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第三書・第二章

神の御子の受肉

 聖マリアの準備が整い、救いの時が来たことを王なる主が全天使に宣言した時、全天使は新しい讃美歌、シオンの聖歌を繰り返し歌いました、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主なる神(イザヤ6・3)。いと高き所に在します我らの神なる主、御身は正しく、力あり(詩篇113・5)。地上の卑しき者たちを顧み給えり。御身の御業は誉むべきかな。御身の御旨は高遠なり。」

 最高位天使ガブリエルは神命を拝し、見える姿になった最も美しい何千もの天使たちと共に最高天より舞い降りました。天使たちは最もハンサムな若人たちでした。聖ガブリエルは輝き、重厚で威厳があり、動作が優雅で力のこもった話し方をし、他の天使たちよりももっと神々しく見えます。彼は輝く王冠をかぶり、色とりどりに輝く着物を着て胸にはきれいな十字架があります。この十字架は御受肉の神秘を示します。天使たちはガリラヤの町ナザレトにある至聖なるマリアの家に向かって飛びます。この粗末な小屋には聖マリアの小さな部屋があり、家具が見えません。天の王女はこの時十四歳でした。九月八日の誕生日から六ヶ月と十七日が過ぎていました。

 天の元后の御体は均整がよくとれており、同年の少女より背が高く、極めて優雅で全身完全です。御顔は少し面長で痩せてもいず、粗野もなく、きれいな肌で少し褐色がかっており、広い対照的な額があり、眉毛は完全な弓なりで、御目は大きく真剣で、筆舌を絶する美しさと鳩のような甘美さがあり、御鼻は真っ直ぐで上品であり、御口は小さく、薄くもなく厚くもありません。どのような人よりも美しいです。聖マリアに会うと、喜び、真剣さ、愛、畏敬を感じます。

 聖マリアの着物は粗末で貧弱ですが、清潔で灰色がかっています。天の使いたちが近づきつつある時、聖マリアは九日間の啓示について深く黙想していました。主は、御独り子がもうじき天より降り、人間となることを聖マリアに請け合いました。その成就を心から願うこの偉大なる元后は、謙遜な愛を持って独り言を言いました、「永遠なる御父の御言葉が産まれ、人間と話すその時が本当に来たのでしょうか? 世の中にその御方がいて、御姿が見られるのでしょうか?(イザヤ40・5)。暗黒に住む者たちを照らすのでしょうか?(イザヤ9・1)。ああ、誰がその御方に会う価値があるでしょうか! 御足が踏まれた地面を誰が接吻することを許されるでしょうか!」

 「喜べ、諸天よ。慰めよ、地よ(詩篇96・11)。その御方を崇めよ。その御方の幸福は近い。ああ、罪に汚れたアダムの子孫よ、汝らは我が愛する者の被造物なり。頭を上げ、昔の奴隷の軛を投げ棄てよ!(イザヤ14・25)。古聖所に抑留され、アブラハムの胸の中で待っている祖先、預言者や義人よ、汝らは慰められるであろう(シラ2・8)。待ちに待った救世主は、もはやぐずぐずしておられないであろう! 皆で主を讃え歌おう! この御方が自分の御母と指さす女の方の奴隷に誰がなるであろうか?(イザヤ7・4)。ああ、エマニュエル、真の神にして真の人! ああ、閉められた天の扉を開けるダビデの鍵!(イザヤ22・22)。ああ、永遠の智恵、新たなる教会の律法者! ああ、主よ、来たり給え。御身の民の捕囚を終わらせ給え。全人類に御身の救いを示し給わんことを!」(イザヤ40・5)。

 黙想に耽る聖マリアの部屋に人の姿をした天使たちが入りました。木曜日の夕方でした。謙遜な王女は、聖ガブリエルの見分けがつきましたが、伏し目にしました。聖なる天使は自分の女王に対し、深く御辞儀をしました。アブラハムが天使にお辞儀したように、人間が天使に礼を尽くすという昔からの習慣がこの日から変わったのです。御言葉の人性により、人性が神の威厳にまで引き上げられたので、人間は養子の地位をもらい、天使たちの兄弟となりました。天使が福音史家聖ヨハネにより崇められるのを拒否したのです(黙示19・10)。

