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第一書・第六章

原罪の汚れなき受胎

 神の御意志が全被造物の不可欠な源です。万物の存在の条件も状況も神の御命令通りになっています。何事も神意から外れません。万物は、神(父)と人となられた御言葉の光栄のために造られました。神が人間のレベルに降下し、人間と共に住むようになることは最初から神の計画されていたことです。その計画は、人間が神の方に引き上げられ、神を知り、畏怖し、求め、仕え、愛し、讃え、神のおそばにいることを永遠に喜ぶべきことを設定しています。その時機が到来したことは三位なる神の次のような御言葉からはっきり判ります、

 「今こそ我らの秘儀を始める時である。純粋な被造物を造り、他のいかなる被造物よりももっと高い位を与えよう。恩寵の偉大なる宝を与えよう。その他のあらゆる人間は、恩を忘れ、反逆し、人祖と同様に我々の計画を邪魔しようとしているから、全く聖にして完全な女を造ろう。原罪の汚れが全くない女である。我々の全能の仕事を完成し、創造の最後に冠を飾ろう。人祖の自由な意志と決定のため、あらゆる人間が罪人となった(ロマ5・12)が、彼女は人間が失ったものを取り戻す。天使や人間に与えられた元々のあらゆる特権と恩寵は彼女のものである。この第一の命令は違反されることなく、我々の選んだただ独りの人間が実行することになる(雅歌6・8)。死ぬ運命にある人間が服すべき普通の法律によって彼女を縛らない。蛇は彼女に手出しすることができない。私が天より降り、彼女の体内に入り、彼女から人性をもらうからである。」

 「我々が最も適切で完全で聖なる者を見損ない、劣悪な者を選ぶことはない。何事も我々を妨害できないのである(エステル13・9)。人となり、人を救い、教える御言葉は、恩寵の最も完全な法律を築き、その法律を教えるのである。法律は人間の第二次的原因としての父母を敬うべきことを教える。御言葉はこの律法を成就するのである。御母を敬い、高座に招き、あらゆる恩寵の内で最も感嘆すべき物をプレゼントする。その恩寵の中でも抜き出ているものは、彼女が我々の敵や敵意に負けることがなく、罪の結果である死からも解放されることである。」

 「御言葉には地上に於て母がおり、天に於ては父がいる。神を父と呼び、この女を母と呼ぶために、被造物と神との間に最高の交流が存在しなければならない。龍がこの女よりも上位にあることは断じてない。全ての聖性と完全さは、神の御母に備わっている。神の御母から罪のない人体を頂く神は、自分の人性ではなく、罪に堕ちた人性を救うのである。我々聖三位一体は、人性を持つ御言葉を聖櫃の中でも、人間の住居の中でも、永遠に讃美するのである。」

 「受肉された御言葉が謙遜と聖性の先生となり、そのために苦労し、死を免れ得ない人間のごまかしや虚栄を打ち砕く。同じ労苦と難儀を御母が忍ぶであろう。御独り子と一致して犠牲を捧げる。このことは神にとって悲しいことであると同時に、御母のより偉大な光栄となる。」

 「今や時機が到来した。我々の眼に叶う被造物は、原罪の汚れがなく、龍の頭を砕き、永遠の御言葉に人体を着せる女である。神聖な御言葉により、人間が恩寵と永遠の光栄の宝庫を受けられるようにしよう。」

 「人類にとり、修繕者、教師、兄、友である御方が死すべき者の命になり、病人の薬になり、悲しむべき者の慰めになり、負傷者の軟膏となり、困難にあえぐ者の案内役と道連れとなるように。救世主が神から派遣され、人類を救うという預言が成就されるであろう。どのように成就されるかは天地創造以来、神秘に隠されていたが、マリアを通して成就されることを宣言する。被造物の世界は今後も自然な成り行きを辿るが、これからはもっと大きな恩寵を神から頂くことになる。」

 「昔の蛇は、この壮大な女の印を見て以来、あらゆる女性の邪魔をし続けてきた。立派に活躍する女性全員を迫害し、その女性たちの中に自分の頭を砕くことになっている御方(創世3・15)を見つけようとしている。この一点の汚れなき清き御方を見つけるやいなや、全力を尽くして襲いかかる。しかも、龍の傲慢さは実力以上である(イザヤ16・6)。神は我々の聖なる国であり、受肉された御言葉の櫃を敵から守る。人類も御母を熱心に敬い、助力し、慰めるように。」

 いと高き御方の御希望を聞いて全天使は平伏し、従順を熱心に誓いました。各天使は奉仕の役を希望し、全員が全能者を誉め、新しい歌を歌いました。天使たちが長い間、渇望していたことの成就の時が迫ったからです。天使たちの祈りは、龍と龍の軍勢を暗黒の中に放り込んで以来、忍耐強く続けられてきたのです。

 新しい啓示を聞いて天使たちは大喜びして主に申し上げました、「至高にして知りつくし得ぬ神なる主よ、御身は、あらゆる畏敬、賞賛と永遠の光栄を受けるべき御方です。私たちは被造物です。御身が喜ばれるように、御身の御業を遂行させて下さい。」 天使たちは聖マリアの守りと召し使いになるため、純潔と完全さを高めたいと思いました。この大役を神は、九階級のそれぞれから天使を選びました。総数は九百位になりました。その他に十二位の天使たちが人間の姿となり、聖マリアに特別な奉仕をすることになりました。彼らは救世の紋章をつけた盾を運びます。この十二名または十二位が都市の門番であることは黙示録二十一章に記されています。その章を説明する時に、この十二位について触れましょう。神は最高の天使十八位に、ヤコボの神の梯子を昇り降りさせ、元后のメッセージを王なる主に届け、主のメッセージを元后に届けさせることにしました。

