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第三書・第三章

至聖なるマリアのエリザベト訪問

 聖マリアは立ち上がり、山村に急ぎ行き、ユダの市へ向かいました(ルカ1・39)。「立ち上がる」という叙述は、聖マリアの頓に見える行動だけではなく、聖マリアの霊魂の動きと神の命令を意味しています。ダビデの言葉(詩篇123・2)のように、女主人の動きを注視し、命令を待つ婢として聖マリアは、いと高き御方の足許から立ち上がりました。聖エリザベトの胎に宿っている御言葉の先駆者(洗者聖ヨハネ)を聖別することがこの旅の目的でした。山岳地帯にあるユダの聖ザカリアと聖エリザベトの家に向け、聖マリアと聖ヨゼフは旅立ちました。ナザレトから約百二十五キロの行程で、道の大部分はゴツゴツしており、所々で道がなくなっていて、きゃしやで力が弱い王女には無理でした。この険しい道で助けてくれるものは一頭のロバだけでした。王女はロバに乗って進みました。このロバは王女だけのためでしたが、王女は何回も降り、聖ヨゼフに代わるように勧めました。分別のある夫は決して王女の提供を受けつけませんでしたが、時々この天の王女を歩かせ、決して疲労困優しないように注意しました。歩いて少しすると、夫は王女に対し心から尊敬の気持ちを表し、ロバに乗るように勧め、王女は従いました。二人は人間と道連れになりませんでしたが、千位もの天使たちが至聖なるマリアの護衛についていました。天使たちの姿は聖マリアにしか見えませんでした。聖マリアは野原や山々に御自分の甘い芳香や、絶えず心に思っている神の讃美を充満させました。天使たちと話したり、交互に、神、創造、受肉の玄義についての讃美歌を歌いました。原罪の汚れなき御心は神の愛の熱烈さで燃えました。聖ヨゼフは沈黙を守り、愛すべき妻の霊魂の活動を見守りました。深く黙想しながら、妻の霊魂の思いを知ることができました。

 ある時は、二人は霊魂の救い、主の慈悲、救世主の来臨、主についての預言やいと高き御方の秘儀について語り合いました。聖ヨゼフは、純潔で聖なる愛により妻を愛しました。聖ヨゼフは最も高貴で礼儀正しい性格で、魅力のある振る舞いをしました。熱心に聖マリアのことを気遣い、疲れていないかどうか度々問い質しました。天の女王が胎内に御言葉を宿していたことを知らずに、聖ヨゼフは愛すべき女王の言葉から出る何かを経験していました。神の愛に燃え、会話により秘儀を知り、全身全霊がこの内的光により刷新霊化されました。話を進めれば進めるほど、聖ヨゼフの愛は強くなり、神の熱烈さにより自分の意志を燃やし、心を愛で満たすものは妻の言葉であることに気がつきました。四日旅を続け、二人はユダの町に着きました。福音史家聖ヨハネはユダと書きましたが、批評家たちは、それは町の名ではなく、郡の名であると考えます。エルサレムの南にある連山をユデアというのと同じ理由からです。実はキリストの死後何年かたってユダ町は亡び、学者たちはユダ町を見つけられなかったのです。私はユダの町が正しいと聖マリアから教わりました。

 聖ザカリアの家の前につくと、聖ヨゼフは先に行き、声を掛けました、「主があなた方のそばにおられ、あなた方を恵みで満たされますように。」 聖エリザベトは、ナザレトの聖マリアが自分の所に来るために旅に出たという幻視を既に見ていました。この天の貴婦人がいと高き御方の御日にとって一番喜ばしい方であることも知らされていました。聖マリアが神の御母であることは、二人だけになった時、聖エリザベトは知りました。「主はあなたと共におられます、私の親愛なる従姉妹よ」と挨拶する聖マリアに聖エリザベトは答えました、「私に会うために来て下さったことで、主があなたに報われますように。」 挨拶の後、家に入り二人きりになった時、聖マリアは言いました、「神があなたを救い、恩寵と長命を賜いますように、私の親愛なる従姉妹よ」(ルカ1・40)。これを聞いて聖エリザベトは聖霊に満たされ、最も高揚された神秘が判りました。聖エリザベトだけでなく、胎内の聖ヨハネも感動したのは、実は聖マリアの御胎内の御言葉の存在のためでした。受肉した御言葉は聖マリアの声を道具として使い、救世主としての御言葉は、霊魂の救いと義化のため、永遠なる御父から与えられた力を胎内から発揮し始めました。御言葉は人間として活動しますが、受胎後、まだ八日しか経っていない人間として御父に祈願しました。将来の先駆者の義化の願いは聖三位一体から聞き入れられました。

