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第八書・第六章

乙女マリアの光栄ある移行

 聖母の至高なる御死去の三日前、使徒たちや弟子たちはエルサレムの高間に集まりました。聖ベトロが一番最初で、天使によってローマから連れて来られたのです。高間におられた聖母は、神に対する愛の力により、御体が少し衰弱しておられました。御死去が大変間近であったからです。御自分の祈り部屋の入口の所まで出て来られ、我らの救い主キリストの代理者を迎え、彼の足許に飽き、彼の祝福を請い、申されました、私はいと高き御方に感謝と讃美を捧げます。神が臨終の私を助けるため、聖なる父(教皇)を送って下さいました。次に聖パウロが到着しました。聖母は同じ出迎えの態度を示されました。使徒たちは聖母を神の御母、彼らの女王と呼んで挨拶しました。この尊敬と同じくらいの悲しみがありました。聖母の臨終に立ち会うために高間に集まったからです。他の人たちも集合しました。三日後、一堂に会した人々全員に聖母は深い謙遜、畏敬と愛をもって接し、一人一人の祝福を願われました。一人一人、聖母の御要望に応じ、感嘆すべき畏敬の挨拶をしました。聖母から色々受けた御指示に聖ヨハネは従い、聖小ヤコボの肋力で人々は歓迎と宿泊のもてなしを受けました。