 これらの聖天使たちに加え、神は最高階級から七十位のセラフィムに、自分たちのコミュニケーションと同じように、主や下級天使たちとコミュニケーション(交流)するように任命しました。

 天軍の総指揮官である聖ミカエルは、無敵の軍隊を統轄することになりました。聖ミカエルはほとんど常に元后のそばにおり、しばしば元后に姿を現しました。聖ガブリエルは我らの主キリストの特派大使となり、至聖なる御母の守護者となり、天に於て聖母のための弁護士・管理人のような役を務めました。

 山々が築かれ、その上に神の神秘的な国が建てられることになりました(詩篇86・2)。神の右手は御母のために神聖な宝を既に用意しておきました。千位の天使たちは、自分たちの后のため、最も忠実な侍者となりました。御母の祖先は高貴な王家ですし、御母の御両親は最も聖で最も完全な方たちです。

 御母の人体形成にあたっても全能者は自然の諸要因を良い配分に混ぜ合わせたので、その霊魂の活動を助けました。この素晴らしく構成された気質は、天の元后が終生統治した静けさと安らかさの源となりました。至聖なるマリアの御体は腐ったり衰えたりしませんでした。多過ぎたり、不足したりするものもありませんでした。生き続けるために必要以上の熟さもなく、適当な体温と体液維持のため、必要以上の冷たさもありませんでした。

 次の土曜日、全能者は御母の霊魂を造り、御体の中に吹き込みました。このように、永遠に最も聖、完全である純粋な被造物が世に現われました。創世記には、人間を土曜日(第六日目)に創造した後に神は休息したという表現がありますが、全被造物の中で最も完全な御方を創造したあと休息したというのが本当の意味です。神の御言葉の御業の初めであり、人類の救いの初めです。神にとり、全被造物にとり、この日こそ過ぎ越しの祭日となりました。

 神が、最も聖なるマリアの御体の中に最も祝された霊魂を吹き込まれた時、同時に天使たちの最高位にあるセラフィムの頂いた恩寵以上のもので御母を満たしました。創造主の光、友情と愛は片時も御母から離れません。原罪の汚点ではなく、人祖が元々頂いた以上の最も完全な正義を身につけました。恩寵にふさわしい理性の光を頂き、一時も休まず、創造主の御喜びになる仕事に精を出しました。

 諸徳の内、御母が発揮された三徳は、信、望、愛でした。神についての上智により御母の信徳は曇らされず、望徳は神以外のものに一瞬たりとも注意を惹かれず、愛徳はセラフィムも顔負けの愛情を神に対して持ち続けたのです。

 他の超自然的諸徳は、御母の理性的な部分を飾り、完全にします。御母の道徳的・自然的諸徳は奇跡的・超自然的でしたが、それ以上のものは聖霊の賜物の結実です。御母は自然や超自然の秩序をわきまえ、神を理解することに於て誰よりももっと賢明であり、もっと聡明です。

 御母の素晴らしい知識にふさわしく、御母は神への畏敬と罪に対する悲しみのための諸徳を英雄的に実行しました。悪い天使や人間が主を知ろうとせず、愛そうともしないことを感知したが故に、至聖者への犠牲となりました。熱烈に主を祝し、愛し、誉めました。御母は聖アンナの胎内におられた時、既に人類の堕落を知っており、いと高き善なる神に対する反抗の重大さを思い、悲しみの涙を流したのです。御母は生まれるやいなや、この悲しみと共に人類の救いを求め、仲介と回復の仕事を始めました。神に対し、祖先や義人の叫びを神に捧げました。自分の同朋と見なした死を免れない人々の救いを、神の慈悲が遅れないように願いました。人々に会う前に、熱心な愛徳により人々を愛しました。生まれた時に人々の恩恵者となり、神への愛と同朋への愛を心の中に燃やしました。御母の嘆願は、全聖人と全天使の嘆願を合わせたものよりももっと神の心を動かしました。神の愛と希望は、神が天より降り、人々を救うことを御母は知っていましたが、どのように救済が行なわれるかについては判りませんでした。神は御母の願いを叶えたいと思い、御母を愛したからこそ人体をまとったのです。

元后の御言葉

 「被造物が理性を使うにあたり、神に最初に向かうのは永遠なる主の御旨に叶います。知ることにより、創造主にして唯一の真の主として主を愛し、畏敬し、誉め始めます。両親は子供たちの幼少の時から神の知識を与え、知識を育み、自分たちの究極の目的を知り、知能と意志を最初に使う時、知識を求めるように育てる義務があります。幼稚さや幼稚ないたずらから子供たちを遠ざけるようによく見張り、方向なしに放り出されたら、腐敗した性格になってしまうことをよく用心すべきです。父母がこれらの空虚なことや偏狭な習慣を注意してやめさせ、神と創造主の知識を幼少の時から教えるならば、子供たちはたやすく神を知り、崇めるようになるでしょう。私の聖なる母は私の知恵や状況を知らずに熱心でした。私を受胎した時、私の名前を使って創造主を崇め、私の創造を感謝し、私を守って出産の日の光に私をあてられるように祈願しました。両親は神に熱心に祈り、子供たちの霊魂が御摂理により洗礼を受け、原罪の枷から解放されるように願うべきです。もしも人間が、物心がついても創造主を知らず崇めないなら、信仰の光により不可欠な神を知らなければなりません。その瞬間から霊魂は神を決して見失わず、絶えず畏れ、愛し、敬うべく努力しなければなりません。」

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