 この祈願は聖マリアの挨拶よりも前に主に捧げられました。神は聖エリザベトの胎内の赤ちゃんを見、理性の活動を与え、神聖な光により、赤ちゃんがじきに受けることになっている祝福についての予告を与えました。この準備と共に、赤ちゃんは原罪から清められ、聖霊の最も豊富な恩寵と充分な賜物で満たされ、諸能力は聖化され、理性に従い、大天使ガブリエルがザカリアに、息子は母の胎内で聖霊に満たされるであろう(ルカ1・17)と語ったことを真実にしました。同時にこの幸せな赤ちゃんは母胎の壁を透き通して見、受肉した御言葉がはっきり見え、跪いて自分の救世主・創造主を崇めました。赤ちゃんは大喜びで飛び跳ねました。聖エリザベトは胎動を感じました(ルカ1・44)。二人の母たちが話している間、この赤ちゃんは信・望・愛、礼拝、感謝、謙遜やその他の諸徳の務めを達成しました。この瞬間から赤ちゃんであるヨハネは功徳を積み始め、聖性を成長させ始め、決して聖性を失わず、恩寵の生き生きした力のお陰で聖性の行為を決して中止しませんでした。

 聖エリザベトは受肉の神秘、我が子の聖化、この新しい奇跡の神秘的目的を教えられ、至聖なるマリアの乙女としての清純さと威厳に気がつきました。この天の女王は、神と御子の行なわれる神秘の幻視に没頭し、全く神々しくなり、神の賜物の透明な光に包まれました。女王としての威厳に満ちた聖マリアが、聖エリザベトの目の前におられたのです。神の神秘を見聞きして聖エリザベトは感嘆し、聖霊の喜びに浸りました。世界の女王と御胎内の赤ちゃんを見て、彼女は讃美の言葉を叫びました。「御身は女の内にて祝せられ、御胎内の御子も祝せられ給う。我が主の御母が訪れ給いしは我が主の御配慮ならん。御身の御挨拶が響くやいなや、我が胎内の幼児は喜びて跳べり。倍ぜし御身は祝せられ給う。主の御身に話し給う全ては成就すべきなり。」 至聖なるマリアの貴い特権を預言した聖エリザベトは、主の御力が聖マリアに何をなさったか、これから何をなさるかを神の光により判ったのです。聖エリザベトの声は胎内の聖ヨハネにも聞こえました。二人は智恵と謙遜の御母がマグニフィカトを美しく優しく言い表すのを聞きました。(ルカ1・46-55)。

 「我が霊魂は主を崇め奉り、 我が精神は我が救い主なる天主によりて喜びに堪えず。 そは御召し使いの卑しきを顧み給いたればなり。見よ、今よりよろず世に至るまで、人われを幸いなる者ととなえん。 けだし全能にまします御者、我に大事をなし給いたればなり。 聖なるかな、その御名。 その御あわれみは、世々これをおそるる人々の上にあり。 自ら御腕の権能を現わし、おのが心の思いにおごれる人々を打ち散らし、 権力ある者をその座より降ろし、卑しき者をば高め、 飢えたる者を佳き物に飽かせ、富める者をば手を空しうして去らしめ給えり。 御あわれみを忘れず、その僕イスラエルを引き受け給い、 我らの先祖に宣いし如く、そをアブラハムにも、その子孫にも世々限りなく及ぼし冶わん。」

