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第七書・第三章

改宗者たちの洗礼。最初のミサ。
聖母マリアの中に聖体が永存し拾う

 使徒行録にあるように、七日間の説教や奇跡により、信者数は五千人に達しました。洗礼の準備のための教えは、おもに弟子たちの仕事です。使徒たちは説教したり、ファリサイ人たちやサドカイ人たちと論争したりします。聖母は天使たちや婦人たちと一緒に、御子が最後の晩餐をした広間をきれいにしたり飾ったりされます。翌日行われる聖変化により、主が帰って来られるからです。家の主人に家具を持って来させたり、種なしパン、葡萄酒や主の御使いになった同じ皿や盃を準備されます。洗礼のためのきれいな水や、たらいも持って来られます。個室に引き下がると、夜中、熱心に平伏して祈られます。

 翌日、つまり聖霊御降臨後一週間目、朝早く、信者たちや洗礼志願者たちが使徒たちや弟子たちと共に高間の家に集まります。聖ペトロが集合者たちに洗礼の本質と素晴らしさ、必要性と神の御助け、洗礼により人々が教会の神秘体の成員となること、罪の赦しと聖化の恩寵により神の子となり、神の光栄の相続者になることを説教します。聖ペトロは、自由意志により承諾した神の律法を守り、いと高き御方から受けた恩恵を感謝するように勧告します。イエズス・キリストの真の御体と御血に聖変化することを祝うミサの神秘的な聖なる真理を人々に説明します。この説教は全改宗者に熱心を沸き立たせます。使徒たちは洗礼を始めます。志願者たちは一方のドアーから入り、洗礼を受け、他方のドアーから出ます。弟子たちや他の信者たちが人々を先導します。聖母は高間の片方のそばに留まり、洗礼式に参列します。授洗者全員のために祈り、讃美の歌を歌います。各人の徳にふさわしく聖霊の効果も違うことが聖母には判ります。小羊の血で洗われ、更新し、神の純粋さと染みが全くない清潔さを濃いたことが聖母には見えます。これらの効果の証拠として、大変透明な光が洗礼を受けた者の一人一人の上に降ったことが皆に見えたのです。この奇跡により、神は聖なる教会の秘跡の最初を実証されたのです。

 洗礼式は、当日、参会者全員が受洗するまで続けられました。受洗者の総数は約五千人でした。受洗者が感謝の祈りをする間、使徒たち、弟子たちや信者たちは祈りました。全員が床に平伏し、無限不変の神を崇め、祭壇の尊い秘跡に於ける主を受ける資格がないことを告白し、聖体拝領の準備をします。主が聖変化の前に御唱えになった詩編と祈りを唱え、主のなさった通りのことをします。聖ベトロは種なしパンを手に取り、目を天に上げ、キリストの至聖なる御体への聖変化の言葉を宣言します。直ちに高間は無数の天使たちの目に見える輝きで満たされます。光が全部、聖母に集まります。皆によく見えます。そして聖ペトロは御盃の聖血を奉献します。聖母が前もって指図されたように、聖ペトロが一番先に拝領し、十一人の使徒たちに御聖体を拝領させ、その後で聖母の番になります。聖母は祭壇に向かう途中で三回も平伏し、御顔を床につけます。聖体拝領後、聖母は全く変容され、至聖なる御子の愛の火の中に包まれます。恍惚の状態となり、床の上に浮いています。天使たちは聖母を部分的に隠し、皆の注意を惹かないようにします。弟子たちは御聖体を配りますが、五千人の内、千人が拝領したにすぎません。主を御迎えする準備ができていないか、聖体拝領の意味が判らない人たちが多かったのです。

 聖母があらゆる人々の上に立てられていること、聖母を愛されるが故に神は天地を創造され、御言葉は人となられ、救世の苦しみを受けられたことは前に書き記しました。私たちは聖母の故に、そして聖母を通して神を祝福します。私たちの希望の全てと運命は、聖母の御手の中に任されています。御子は有り余るほどの愛の全てを聖母に向けておられます。

 聖母は三十三年間を御子なる真の神と共にお過ごしになりました。御受胎の時から御死去の時まで主と御一緒でした。聖母は主を保育し、主に仕え、従い、倣い、そして御母として、娘として、浄配として、最も忠実な召し使い並びに友として行動しました。主の御姿、御話や御教えを喜び、御自分の功徳により勝ち得た恩恵を大切にされました。主が御昇天される時、主の最も愛しておられる御母を一緒に御連れし、そのまま天国に留まって欲しいと思われましたが、御二人とも人々に対する熱烈な愛情があり、御母が地上の教会を確固たるものとするために地上に戻られることに主は同意されました。しかし、御母と別れていることはとうてい考えられないことでしたから、御聖体の中に現存することにより、聖体拝領される御母の中に居続けられることになりました。御母に対する主の愛は、その他の人類全員に対する愛よりも強いのです。もしむ福音の中の羊飼いが九十九頭の羊を放置して、迷子になった一頭を探すのであれば、主の最も誠実な一頭のために他の羊たちから別れても不思議ではありません。御母の御日を御覧になると直ちに天より飛んで来られるでしょう(雅歌6・4)。

元后の御言葉

 人々が騙され、傷つくことの最大の原因は、感覚で感知したことに動かされ、直ちに決意し、理性による思考と判断をないがしろにすることです。感覚的に私たちを動かすものは、動物的な情欲や傾向です。傷つけられ、痛いと感じればすぐに復讐しに出かけます。他人の所有物が欲しくなると、不正な手段を取ります。目の色欲、体の情欲や名誉欲にかられて行動する人々が多いのですが、これらの欲は、世の中と悪魔の提供できる全てです。人々が盲目になり、騙されると、暗黒を光と思い、辛さを甘さと感じ、致死毒を霊魂の薬として服用し、悪魔的現世的無知そのものを智恵として尊びます。このような性質の悪い過誤に対して自分を守り、感覚により支配されないように。神から頂く内的知識と光にまず相談しなさい。神はいつも案内して下さいます。上司や先生に忠告を求めなさい。目上の人が居合わせなければ、目下の人に相談しなさい。情欲により盲目になっている自分の決意に従うよりももっと安全です。内緒で事を運ぶとか、状況や同僚に対する愛徳に動かされて公にものを決める時の規則です。人々との付き合いで危ない海を渡る時、内なる光の北極星を見失うことのないように。

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