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第八書・第五章

大天使聖ガブリエルが聖母に死を告知する

 聖母は六十七歳になられましたが、御活動にぐずぐずしておられませんし、神に近づくことをやめませんし、愛の炎を消しませんし、功徳を積むことを減らしません。聖母の御生渡の一瞬間ごとにその御活動の全ては成長し続けたので、それに応じて主の賜物や恩恵も増え、聖母は完全に神々しく霊的になりました。聖母の最も純潔なる御心の愛情深い熱心と希望は、愛の中心の外における休息を許しませんでした。聖母は肉体の限界に留められることを嫌悪されました。聖母と永遠の一致を阪う神の御希望は最高潮に達しました。地も人々の罪により、天の宝である聖母を主から引き離し、地にお引き止めする価値を失いました。永遠の御父は唯一、真の御娘の来られることをお望みになりました。御子は最も愛すべき御母のお出でを待ち望まれ、聖霊は最も美しい浄配の一致を倣われます。天使たちは自分たちの元后を、諸聖人は偉大なる貴婦人を待ち焦がれ、全天は皇后の御臨席を待ちます。聖母が世の中や教会に留まるべしという弁解は、アダムの惨めな子孫たちがそのような御母、女主人を必要としていることです。

 神は御母に光栄を与えるため、天にお迎えになる時を決定されました。聖三位は、大天使聖ガブリエルにその日時を聖母に伝えさせます。大天使は他の天使たちと共に、エルサレムの高間に降りて来た時、聖母は床の上に十字架の形をして平伏し、罪人たちのために祈っておられました。天使たちの音楽が聞こえ、天使たちがそばにいるのを感じ、跪きの姿勢で起き上がり、天の大使と随員たちに敬意を表しました。

 天使たちは白い輝く着物を着て、喜びと畏敬の気持ちを示しながら聖母の周囲に集まっています。全員が冠と椋欄の枝を持っていますが、違う冠や椋欄で、計り知れない美しさと価値の種々の賞与と報酬で、全て天使たちの元后である貴婦人に差し上げるものです。聖ガブリエルは、アベ・マリアと言って挨拶します、「私たちの皇后なる貴婦人様、全能なる最も聖なる御方が、御自身の御名前により、あなた様の地上における巡礼と追放の生活に最も幸せな終わりが来ることをお知らせするため、私たちをお遣わしになりました。ああ、貴婦人様、自然な死により、永遠な不死の生命をあなた様がお望み通り獲得されるその日その時が近づいています。光栄ある私たちの神なる御子の隣における生活が、御身のために準備されています。今日から丁度三年目、御身は天に挙げられ、主の永遠の御喜びの中に迎えられます。天国では全員が御身のお出でになるのを御得ち申しております。」

 このメッセージを聖母は言葉に尽くせない喜びと共に御聞きになり、地面に平伏し、御言葉の受肉の時と同じ言凛を申しあげます、「主の婦を顧み給え、御旨が成就せんことを」(ルカ1・38)。聖母はセラフィムや他の天使たちと交互に歌のやりとりを二時間にわたりなさいました。天使たちは霊として、本性も超自然の賜物において大変微妙、賢く、優秀ですが、聖母の方がもっと上です。両者を比較すると、侍従と国王の遠い、又は生徒と先生の差があります。歌い終え、御自身を改めて謙らせ、天使たちに御自分の現世の命から永遠の命への移転を助けるように願い、そして、天にいる全天使や諸聖人に同じ願いをなさいます。天使たちは約束し、聖ガブリエルと随員たちは暇乞いをし、最高天に戻ります。

 全宇宙の偉大な女王は、祈り部屋で山人きりになり、謙遜な喜びの涙を流しながら地面に平伏し、母として地面を抱くようにしておっしゃいます、「地よ、私は汝に当然の感謝をします。六十七年間、功徳のない私を生き永らえさせてくれました。汝はいと高き御方の被造物で、いと高き御方の御旨により今まで、私の生命を保ってくれました。汝の上に住む残りの時間、私を助けてくれるように頼みます。私は汝を通して汝の上に造られ、汝の所から私の造り主に御目にかかる所へ挙げられます。」 聖母は他の被造物にも声をおかけになります、「汝ら、諸天よ、惑星たちよ、諸恒星よ、自然よ、私の愛する御方の強い御手により造られた物よ、神の偉大と美の忠実な証人であり、公言者よ、私は汝らにも私の生命の借金があります。今日から後も私を助けて下さい。神の御助けにより、私の命の残された間、私の命の完成を開始し、私と汝らの創造主に私が感謝できるようにして下さい。」

 聖ヨハネや千位の守護の天使たちと一緒に、聖なる史跡を巡礼することになりました。被昇天前のこの旅のため、聖母はこの世の様々な肘事を延期されました。我らの救いの記念すべき場所全てを訪れ、甘美なる涙を滝のように流され、御子の御苦難を悲しく思い出され、愛の熱烈な行為と、全信者が将来信心深く敬度に聖地を訪れるようにという嘆願をなされ、御苦難の効果を更新なさいました。カルワリオの丘ではもっと長い間、立ち留まられ、御子の御死去が、大勢の霊魂の破滅から救いのために完全な効果を発揮するよう、御子にお願いされました。聖母のお祈りが最高潮に達した時、その激しさのため、聖母のお命は神の御助けなしには無くなったと思われます。

 聖地を守る天使たちや聖ヨハネに、この最後の巡礼において御自分を祝福するようにお願いした後、祈り部屋に戻られ、最も優しい愛の涙を流されます。地面に平伏し、教会のための長い祈りをされます。辛抱強く続けられると、主の知的幻視において主が出現され、聖母の御祈りが聞き届けられたことを保証されます。