 この讃美の歌を聞いた最初の人として聖エリザベトは、それを理解した最初の人でした。

 聖マリアは、神によって見、各人が栄え、喜ぶのは、神のみが全人類の完全な幸福と救いであること(二コリ10・17)を語りました。いと高き御方が遜る者を優遇し、神の光を惜し気もなくたくさん送って下さる(詩編138・6)ことを明らかにしました。聖マリアの頂いた賜物を知り、理解することは、人間にとってどれほど価値があるかを聖マリアは納得しました。全ての謙遜な者が一人一人の器を満たす同じ幸せを頂くのです。聖マリアの頂いた慈悲、恩恵と祝福は「大いなる事」です。決して小さくありません。

 天の門である聖マリアを通して、私たち人類はいと高き御方の慈悲を受け取り、神の国に入ります。高ぶる者を引きずり降ろし、遜る者を代わりに高座に引き上げる主の正義は、高慢なルシフェルと部下の天使たちを天から蹴落としたことで発揮されました。空虚な誇りは求めるべきではないし、求めても得られないのです(イザヤ14・13)。

 聖マリアと聖エリザベトが二人だけの会話をした後、二人は皆の居間に出てきました。聖エリザベ卜は自分自身、所帯全員と家全部を聖マリアに提供し、静かな奥まった部屋を聖マリアに見せました。ここで聖マリアは謙遜に感謝して、自分の部屋として使うことになりました。お返しとして自分の訪問は、聖エリザベトの召し使いとして働くためであることを述べました。その時はもう夜になっていました。聖マリアは、自分の前にいる聖ザカリアに祝福を願いました。彼が神により唖になっていることを知り、それを治そうとはしませんでした。聖ヨゼフは、聖エリザベトの歓待を受け、三日間滞在した後、聖マリアをそこに残し、ナザレトへ戻ることになりました。聖エリザベトがたくさんの勝り物を下さったのですが、はんの一部だけ受け取り、感謝しました。ロバもー緒に連れて帰りました。ナザレ十の家では、近所に住む自分の従姉妹から世話してもらい、自分の仕事に精を出しました。

 聖マリアはいと高き御方の命令に従い、以前の習慣の通り真夜中に起き上がり、神の神秘を何時間も黙想しました。眠る時間もとり、自分の体調に合わせました。仕事と休息を続けながら、新しい恩恵、啓示、高揚や愛を主から受けました。この三か月間、神の幻視を何回も見ました。降臨により人性と一致した御言葉の幻視が一番多くありました。聖マリアの乙女である胎が、絶え聞ない祭壇、至聖所となりました。神の力の渡しない野原の中で、聖マリアに示された秘儀により、この高揚された貴婦人の霊魂は広大にふくらみました。主の御力によって強くならなければ、愛の激しさのため、何回も聖マリアは燃え尽き果てたかもしれません。

 手仕事の間も心の中で主にお願いし続けました。偉大なる女王は、先駆者聖ヨハネの産着や布団を縫いました。母である聖エリザベトは、この幸運を我が子のために謙遜に頼んだのです。聖マリアは驚くべき愛と謙遜で従姉妹の聖エリザベトに従いました。謙遜さに於て聖マリアは誰にも負けませんでした。永遠の御言葉の教えを実践したのです。御子は真の神でありながら僕になり(フィリッピ2・6)、聖マリアは神の御母、全被造物の女王でありながら、最も低い人間の召し使いになり、生涯、召し使いで居続けました。この天の物語は、我々の誇りに対する戒めです。私たちは世間の評判を気遣い、理性をほとんど全部なくします。世間から名誉を受けなくなると、理性を完全に失い、気違いになります。

 御母マリアが極みまで遜り、蔑まされるのを心から喜んでいるのを見ておられる主は、御母が全被造物の前で名誉を受け、尊敬されるように取り測ろうと思えばできたのです。御母が賤しい仕事につき、何も命令できない立場にいることは不公平でしょう。しかし、これは普通の人の考えであり、諸聖人には通用しません。

 正義の太陽の前に現れ、恩寵の律法の待ちこがれた日を宣言する暁の星の時がやって来ました(ヨハネ5・35)。預言者よりも偉大であると称され、小羊を指さす(ヨハネ1・29)洗者聖ヨハネは、世の救いのため準備します。聖エリザベトの胎内にいる間に、この赤ちゃんには完全な知性があり、受肉された御言葉のそばにいて、神の知識を頂きました。