 聖なる大天使は挨拶しました、「めでたし聖寵充ち満てるマリア、主は御身と共に在します。御身は女の内にて祝せられ給う」(ルカ1・28)。この挨拶を聞いて聖マリアは当惑しましたが、混乱していませんでした(ルカ1・29)。当惑は、自分が最も卑しい者と思っていたのでこのような礼辞を考えていなかったことと、どのように応対してよいか考え始めたからです。その時、神が神の御母として聖マリアを選んだことを聖マリアの心の中に話されたので、ますます驚いたのです。天使は主の宣言を説明します、「恵まれた方、恐れるな。御身は主の恩寵を得た(ルカ1・30)。見よ、御独り子を懐胎し、出産し、イエズスと名付くべし。御子は偉大にして、いと高き御方の御子と呼ばれるべし。」

 この新しい未聞の秘儀の真の価値を理解できる方は、私たちの思慮深く謙遜な女王以外にはいません。聖マリアがこの秘儀の偉大さを実感すればするほど、もっと讃嘆の気持ちが起きました。聖マリアは自分の謙遜な心を主に挙げ、教えと助けを願いました。いつもの恩恵や内的高揚は中止されたので、普通の人間と同じように、信望愛をもってあたるしかありませんでした。聖マリアは聖ガブリエルに答えて言いました、「私はどのようにして妊娠するのでしょうか? 私は男を知りませんし、知ることができません。」 この時、聖マリアは乙女の誓願を結婚前にも結婚後にも主に対して行ない、主に祝福されたことを無言で主に話しました。

 聖ガブリエルは答えました(ルカ1・35)。「私の女主人様、男の協力なしに御身を妊娠させることは、神にとって容易なことです。聖霊が御身の上に留まり、いと高き御方の力が御身を覆います。聖者中最も聖なる方が御身より産まれ、神の御子と呼ばれます。御覧なさい、従姉妹エリザベトも長年の不妊の後で男児を懐妊して、今は六か月日です。神にとり不可能なことはありません。産まず女を妊娠させる御方は、御身を御自身の御母とし、しかも御身の乙女を保存し、純潔を増大されます。」

 聖マリアは御旨に従って答えるよう考えを巡らしました。聖三位一体の約束、預言、最も効果的な犠牲、天の門の開通、地獄に対する勝利、全人類、神の正義の充実、人間の光栄、天使たちの喜び、そして御父の御独り子が自分の胎内で僕の姿をとることに関係する全ては、聖マリアの承諾(フィアト)にかかっていることを黙想しました。これら全てを全能者が謙遜な少女に委せたのです。この勇気ある乙女の賢く強い決定に委せたのです(箴言31・11)。御自分に関することは被造物の協力に依存しませんが、外的な御業は被造物の関与を必要とします。つまり、御子の受肉は聖マリアの自由意志による承諾なしには行なわれません。

 この偉大な婦人は、神の御母の威光(箴言21・16)について深く考えました。聖マリアの霊魂は神の愛の畏敬に没頭しました。この時の激しさにより、聖マリアの至純な心臓が強く収縮し、圧迫されたので、三滴の御自身の血液が絞り出され、胎に向かって移動し、聖霊の御力により、我らの主キリストの御血になりました。御言葉の人性を形成する基の実質が聖マリアの心臓により造られた瞬間、謙遜に頭を少し傾け、両手を組み合わせ、聖マリアは「仰せの如くなれかし」(ルカ1・38)と宣言しました。

 「フィアト」の宣言により、四つの事態が同時に起きました。第一、我らの主キリストの至聖なる御体が、前述の三滴の血により造られました。第二、キリスト御自身の至聖なる霊魂が、他の人間の霊魂と同様に創造されました。第三、この霊魂とこの身体が結合し、御子の完全な人性となりました。第四、神は御自分を人性と一致させ、御降臨による一致となりました。かくして、真の神人なるキリスト、我らの主なる救世主が形成されました。三月二十五日のことです。世界史の五一九九年目にあたります。アダムの創造されたのも三月でした。こうしていと高き御方の御業は完成しました(申命32・4)。神の御子は聖マリアの御胎内で聖母の血により栄養をもらい、自然に成育していきました。聖母は原罪の汚れなく、諸徳の実践に励みましたので、御体の血と他の体液が御子の成育に必要なものとなり、最も清いものとなりました。

