このページは校正していません。
正確さのためには PDF版 をご利用ください。

第四書・第一章

聖ヨゼフの婚約者との離別の決意

 妊娠五か月日になって、聖ヨゼフは聖マリアの体の変化に気づきました。ある日、聖マリアが祈り部屋から出てきた時、聖ヨゼフは、もっと特別にこの変化を知り、聖マリアの妊娠を見て自分の聖マリアに対する愛と純潔が傷つきました。自分が聖マリアの妊娠の原因ではないことは確かでした。この事実が世間に知れたら、不名誉なことです。姦淫の事実を聖ヨゼフは祭司たちに報告する義務があります。報告すると姦淫者は、投石の死刑になりますから、聖ヨゼフは報告をしたくありませんでした。一方、聖ヨゼフの「嫉妬はとても強かった」(雅歌8・6)のですから、どれほど苦しんだことでしょう。神に一生懸命祈りました。「今まで聖マリアの謙遜と諸徳を疑ったことはありません。今や、彼女の妊娠を疑えません。彼女が私に不貞を働き、御身の掟に背いたと考えるのは、彼女の純潔と聖性を知る私には無理です。私が目撃することを否定することもできません。私の理性は、彼女が批難さるべきでないと言いますが、私の目は彼女の罪を見ます。彼女は妊娠について何も言いません。私は悲しくて死にそうです。この悲しみを犠牲として神に捧げます。私の心を御身の光で照らして下さい。」 自分の知らない神秘があると聖ヨゼフは思いましたが、聖マリアが救世主の御母であるかもしれないとは夢にも思いませんでした。聖マリアは、そのことを聖ヨゼフに告げよという天の命令を受けていませんでした。真相を知らさずとも聖ヨゼフを宥め、安心させることはできましたが、賢慮と謙遜により、ただただ、前よりも一層の愛を込めて聖ヨゼフを主人として仕えました。聖ヨゼフは、彼女が食卓で食物を置いたり、彼の身の回りの世話をしてくれるのを身近に見て、彼女が妊娠している事実をますます明牒に見せつけられ、心から動揺し、彼女に対する畏敬の念と愛を決して失わなかったものの、心の悲しみと辛さは彼の言葉のはしはしに出てきました。彼がついに密かに離別を決心した時、聖マリアは悲嘆の涙にくれ、天使に訴えました、「いと高き王の召使いたち、私の守護者として神の命令に従う聖なる天使たちよ、私の夫、聖ヨゼフの苦しみを慈しみ深い神に訴えて下さい。主が彼を慰めて下さいますように。無限なる神に対し、私の胎内で人性を得る神に向かい、私の最も忠誠なる夫を苦しみからたった今救い、私を見棄てるという決心を止めるように、御身に心からお願い申し上げます。」 このメッセージを受けた選ばれた天使たちは、直ちに聖ヨゼフに教えました。聖ヨゼフが彼女の過ちを信じられないこと、神の御業は理解できないし、神の判断は隠されていること、神は神を信頼する者たちに対し、いつも忠実であること、決して困っている忠義者たちを見棄てないことを言い聞かせたのです(詩編34・18)。これを知り、聖ヨゼフは少し安心しましたが、自分の悲しみの原因が目前にある限り、何の保証も見出せないし、霊魂を鎮めるものもないし、妻から離別するしかなくなりました。聖マリアは、このことに気づき、この危険を何とかして回避しなければならないと大決心をしました。胎内の御子に訴えました、「我が霊魂の主なる神、私は塵と灰ですが、御身の目から隠せない私の嘆きを申しあげます。御身がめあわせた私の夫を助けるのは私の義務です。御身が送られた困難は、私の夫を打ちのめしています。私は黙っていられません。人類の救いのため、召し使いの私の胎に宿った御身が、御身の僕、聖ヨゼフを慰め、御業の成就のため、私を助けるような立場に聖ヨゼフを置いて下さい。私の守護者である夫が、私を一人ぼっちにしないように心よりお願い申し上げます。」 いと高き御方は答えられました、「我は私の僕、聖ヨゼフを慰め、この秘儀を天使たちにより伝えさせよう。その後で汝は彼に打ち明けなさい。聖ヨゼフは自分の立場を理解し、汝に協力するであろう。」 聖マリアは心から感謝し、聖ヨゼフが神を信頼することの試練を受けたことがよく判りました。

 その頃、聖ヨゼフはニヶ月間にも渡る混乱と苦難と闘っていました。その苦しみにうちひしがれ、彼には一つの逃げ道しかありませんでした。「聖なる妻の評判を傷つけ、妻を犯罪人にすることはできない、一方、私は妻とは暮らせない」と思い切り、真夜中に夜逃げすることに腹をくくり、主に報告しました、「我らの祖先アブラハム、イサク、ヤコブのいと高き永遠なる神、御身は悲しみ苦しむ者にとって、本当のただ一人の保護者です。私は潔白の身でありながら、悲しんでいることは御存知の通りです。私の妻が姦通者であるとは思いもよらないことです。彼女は完徳に達しています。しかし、妊娠しています。私は誰が、どのようにして、妻を妊娠させたか判らず、私の気持ちが休まる時がありません。妻の身の危険を避け、私も何とか悩まなくて済むように、私は砂湧に行き、一生涯隠れたいと思います。御身の御摂理に私を委せます。どうぞ私を見棄てないで下さい。」 聖ヨゼフは床に平伏し、聖マリアを神が人々から守って下さるよう、エルサレムの神殿に少しばかりの献金をすることを誓いました。