 聖エリザベトから頼まれて、天の女王は産まれたばかりの聖ヨハネを腕に抱き、永遠の御父に捧げました、「いと高き主なる御父、御子の御業を懲らす赤ちゃんを捧げます。この赤ちゃんは御子により、原罪の結果と昔からの敵(悪魔)から救われました。この赤ちゃんが聖霊により満たされ、御身と御独り子の忠実な僕となりますように。」 聖霊に満たされた至福の赤ちゃんは、自分の女王に対し、心の中の尊敬をお辞儀をして表しました。女王の胎内の御言葉をもう一度崇めました。

 この赤ちゃんの割礼の日が近づくと、親戚の人が集まり、名前を決めることになりました。聖エリザベトの奇跡的出産は、神の偉大な御業であると皆は感じていましたし、神秘の勉強や天の女王との交流により、その霊魂は刷新聖化されて顔が輝き、魅力があり、神々しくなっているのを皆は気づきました。人々はザカリアに合図すると、唖の彼は筆をもらい、板の上に書きました、「子供の名前はヨハネ。」 この瞬間、至聖なるマリアは彼が唖から解かれるように心の中で命令しました。ザカリアが話し始め、集まった人々を驚かせました。聖霊と預言の賜物に満たされ、聖ザカリアは言葉をほとばしらせます(ルカ1・68-79)。

 「主なるイスラエルの神を讃えよ。 主は御自ら訪れてその民を解放し、我らのため、しもベダビドの家に力強い救いを起こされた。 古くから、聖なる預言者の口を借りて言われたように、我らを敵から、憎む人々全ての手から救い出すために。 主は我らの先祖を憐れみ、その清い御約束を思い出され、父アブラハムヘの誓いを忘れず、我らを 敵の手から救い、主の御前に、生涯、聖と義をもって、恐れなく仕えさせ給う。 幼子よ、あなたはいと高き者の預言者といわれる。なぜなら、罪の赦しによって救いの来たこと を、その民に教えるからである。 それは、我らの神の深い憐れみによる。 そのために、朝日は上から我らに望み、闇と死の影に座る人々を照らし、平和の道に導き入れる。」

 約三ヶ月間の聖マリアの滞在が終わる頃、聖エリザベトは聖ヨゼフを呼び出しました。聖ヨゼフが到着したとき、聖エリザベトと聖ザカリアは、聖ヨゼフをイエズス・キリストの守護者として心からの尊敬を示しましたが、聖ヨゼフはそのことをまだ知りませんでした。聖マリアは聖ヨゼフの前に鵜き、夫を疎かにしたことを詫びました。これは謙遜の礼儀正しい愛すべき行為です。二、三日後、お別れにあたり、聖ザカリアは神の御母に言いました、「私の女主人よ、御身の創造主を永遠に誉め称えなさい。主は御身を全ての被造物の中から神の御母として、主の偉大なる祝福と秘跡の全ての保管者として選びました。神が、御身の僕である私にこの世の流浪を平和の内に導き、永遠の平和に到達させて下さるよう、神の御前で思い出して下さい。私が神に会えますように。私の家族、とりわけ息子のヨハネのことを思い出し、また御身の家族のため神に祈って下さい。」

 聖マリアと胎内の御言葉の滞在のお陰で、ザカリアの家の全員の品性が高められました。出発にあたり、聖マリアは聖ヨゼフの前に跪き、祝福を願いました。そうするのが聖マリアの習慣であったからです。

元后の御言葉

 聖ザカリアが預言したのは祭司として当然でした。祭司職の威厳と名誉が重んぜられるべきことは、いと高き御方の御旨です。世間は、司祭が選ばれた者、香油を塗られた者として尊敬すべきです。主の神秘は司祭に対し、もっとよく打ち明けられました。司祭が威厳ある生活をするならば、司祭の仕事はセラフィムや他の天使たちの仕事のようになります。司祭の顔は主と話したモーゼのように光り輝くべきです。司祭は地上に於けるキリストの代理者です。

 今日の話しの締めくくりとして、主の愛は誠実、聖、純で持続性があり、私たちを遜らせ、平和にし、照らすことを述べます。これに反し、世間のお世辞は虚無で、一時的、ごまかしで嘘です。嘘つきの口から出てきます。ごまかしは全て私たちの敵のすることです。

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