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第七書・第一章

聖霊御降臨。聖母マリアは聖書を直観視する

 聖母がそばにおられ、励まして下さるので使徒たち、弟子たちや信者たちは、慰め主なる聖霊を送って下さるという救世主の御約束を喜んで待ち望みます。人々は愛により一致団結しているので、違う考え、愛情や傾向が全くありません。思考と行動に於て一心同体です。聖マチアを使徒に選出する時も、教会の最初のメンバーたちの間で不一致の印は全くなかったのです。祈り、断食や聖霊待望に於て一致していました。悪い霊を追い散らすことにも一致していました。救い主の御死去以来、地獄に縛り果てて寝ころがっていた悪魔たちは、新しい迫害と恐怖が高間に集合している者たちの徳から起こって来ると感じました。キリストの教義と模範が弟子たちに影響を及ぼすと感じた時、自分たちの支配がくつがえされそうだと思えたのです。

 聖母は、聖霊御降臨の予定された時間を知っていました。我らの救い主の御復活後五十日目に聖霊御降臨となりますが、その日が近づくと、聖母には御言葉の人性が永遠の御父と相談しておられるのを幻視しました。御言葉は、聖霊が恩寵や不可視の賜物をもたらす以外に、目に見える形で聖霊が御降臨になるよう御父に願います。聖霊を見ることにより、世の中が福音の律法を称賛するようになり、神の真理を広める使徒たちや信者たちを励まし、主を迫害し、十字架の死まで主を嫌った人たちを怖がらせることになります。我らの救い主の願いは地上の聖母に支持されます。十字架の形に地面にうつむけになりながら、御母は聖三位の会議に於て、救い主の御要求が通り、聖霊が地への降臨を承諾される様を幻視します。

 ペンチコステ(聖霊御降臨)の朝、聖母は使徒たち、弟子たちや敬虔な婦人たち、総数約百二十人にもっと熱心に祈り、自分たちの希望を更新するように勧めました。第三時(午前九時)、全員が聖母の周りに集まり、熱心に祈っていると、大きな雷や大風が吹きすさむ音が、火または雷の明るさと混じり合って聞こえてきます。全ては高間の家に集中します。光が家を包み、神の火が人々全員の上に注がれます。百二十人、一人一人の頭の上に同じ火の舌が現れますが、この火の舌の中に聖霊が来られ、神の影響力と天の賜物で各人を満たします。その時、高間の人たちやエルサレム全体の人々が受けた効果は、人々の違いにより様々です。

 聖母は聖霊をお受けし、変容し、神により高められます。聖霊を直感的に御覧になります。聖母の受けた賜物は、その他の聖人全員が受けた賜物よりももっと多いのですや聖母の栄光は、天使たちや諸聖人の栄光よりも偉大です。聖霊が教会のため降臨され、教会を世の終わりまで導かれるように計り、計らって下さった主を讃美し、感謝することに於て聖母は、世界中の人たち以上になさったのです。聖母が比類のない素晴らしい被造物でありますから、神は世界を創造したかいがあったと考え、しかも、聖母に恩義を感じられるようです。なぜなら、御父は聖母を御父の娘とお呼びになり、御子にとっては御母であり、聖霊にとっては浄配であります。聖霊御降臨にあたっても、神は聖母に高い威厳を与えておられますし、聖霊のあらゆる賜物と恩寵が聖母の中に於て更新され、新しい効果と働きを起こしています。

 使徒たちは聖霊に満たされ、義化する恩寵と聖化する恩寵を頂いております。全員、各人の状況に応じ、上智、聡明、賢慮、知識、剛毅、孝愛、敬畏の七つの賜物を頂きました。この壮大な祝福のお陰で、使徒たちは新約の牧者となり、全世界に祝福を宣教する教会の創立者となり、仕事に励み、最も困難で骨の折れることも喜び勇んで全うすることになります。

 高間に於て聖霊を受けた弟子たちや信者も各自の教会内の役割に応じて異なる程度の賜物を頂きました。同様な違いは使徒たちの間にもあります。聖ペトロは教会を司牧するため、聖ヨハネは天地の女王である聖母に仕えるため、特別の御恵みを頂いております。聖ルカの聖福音には、高間の家全体が聖霊により満たされたと書いてあります。中に集合した幸せな人々だけでなく、家自体が素晴らしい光と輝きに満たされたのです。不思議と驚異は有り余り、家の外に溢れ出て、エルサレムと近郊の住民たちに種々の効果を起こしました。何らかの信心があり、我らの救世主イエズス・キリストの御受難と御死去に同情し、主の拷問を批難し、主の聖性を敬った者たちは、内的に新しい光と恩寵を頂き、後に使徒たちの教義を受入れることになります。聖ペトロの最初の説教で改宗した者たちは、主の御死去を悲しみ、そのような祝福を受ける功徳を積みました。エルサレムの他の義人たちは、心の中で大いなる慰めを受けました。

 以上の事実に負けない大きな効果は隠されています。恐ろしい落雷、稲妻と嵐が聖霊降臨と共に起きた時、市内の主の敵たちを震え上がらせました。主の死刑を主張した人たちや主に激怒をぶつけた者らの罰は特に明らかでした。これらの人々全員は地にうつぶせになり、三時間身動きできませんでした。主を鞭打ち、主の血を流した者たちは、自分たちの静脈から血が突然流れ出し、気道を塞ぎ、息ができなくなりました。主の御顔を平手打ちにした厚かましい召し使いは、突如死んだぼかりか、体も霊魂も共に地獄へ投げ落とされました。他のユダヤ人たちは死を免れたものの、激痛と重病に見舞われました。これらの病気は主の御流血のためであり、子孫にも伝わり、現在に於ても恐るべき病気として子孫を苦しめています。これらの事態はあまり重要ではないので、使徒たちも福音史家たちも記録を残していませんし、市の大多数の住民たちもすぐ忘れてしまいます。

元后の御言葉

 私の娘よ、愛そのものである聖霊の御降臨は、主の愛によるものであり、当時、使徒たちと周囲の人々に御降臨になったことは、同じ恩恵が教会内の他の子供たちにも、望む限り与えられることを誓約しています。私たちの時代には聖霊は目に見えませんが、大勢の義人たちに来て下さいます。心の中に於ける効果は、各人の心の状態によって違います。

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