 神の御旨は正しく、聖であり、完全です。御旨について三つの説明を私は述べましょう。第一、聖ヨゼフは貿明で天の光に照らされていたので、聖マリアの胎内に御言葉が宿ったことを証拠立てる必要はなかったと思われます。第二、聖ヨゼフは自分の視覚に頼ったので、天使的視覚を持たず、疑うようになりました。第三は、第二によって引き起こされた苦しみです。

 ここに於て、この聖なる聖ヨゼフが視覚を正しく使い、聖霊の御働きを受入れるよう、浄められるように、天使が主の御旨を聖ヨゼフに伝言しました。聖ヨゼフは目が覚めると、妻が神の壷ハの母であると判りました。自分が授かった恵みに感謝の祈りを捧げました。平静を取り戻した聖ヨゼフにとり、二、三ケ日間の疑いと不安の体験は、謙遜を教え、生涯の教訓となりました。聖ヨゼフは祈りました、「ああ、私の天の妻よ、いと高き御方の御母として選ばれた御方、御身の価値なき僕が御身の忠実をどのようにして疑ったのでしょうか? 塵であり灰である私が、御身の奉仕を頂くことがどのようにして可能になったのでしょうか? 御身は天の女王で、宇宙の女主人です。御身の御足が踏んだ土に接吻し、跪いて御身に奉仕すべきでした。ああ、私の主なる神、聖マリアに赦してくださるようお願いする恩寵を与えてください。痛悔の悲しみにあるこの僕を、聖マリアが嫌いになりませんように。」

 至聖なるマリアは、聖ヨゼフが主の秘儀を信捜したことを喜びました。それと同時に、困ったことになったと思いました。聖ヨゼフの召し使いとして、従順に遜る機会がなくなりそうになったからです。謙遜の徳は一番大事にしていたものです。「私の主人なる夫よ、私こそ御身に赦しを請わなければなりません。私は御身を悲しませ苦労をかけさせました。私を赦して下さい。いと高き御方が私の祈りを聞いて下さったので、もう心配しないで下さい。私は御身に私の秘密を打ち明けることができませんでした。私の胎内にいる主の御名に於て、私への態度を変えないように心からお願いしほす。人々から仕えられるためではなく、人々の召し使いになるため、私は主の御母となりました。」 聖ヨゼフは恩寵の特別な啓示を措き、言いました。

 「幸いなるかな、御身は女の内にて選ばれたり。諸国民に先立ちて選ばれ、末永く幸いなるかな。天地の創造主は永遠に誉めまつらるべし。高き玉座にまします主は御身を見出し、御身を主の御住まいと選び給いしが故なり。苦の王や預言者との約束を守りしは主のみなり。全世代は主を誉むべし。聖マリア御身の謙遜に於てのみ、主の御名は高められたり。屑人間なる我を御身の僕に抜擢し給えり。」 これを聞いて聖マリアは、聖エリザベトの祝帝に答えたようなマグニフィカト(主の讃美)を歌いました。聖マリアは恍惚の中で燃え、この光景を見て聖ヨゼフは讃嘆と喜びの気持ちでいっぱいになりました。このような光栄にある聖マリアを見たのは、後にも先にもこの時しかありませんでした。天の王女の完全さと清純さと、幼子である神の人性が聖マリアの胎内に宿っていることが、聖ヨゼフに明らかになりました。聖ヨゼフは主を自分の救世主として崇め、主から主の養父という称号を頂きました。智恵と天の賜物の数々も頂きました。

元后の御言葉

 私の娘よ、私の言葉の一部を書き記しました。私の言葉全部を汝の鑑として使いなさい。私の良い生徒として実行しなさい。私の夫、聖ヨゼフの謙遜な奉仕や御旨への従順を見習いなさい。

 今回、いと高き御方が人間に対して怒っておられることを知らせましょう。批難の原因は、人間がお互いに謙遜ではなく、愛し合わないという非人間的邪悪です。第一、人々は天にまします同じ御父の子供たちであり、御手により造られ、同じ人間性を与えられ、御摂理により生存し続け、主の御体と御血により養われているのに、これを忘れ、地上のつまらないことにうつつを抜かし、理由もなく興奮し、怒り狂い、喧嘩し、最も劣悪な仕返しをお互いに繰り返します。第二、人間の弱さと自己放棄のないことから、悪魔の誘惑に負け、過失を犯し、お互いを赦そうとはしません。お互いの仕返しよりももっと早く主の審判が下るでしょう。第三、他の人たちが和解を求めてやってくるのに、はねつけます。王なる神の満足することで満足しません。このような人たちが、傷ついた神に対し謙遜になり後悔し、罪の赦しを得るように願いなさい。

 お互いの罪を赦し合わないほど大きな罪はありません。そのような人たちは、首に粉ひきの石臼をかけられ、海に投げ込まれた方が良いでしょう。私の至聖なる御子は助言しました。両目がえぐり取られ、両腕を切り落とされる方が、小さき者たちに対する罪を犯すよりも良いと。

ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