 聖母は主に地上の教会を離れる許可を願い、与えられます。そして、教会に向かい挨拶します、「聖なるカトリック教会よ、将来、ローマという名前がつくでしょう。私の母、女主人、私の霊魂の真の宝よ、御身は私の追放の間、唯一の慰めでした。避難所、私の労働を容易にして下さる御方、私の楽しみ、喜びと望み、御身は私の人生の旅程において私を支えて下さいました。御身の中で祖国へ帰る巡礼として生活しました。御身の頭、イエズス・キリスト、私の御子である主による恩寵のお陰で、御身の中で私の存在を受けた後、御身は私を養って下さいました。主の無限の功徳の宝と富が御身の中にしまってあります。主の忠実な子供たちが約束の地へ向かう確かな道が御身です。危険で難しい巡礼において子供たちを守って下さいます。私たち全員が尊敬すべき諸国民の女主人は、御身でございます。御身の財産は、不安、労働、侮辱、困難、苦痛、十字架と死の富める計り知れない宝石です。これらは全て私の主、御身の先祖、御身の主人により聖別され、主のより優れた僕たちに予約されています。御身はこのような宝石で私を飾り、お金持ちにして下さいました。御身は私を繁栄させ、幸せにして下さいました。御身の至聖なる秘跡の中に御身の造り主がおられます。私の幸せな母なる戦闘の教会よ、御身はおびただしい財宝を所有しておられます。御身のことを私はいつも心にかけてきましたが、今、御身から離れ、御身の甘美なるおつき合いからお別れする時が参りました。私の愛すべき教会、私の名誉と光栄よ、私のこの世における御身からお別れするところです。永遠の生命からあらゆる善を含む存在の中に喜ぶ御身が見えるでしょう。かしこより、愛を持って御身を見つめ、御身の増大、繁栄と進歩をお祈りしましょう。」

 次に、聖母が遺書を発表されるにあたり、聖三位が御降りになり、励まされました。次のような遺言となりました、「いと高き主なる永遠の神よ、地の塵である私は、御父、御子と聖霊、不離一体、永遠の精髄における明確な聖三位を心より宣言し、崇めます。王としての御臨席の下に、私は最後の遺言を申し上げます。地上の生活の何物も私は所有しておりません。御身以外の何物も所有しませんでした。御身は私の全財産でございます。諸天、諸惑星、恒星、自然とその他全ての被造物に私は感謝致します。御旨のままに被造物は功徳の無い私を養ってくれました。被造物は、御身に仕え、御身を崇め奉るようにお願いします。被造物が私の同朋を養い、恩恵を与えるようにお願いします。理性のない被造物の所有と統治は、主が私に下さいましたが、私は人類に譲ります。これら被造物が人類によく仕えるように希望します。二枚の上着と一枚の外套は、私の息子である聖ヨハネに残します。私の体は地に渡します。地は共通の母親であり、御身に仕える被造物ですから、私の体を御身のために使うでしょう。体や全ての見えるものから引き離された私の霊魂を御身の御手に委ねます。私の霊魂が御身を永遠に愛し、崇めますように。御身の恩寵により私の働きが得た功徳や宝は、聖なる教会、私の母である女主人に相続してもらいます。この相続はもちろん御身の許可を得た上でのことです。この宝がより一層増えるように希望します。この宝のお陰で、将来御身の御名を高め、御旨が天に行われるように地にも行われるようにし、全世界の人たちが御身を真の神と知り、愛し、崇めるようになりますように。」

 「第二番目に、これらの功徳や崖を現在と未来の使徒たちや司祭たちに捧げます。御身の素晴らしい寛大さが、彼らを適切な司牧者にならせ、義務や立場に値するものにし、智恵、徳と聖性に満たされ、御身の御血により贖われた霊魂たちを教化、聖化できますように。第三番目に、私はこれらの功徳を私の名を呼ぶ私の僕たちが、御身の保護と恩寵を、最終的に永遠の生命を得るために捧げます。第四番目に、私の奉仕や労働により、罪を犯すアダムの子孫たちが罪から遠ざかるよう、御身の御慈悲に訴えます。この時より、この世が続く限り、御身の御前で人々のために祈り続けるつもりでございます。主なる我が神よ、これが私の最後の意志で、いつも御身の御旨に従わせます。」 聖三位は聖母の意志を確認されました。救い主なるキリストは御母の心に「御身が望まれ、命ぜられるように、なれかし」とお書きになりました。私たちアダムの子孫が、聖母の広大な功徳を頂くという恩義をこうむるならば、この借金は私たちが最も勇気ある殉教者や聖人のように、生命を加防げ、苦痛を忍んだとしても、一決して私たちは払い切れません。

元后の御言葉

 死の時やその後の審判について忘れることほど大きくて悪い誤謬はありません。この誤謬の門を通って、罪が世の中に入ったことを考えなさい。最初の女エワに蛇が言ったことは、「汝は死なないであろうし、そのことを考える必要がない」(創3、4)ということでした。こうしていつも騙され、死について考えずに生き、不幸な運命を忘れて死ぬ人たちの数は非常に多いのです。このような結末を避けるため、あなたの死は取り返しがつかないことを確信し始めなさい。多くを頂き、少ししか返さなかったこと、御恵みが多ければ多いほど審判はもっと厳しくなること、主の御恵みがいつでもどこでもどんな状況でも、忘れず不注意にならず働いていることをよく考えなさい。

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