 天使たちにより運ばれ、会合の意味を知らされた使徒たちの中のある者は、自分たちの唯一の保護と慰めを失うことを考え、大変悲しくなり、涙を流し続けました。他の人たち、例えば弟子たちは、天使たちから告知されず、内的鼓舞と神の強力な勧めを感じただけでやって来たのですが、すぐに聖ペトロの次のような説明を聞きました、「私の最も親愛なる子供たちと兄弟たちよ、主が遠方にいる私たちをエルサレムにお呼びになったのは他でもありません。主の至福の御母、私たちの女主人、慰め人である保護者が、永遠の光栄ある玉座に今昇られることをいと高きお方が望んでおられます。そのため主は私たちをお呼びになりました。私たちの主人である救い主が御父の右に昇られた時、主の御母なる私たちの光を地上に残されました。今、御母が私たちを孤児にされるにあたり、私たちに何ができますか? 私たちの巡礼を励ます希望はあるでしょうか? 私は時が来次第、御母の後を追うこと以外に何の希望もありません。」 涙にむせて聖ペトロは話しを続けられませんでした。長い間、参会者たちも心の奥底でうめきました。やっと気を取り戻した聖ペトロは続けます、「私の子供たちよ、私たちの御母である貴婦人にお会いしましょう。御母に残された時間、私たちのそばにいていただき、私たちを祝福していただきましょう。」 人々が御母の祈り部屋に行くと、御母は長椅子の上に続き、美しく、天の光に満ち溢れ、千位の天使たちに取り囲まれていました。聖にして童貞なる御体は、三十三歳の時と同じで、年をとっても変わらず、御顔にしわもなく、衰弱とか変色などありません。成人した時の元気に溢れる姿から加齢と共に段々しなび、弱々しくなる私たちアダムの子孫とは全く違います。聖母の不変性は聖母にだけ与えられた特権で、聖母の至純なる霊魂の安定性と一致し、アダムの罪に汚染されていないためです。室内では、使徒たち以下全員が秩序を保っています。聖ペトロと聖ヨハネが長椅子の頭の所にいます。聖母は皆に敬意を表し、申されます、「私の最も親愛なる子供たちよ、あなた方の召し使いである私に二言話させて下さい。」 聖ペトロは、聖母に皆が傾聴すること、何でもおっしゃるように答え、跪くのをやめ、長椅子に腰かけるようにお勧めしました。聖ペトロは、聖母が長時間粍きながら主にお祈りされて、お疲れになられたであろうと思ったのです。この時、聖母は死に至るまで謙遜と従順の師としてこの二つの徳を実行されました。聖ペトロの許可を得た後、長椅子を離れ、聖ペトロの前に跪き、申されました、「私の主人、全宇宙の司牧者である聖なる教会の頭に、私は私的公的祝福を下さるようにお願いします。私は生渡にわずかな奉仕しかしませんでしたので、この婢をお許し下さい。聖ヨハネが私の着物や二者の上着を、私の世話をして下さった二人の碑に与える許可を下さい。」 平伏し、キリストの代理者としての聖ベトロの足に接吻し、たくさん涙を流し、使徒たちやそばにいる人たちに涙以上の感嘆を起こさせました。次に聖ヨハネのもとに行き、扱き、申されました、「私の息子、私の主人よ、主が十字架からあなたを私の息子として、私をあなたの母として任命されたのに、私は母としての義務を遂行できなかったことを許して下さい。あなたが息子として示して下さった御親切を心より感謝申し上げます。私をお造りになった神のおそばにいるため、あなたの祝福をお願いします。」一人一人の使徒たちと何人かの弟子たちにお別れの挨拶をした後で、立ち上がられ、参集者全員に話されました、「最も親愛なる子供たちである御主人様、私は絶えずあなた方のことを思い、私の心の中に書き記しました。あなたは御子の選ばれた友だちであり、あなた方の中に御子を見ます。御子が私に下さった優しい愛情と愛徳をもってあなた方を愛しています。御子の聖なる永遠の御意志に従い、永遠の住いに参ります。その住いにおいて、神の最も透き通った光により、あなた方を母として見守りましょう。あなた方に私の母なる教会、いと高き御方の御名の讃美、福音の律法の公布、御子の御言葉の名誉と崇敬、御子の御受難と御死去の記憶、御子の教義の実施をお任せします。私の子供たち、教会を愛し、愛徳の結びによりお互いを愛しなさい。あなた方の主がいつも教えられた通りです。聖なる教皇のペトロよ、あなたに私の息子ヨハネと他の全ての人々を宜しくお願い申し上げます。」 聖母の御言葉は神の火の矢のように全員の心を貫きました。聖母が話し終えられた時、全員はらはらと涙を流し、慰め切れない悲しみにうち沈み、地面に倒れ、嘆き、うめき、大地を震わせました。全員が泣き、聖母も泣かれました。しばらくして聖母はもう一度話され、黙祷するようにおっしゃいます。全員の黙祷中、輝く王座におられる御子が諸聖人や無数の天使たちに付き添われてお出でになりました。高間の家は光栄で満たされました。御母は主を崇め、主の御足に接吻しました。平伏して地上最後の最も深い信仰と謙遜の態度を示されました。全人類が自分たちの全ての罪のために謙るよりももっと深く御自身を低くされました。主は仰せになりました、「私の最も親愛なる御母、この死に至る生命から、御父と私の光栄の中に、御身がお移りになる時が参りました。私の力により、私の御母として、御身を罪の汚れなくこの世に来ていただきましたから、御身がこの世を出られる時、死は御身に触れる権利も許可も持っていません。もしも、御身がこの世の出口を通過されたくないならば、私と共に来られ、御身の功徳が獲得した私の光栄に参加して下さい。」 聖母は御子の足許に平伏し、喜ばしい御顔でお答えになります、「私の御子にして私の主よ、私もアダムの他の子供たちと同様に、自然の死の共通の門を通って永遠の命に入らせていただきたいと思います。私の真の神である御身は、何の恩義も負っておられないのに死の苦しみをお受けになりました。私が生きることにおいて御身に従ったように、死においても御身に従うことは当然と思われます。」 救世主キリストは御母の決意、犠牲を承認され、その成就に賛成されました。そして、全天使たちはソロモンの雅歌や新しい歌を合唱しました。救い主キリストの御出現について啓示されたのは、聖ペトロと聖ヨハネだけでした。他の人々は神からの強力な効果を内心に感じました。天使たちの歌声は全員が聞くことができました。神の芳香は広がり、外の通りにも達しました。高間の家は素晴らしい光に満たされ、誰にも見えました。主は街路に集まったエルサレムの住民たちがこの光景の証人となるように望まれました。

