、やがてはっきりそう名乗るのである。
 私がここで前もってこの点を強調しておくのは、この天使の最初の登場を無視しては、やがて来る聖母像にかかわる一連のふしぎな出来事、および聖母のメッセージの正しい把握ができなくなるからである。
 ファチマにおいても、最初に天使が再三現れて、牧童たちに祈りなどを教え、聖母出現への準備を行ったことはよく知られている。当時の教会当事者が、初め聖母の出現もメッセージも受け容れようとしなかったのは、まず天使の出現をみとめなかったからである。出発点において誤りがあったために、当然調査も正しい方向に導かれなかったと考えざるを得ない。
 この点については、湯沢台の聖母の場合も、順を追って詳述することにしたい。

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