 我らの主キリストの至聖なる霊魂は、神性が人性に結合しているのを見、神性を愛し、人性の劣りを知りました。謙遜の内に霊魂を創造し、神性に一致させることにより、神にまで引き上げて下さった神に感謝しました。自分の至聖なる人性が苦しむこと、救世の獲得のため適応することを知りました。人類のための犠牲となり救世主として自分を捧げました(詩篇40・8)。自分と人類の名に於て永遠なる御父に感謝しました。諸徳の完成により、自分の人性の実質を形成した御母を永遠の御父が創造したことを感謝しました。キリストは至聖なる御母と聖ヨゼフの救いのため祈りました。神人としての祈りの一つ一つは無限の価値があります。従順の行為一つだけでも私たちの救いに充分です。人間に対するキリストの愛は無限で、愛そのもの以外の何物によっても満足できません。愛がキリス卜の命の目的であり、愛の印として自分の命を使い尽くすのです。このことは人間にも天使にも理解できません。キリストが世の中に来られたという瞬間が、世の中を測り知れないほど豊かにしたので、三十三年間の労働の後、御受難と御死去により、私たちに遺した功徳はどれほど偉大でしょうか? ああ、無限の愛! ああ、最も寛容で親切! ああ、測り知れない慈悲! それに比べ、人間の忘恩! 主の御苦労を私たちは粗末にします。

 我らの主キリストの妊娠の一瞬の次の一瞬、聖母は明瞭に神性の降臨による人性との一致の神秘の幻視を見ました。至聖三位一体は、真理のあらゆる確実性に於て、神の御母の称号と権利を確認しました。御子は確かに人間であり、確かに神ですから、御母は御子の実母であり、神の御母です。御母は御子となるべき実体を提供し、男の助けなしに母となるにあたって神の関与がありました。神の関与は普通の妊娠による生命の開始にも必要であることを考えましょう。

 御母は、御父の御独り子の御母としての役目を遂行するため、全能者の指示を一生懸命お願いしました。全能者は答えられました、「私の鳩よ、恐れるな。私が助け導こう。」 この約束を聞き、御母は恍惚の境地に入りました。我に返るやいなや、御母は平伏し、至聖にして神人なる御子を崇めました。その時以来、新しい神の影響が御母の上に起こり、御母は一層神々しくなりました。

元后の御言葉

 私の親愛なる娘よ、私の胸の中に燃える愛を何度も汝に打ち明けました。幸いなるかな、いと高き御方の御旨を聞く者よ。更に幸いなるかな、御旨を遂行する者よ。人間に対し神は、福音書、聖書、秘跡、聖なる教会の律法、諸聖人の書き物や模倣や司祭の案内を通して、永遠の幸福に至る道を教えました。「司祭の話しを聞く者は私に聞く。司祭に従う者は主に従う」と、王なる主は言われました。謙遜と従順の翼をつけ、空中を飛ぶように早く、命令を実行しなさい。

 この他の指示は、いと高き御方が直接に霊魂に教えます。これには諸々の程度があります。主は秤りにかけて光を分配します(智恵11・21)。主は心の中に命令を下したり、説明、訂正、助言したり、心を動かして主に質問させたり、望みを打ち明けたり、神秘を鏡に映し出したりします。この偉大で無限の善なる主は優しい命令を出し、従順な者を力強く助け、実行に必要な情勢を設定して下さいます。

 この超自然の示しを受けるため、汝は注意深くなり、義務遂行を早く勤勉にしなければなりません。汝の霊魂がこの世の汚れから清められ、主の御旨のままに生きなければなりません。神の秘密に注目しなさい(イザヤ34・16)。耳を傾け、見える物事から心を離しなさい(詩篇45・11)。愛を育てなさい。汝の心が準備すれば、愛の効果が出てきます。霊魂が小羊の血の無限の価によって買い戻され、永遠の救いを得たことを記憶しましょう。汝自身の卑しさ、恥、無用さなど心配しないで下さい。いと高き御方は富んだ者、強力偉大で何でもおできになります。

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