 天使たちが合唱を始めた時、聖母は長椅子の上に横になられ、上着は御体のそばにたたんでおかれ、両手をお組みになり、御目は御子を見つめられ、神の愛の火に全身が燃えました。天使たちが雅歌の第二章の何節か、「立て、急げ、我が愛せる者、我が鳩、我が美しき者よ、来たれ、冬は去りぬ」などを歌った時、聖母は十字架上の御子の御言葉、「ああ主よ、御手に我が霊魂を任せ奉る」を宣言されました。掛目を閉じられ、息が絶えられました。聖母の命を奪った病気は愛です。他の弱さとか、偶発的な干渉は何もありません。神に対する燃える愛をその時まで制御していた助力を神がお止めになった瞬間、聖母は逝去されました。この制御がなくなるやいなや、聖母の愛の火は、心臓の生命の液を蒸発しっくし、この世における御生命に終止符を打ちました。

 天使たちの歌声が天に上がっていきます。諸天使、諸聖人の行列が王と女王に従い、最高天に昇ります。聖母の御体は素晴らしい光で輝き続け、今まで聞いたこともない芳香を発し、そばにいる人たち全員の内部、外部を満たします。聖母の守妙諸に当たっていた千位の天使たちは留まります。使徒たち弟子たちは、見聞きした不思議で涙と喜びに我を忘れ、しばらくの間、感嘆し続けます。それから、たくさんの賛美歌や詩編を聖母の光栄のために歌います。聖母が御逝去されたのは、八月十三日、金曜日、午後三崎で、聖母の享年は七十歳でした。救い主キリストの御死去の後、二十一年間生活されました。聖母の御死去の時、日食が起こり、何時聞か継続しました。色々な種類の鳥がたくさん高間の周囲に集まり、悲しげに鳴きました。エルサレム全市が騒ぎました。驚いた群衆が集まり、神の力を声高く告白しました。他の人たちは驚愕のあまり放心状態になりました。使徒たち、弟子たち、信者たちは涙を流し、ため息をつきました。煉獄の霊魂たちは釈放されました。最大の奇跡は、高間のすぐ近くに住んでいた二人の女とエルサレム市内の一人の男に起こりました。三人は罪を犯し、悔い改めないで死んだので、地獄に堕ちるはずでしたが、キリストの法廷で彼らが審議された時、主の御母が取り成したので、彼らは生き返りました。彼らは自分たちの行状を改め、その後、恩寵の内に死亡し、救われました。この特権はエルサレムで聖母と同じ時刻に死んだこの三人だけに与えられたのです。

元后の御言葉

 私の娘よ、私が御子の人間としての死を見習い、自然死を遂げたことを御子なる主は御喜びになり、一つの恩恵を教会の子供たちに与えて下さいました。私に信心する者たちが死に際して私を呼び、私の幸せな死と主を模倣したいという希望を思い出し、私の弁護を望むならば、私の特別な保護を受け、悪霊たちに対して私によって守られ、主の慈悲の法廷に共に出廷し、私の取り成しを受けることになります。従って主は、私に新しい権力と任務を御与えになり、私の貴い死の神秘を崇め、私の助けを臍う全ての人たちに良き死と、より純粋な生活のために恩寵を下さることを約束して下さいました。それゆえ、私はあなたが今日よりこの神秘を心の奥底で信心し、愛すること、私と三人の罪人の奇跡をなさった全能者を祝い、讃え、崇めることを希望します。

 死は命の延長であり、命の状態と一致しますから、良き死の最も騒かな保証は、良き生活です。つまり、この世の愛から心を離して重い鎖から解き放されて生きることです。原罪の影響から自由になり、生きることです。情欲の重荷や足枷を棄てて生きることです。

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